1年が過ぎ去る早さが年々増す、と年長者は言う。それは私自身、年を食うごとに実感を伴ってきている。部下にそれを言うと「私よりも若いでしょうに」と呆れたように笑われる。ほんの雑談のつもりで話をしているつもりなのだが、そう返されてしまうと私はそれ以上何も言えない。部下よりも私が歳が下なのは抗えない事実なのだ。
 窓の外で寒く吹き荒れているらしい風は、枯れ葉を巻き上げて人の歩みを遮るようであった。日没が心なしか遅くなったようにも思うが、依然として気温は低く、自然と哀愁を漂わせる季節が続く。例の部下は南に出張に行かせたため、私は執務室で1人、報告書に目を通していた。
 ストーブの上にのせていた薬缶がうるさい。
 沸騰した湯で淹れるなら珈琲ではなく紅茶がいいと聞いたことがある。軍の不味い珈琲が嫌で、この執務室にはいくつか自腹で買ってきた珈琲豆があるのだが、紅茶の茶葉はあっただろうか。そういえばこの前、マスタングが手土産に持ってきたものがあったような気がする。几帳面な部下がどこかの棚にきちんと片付けていそうだ。簡易な給湯室に備え付けられた棚を開けば、ビンゴ。手土産、とは言っていたが、おおよそハボック元少尉の実家の雑貨店で山ほど「出世払い」させられたのだろう。
 最近は使っていなかったガラス製のティーポットを同じ棚から取り出し、軽くゆすぐ。未だに喧しい音を立てている薬缶を持ってきて、そのままティーポットの中に注ぐ。熱湯消毒だ、と私は誰に言い訳をしたつもりなのだろう。ふわふわと漂う湯気は、私の鼻先を湿らせる。茶葉はどれだけ使えば美味しいのか、そういったことにはさほど詳しくはない。一度湯を捨てて、目分量で茶葉を放り込む。そしてまた湯を入れた。さっと色づくのがよくわかるから、ガラス製のティーポットが好きだ。
 1人で飲むには少々量が多かったかもしれないが、たまにはいいだろう。
 中身の減った薬缶に水を入れ直し、薬缶を右手に、ティーポットは左手に、部屋へ戻る。薬缶はすぐにあるべきストーブの上に戻し、空いた右手に今度はマグカップを持つべく、また給湯室に戻る。実に非効率な動きをしているが、今はそれを笑って咎める部下も不在だ。
 少し給湯室に行っている間に、外は仄暗く、それでいて街灯が淡く瞬き始めていた。
 この紅茶を飲んだら帰ろうか。いや、もう少し書類に目を通しておこうか。
 自問自答をしている私の思考を遮るように、手元の電話が鳴る。
「はい、苗字。」
『苗字中将、エドワード・エルリック氏から一般回線で通信です。』
「繋いでくれ。」
 こんな時間に珍しい人物から電話だった。電話交換手の「承知致しました。」の応えの後、しばしの時間が開く。そういえば、ティーストレーナーを持って来忘れたと気づき、また給湯室の棚を開きに行く。通信が繋がるまでのほんの数秒だ、問題はないだろう。
 急いで戻ってきて受話器を耳にやると、ちょうどエドワードに電話が代わったところだった。
『よお、中将。こんな時間に悪ぃな。』
「いや、気にするな。風邪はひいていないかい。」
『おう。中将も元気そうで何より。』
 快活なエドワードの表情が、すぐに脳裏に蘇り私はうれしくなった。
 用事も無しに電話をかけてくることはあり得ない(と言うと、グリードには渋い顔をされてしまうのだろうか)ので、早速本題を切り出す。
『今は西の方を転々と周っててさ、そのあたりの報告書まとめたのを今日発送したから、近いうちにそっちに届くと思う。』
「そうか、それはご苦労。本当に助かってるよ。」
 身体を取り返した後もそれぞれに旅を続けているエルリック兄弟の兄、エドワード。かつてはその能力を以て国家錬金術師の資格を有していたが、弟の身体を取り返すために自身の“真理の扉”を代価としたため、今では錬金術を発動出来ないようになっている。当然国家錬金術師の資格も返上を余儀なくされたわけだが、彼の目的を達成するためには少佐相当官の地位は必要不可欠であった。そこで私が提示した契約―もとい、対価が「旅で訪れた各地の動向を報告すること」なのだ。その結果に基づいた権利と、後ろ盾は私なりに用意をしてやっている。大変に自惚れているようだが、私もなかなか国内の全てを見て回れるほどの暇がなくなっている。私の目と足となって報告をあげてくれる存在がいかに有難いか。部下に言わせれば「都合の良い駒」だそうだが、大いに結構。
