Dear Narasaki

* * *

「すみません、明日子さん。いらっしゃると知ってたらお菓子の1つでも買ってきたんですけど…。」
「気にしないでくれ。近くまで来たからと連絡も無しに来た私が悪い。」
「いや、そもそも連絡を寄越さない尾形が悪いんです、ほんとに。」
 名前は重そうなレジ袋を2つ、全く悪びれも見せない尾形に押しつけた。きっと近くのスーパーに行くだけだから、と特別化粧などしていなかったのであろう滑らかな名前の顔には、わかりやすく尾形への不満が滲んでいる。それでもやはり尾形はどこ吹く風で手際よく卵や牛乳を冷蔵庫の中に押し込んでいくが、携帯忘れて出かけたくせによく言うぜ、と鼻で笑うことは忘れない。そんなことを言えば、あ、やっぱり、名前に殴られてやんの。ぷぷっ。
 尾形が出してくれた水出しコーヒーをゆっくりと喉に流し込む。アポ無しで尾形家に突撃してから名前が帰ってくるまでは15分程だったが、その間、尾形は頗る居づらそうだった。私が一方的に杉元の話をしたり、逆に尾形の話を聞こうと問いかけをしたりと、その会話の流れは学生の頃からさほど変わらなかった。特に相槌を打つでもなく眉をひそめている尾形も、同じだ。ただ、その内心はどうだろう。
「私が買ってきたケーキがある、それを食べよう。」
 尾形に渡して冷蔵庫に入れて貰っておいた白い箱を私が指差せば、名前は更に申し訳なさそうな顔をした。しかしその瞳の奥には単純で明快な嬉しさも光っている。可愛い後輩だ。てきぱきと皿とフォークを用意する名前の横で、尾形はまだ冷蔵庫の前で、ケーキの箱のあった場所にマーガリンの箱を入れていた。
 尾形が名前を初めて内輪に連れてきたとき、ここのパティスリーのイートインで彼女を囲んだ。思い出の場所の1つだ。名前は抹茶ケーキが好きだ。私はその時美味しそうだと思ったものを選ぶ。今日は桃のタルトにした。尾形は甘い物を人より好まないので、フルーツタルトを選ぶ。果物は嫌いじゃないらしいのだ。それでも沢山量は要らないと言って、すぐにフルーツを名前の皿に乗せていた。今日だってそうだ。気付けば名前の抹茶ケーキは、抹茶イチゴケーキになっている。
―――彼女に初めて会った時、私は「まるで朝露のような女性だな」と思った。それを今でも、そう、彼女のケーキに乗った苺のような瑞々しさで思い出せる。尾形の中で燻っていた熱を冷まし、そして残った露が彼女だった。露のような儚さは持っておらず、それでいて、やはり露のように沢山を反射する。そうして反射された光は、尾形の目を瞬かせたろう。
 眩しくて、目の奥が痛い、それまで尾形が感じたことのなかったであろうその光を、“ある人”は愛だと言った。
 あまりに穏やかな休日の午後3時。私は思うのだ。世界中でここだけを切り取って、一等綺麗な箱に入れて、誰にも渡さないで閉じ込めておきたい、だなんて。そんなこと、できるはずもないのに。もしも私が神様だったら、そんなところだ。
朝貌の花

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