余白の美というのは理解できるが、無駄にだだっ広い空間というのは苦手だ。それすらコンセプトに組み込まれた建造物ならどうと言うこともないが、個人の家屋レベルのものだと、なんというかまぁ、ひたすらに無駄だと思ってしまう。
 肌寒さを覚える玄関で静かに私はブーツを脱ぐ。塵ひとつありはしないが、私と血の繋がった人間が掃除をしたことなど無い。私を含めて。我が家には数名のお手伝いさんが来てくれている。こんな不必要に広い玄関を掃除する彼ら・彼女らの時間にも、幾許かの金銭が発生している。それは、例えばコンビニでレジを打つのと、飲食店でオーダーをとるのと、どちらが遣り甲斐ある仕事なのだろう。時給は、少なくとも我が家の方が良いのだろうけれど。
 そんなお手伝いさんも、今日は全員出払っているらしい。もしくは既に帰ってしまったのか。普段なら父も母も在宅である時間だが、人の気配がない。そうであるなら、適当に食べて帰ってくればよかった。
「姉様、お帰りなさい。」
「…いたんですね、勇作さん。」
「ええ、玄関が開いた音がしたので。たった今、2階から降りてきました。」
 人の良さそうな笑顔を浮かべながら、私の背後に立っていたのは弟だった。私より高い場所にある目線に合わすのが面倒で、すぐに顔を背けた。
 そんな私の態度に気づきもせず、私が脱いだばかりのコートをハンガーにかけようと勇作さんの手が伸びる。私は無視する。いつものことだ。実の姉弟の間柄なのに、お互いに敬語を外さないのも。
「どちらに行ってらしたんです?」
「百之助の所です。」
「えっ、なぜ私も連れていってくださらなかったんです!兄様の所に行くときは是非私もといつも…!」
 手を洗おうと洗面所に向かう私の後ろから、勇作さんはわーわーと文句を捲し立てる。仕方ないじゃないですか、私ですらようやく(勝手に)家に上がっても追い出されはしなくなった程度なのに。あなたを連れて行けば門前払いしてくれれば良い方、なんて事態になりかねませんよ。
 と、何遍説明したところで勇作さんには通じない。腹違いの兄に、並々ならない興味を抱き続けるこの弟は、恐ろしく無垢だ。私は彼が愛情だと信じて止まないその感情が、実のところ『執着』と呼ばれるものであると思っている。悪気がない、というのが最も質が悪いのと同じように、ソレが愛情だと疑いもしていない勇作さんの善意。百之助にとっては、見せびらかしたいだけのあの玄関と同じくらい無駄なものであるだろう。
「父さんと母さんはどこに?」
「外に食事へ。夕食は要らないからとお手伝いさんも夕方頃に帰されました。」
「…勇作さんの夕食は?」
「姉様と外食すると伝えてます。」
「また勝手に。」
「姉様だって、勝手に兄様に会いに行くんですから、おあいこですよ。」
 手を洗い終えたばかりの私に、脱いだばかりのコートを渡してくる勇作さん。何故だか「No」を言えない。何をどうしたところで彼は私の実弟であり、特段の愛情を持っているわけでもないが、これといった憎しみがあるわけでもない。それだけの事実がそうさせているのだとしたら、迷惑な話だ。
 清廉潔白、純真無垢。これ以上無く勇作さんにぴったりな言葉だと思うものの、彼の目を見ていると、深い海のようだと感じることもある。足を踏み入れることは簡単なのに、少し進めば未知の世界に引きずり込まれてしまいそうな。その点、百之助の目は洞窟のようで判りやすい。
 渡されたコートは、当然私の体温がまだ残っている。素直に腕を通した。誰も居ない玄関に舞い戻れば、脱ぎ散らかしたままのブーツがへたり込んでいる。
「予約はしてあるんですか。」
「はい、駅裏のイタリアンバーに。」
「美味しいんですか。」
「いえ、実は私も初めてで。ただ、仲の良い友人が美味しいと言っていたのです。」
 果たしてこの弟は私の人生において美しい余白となるのか。
 別に理解しようとも思わないのではあるが。
塗り絵遊び

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