『ところで、最近南の方ででかい爆発あったらしいけど、あいつ関わってねーよな?』
「ああ、軍工場の大爆発ね。爆発関係だから、ちょうど今キンブリーをやってはいるが、無関係だ。」
『なら、いいんだけどよ。』
 1週間ほど前に南の片田舎に構えている軍工場で発生した大爆発事件。辺り一帯を三日三晩焼き尽くし、ようやく鎮火したようだ。民家の建ち並ぶ区域ではなかったため、一般人を巻き込むことがなかったのが不幸中の幸いだ。そして鎮火したあとの調査で、出火元が不明とのことで南方司令部がキンブリーを寄越せと要求してきたのだ。おおよそ静電気か漏電か、そのへんの類い……つまりは軍関係者の不手際だろうと我々の見解は一致していたのだが、軍の不手際を表沙汰にしたくないらしい南方司令部が“専門家”をわざわざ呼び立てて、隠蔽したいようなのだ。
 ばからしい、と心からの溜息と共に私はマグカップの上でティーポットを傾けた。琥珀色の液体が、ティーストレーナーに茶葉を残してマグカップの底に辿り着いた。
「まぁあいつに言わせればあの爆発は美しくないだろうし、そもそもあいつの仕業なら1週間前から南に発っていただろうな。直接その目で見るために。」
『そんなこと大っぴらに言って大丈夫かよ。この電話も傍受されてたりするんだろ?』
「私が今更そんなことを恐れると思っているのかぃ?」
『ああ……まあ、今更だな。』
 受話器の向こうで、硬貨が落ちる音がした。
 エドワードが次の言葉を探している気配を察して、私は言う。
「君は君の心配だけをしていればいいさ。もうしばらくは、周りの大人に守られていなさい。」
『そうだな…今はまだ、お言葉に甘えておくよ。』
「素直なのはいいことだ。」
『いつかあんたにも、ちゃんと礼をさせてくれ。』
「ああ、待っている。」
 あとはもう、身体には気をつけて、とか、無理はするな、とか、至極ありきたりでありふれた言葉の応酬だけだった。どちらからともなく、おやすみ、と声をかけた後、あまりに呆気ない程の軽い音だけを残して電話は切れた。そこでようやく口にした紅茶は、優しい甘みを口腔に残して喉の奥に消えていった。
 さて、と、決して興味はない報告書に目を通そうと手にした瞬間、またも電話が鳴る。エドワードが何か伝え忘れたのだろうか。反射的に受話器を手にする。
『度々恐れ入ります。キンブリー少佐から、南方司令部の回線で通信です。』
「そうか、繋いでくれ。」
 少々お待ちください、と交換手は言ったが、想像以上に早く電話は繋がった。
『仕事、サボっていないでしょうね。』
「一言目がそれか。」
『えぇ、先程一度電話をしたのですが、電話中と聞きまして。デートのお誘いでもありましたか?』
「デートではないが…そうだな、珍しくお前以外の男から電話を貰ったのでな。少し話し込んでしまったよ。」
 そうは言ったものの、エドワードと話していたのはほんの3分や4分のことだ。これはただの意地の悪い返事のつもりだった。
 はぁ、と深い溜息をついたのが聞こえた。きっとキンブリーは受話器の向こうで頭を抱えているのだろう。ただでさえ面倒な出張をしているのに、直属の上司がくだらない冗談でからかってくる。気の毒になぁ。しかし私は、結局の所そういう冗談に怒ったりはしないキンブリーを心底気に入っている。
『明日の昼には戻ります。』
「うむ、気をつけて。」
 エドワードとの電話よりも幾分も早く、私は受話器を置いた。二口目の紅茶は、あの沸騰が嘘のように温くなっていた。しかし質の良い茶葉らしく、渋みは感じられなかった。今度ハボック元少尉のリハビリ先の病院に見舞いに行かねば、と思う。
 癖のように窓の外を見たら、今度こそ辺りは暗くなっていた。
「…これ飲んだら帰るか。」
 報告書の目通しは、明日キンブリーが戻るまでに終わらせればいい。1年の過ぎ去るスピードよりも、半日が過ぎ去るスピードの方が何倍も早いことを、私は忘れた振りをした。
回線番号Isabel,Mary,Uncle,2

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