華奢な体躯とその上に乗った顔は小さく、それに収まるのはまん丸な瞳、自然と上がった口角、一直線の鼻筋。透き通った白肌はそれぞれのパーツを引き立たせるためのキャンバスだ。その全ては、どれの1つも私が持ち合わせていないものだ。そして目の前に座って突き出しの冷奴を頬張る後輩は、それら全てを持ち合わせている。天は二物を与えずというのは絶対に大嘘だ。
 しかし私がそれらを本当に望むかと聞かれれば、案外そうでもない。私は私なりに私に満足しているし、容姿で不便をしたことはないつもりだ。ただ、どうしたって世間一般の「可愛い」を詰め込んだ彼女のような女性を見ていると、絵画を見ているような、現実から一線を引いた感覚を味わう。
「苗字さんと2人飲みするなんて初めてですよねー!」
「そうね。今更だけど、ほんとに私の行きつけの居酒屋でよかったの?」
 そう問うたら「とんでもない!ご一緒できるだけで嬉しいです!」なんていう、謙虚な答えが返ってきた。その、綺麗に染まった茶色い髪と同じようにきらきらとした彼女と行くなら手軽なフレンチでも、と考えていたのだが、彼女自身から「苗字さんの行きつけのお店に行ってみたいです」と可愛いお願いがあったのだ。これが可愛い女子の可愛いおねだりか。覚えておこう。なんて。
 恵まれた容姿に怠慢を働かず、裏表なく素直で仕事ぶりも熱心な彼女は、やはり社内でも人気者だ。そんな彼女の指導係に私が当てられたのも、もう昨年の話だ。今年からは私の手を離れ、未熟な面を残しながらもしっかりと業績を上げてくれている。元指導係として誇らしい限りだ。
 また、私の手を離れてしまったにも関わらず、こうやって慕ってくれているのは有難い。皆が羨む彼女を独り占めしているようで、率直に言えば気分がいいのだ。
「そういえば苗字さん、恋人いらっしゃるって伺ったんですが本当ですか?聞いた話だと社内の人だって。」
「あぁ、うん。技術部の尾形さん。」
「えっ、尾形さんですか!?」
「うん、なんで?」
 手始めに頼んだサラダに入っていたトマトが、彼女の箸から零れ落ちた。なんとか取り分け皿の中に落ちたようだが、ドレッシングは机に飛んだ。
 別に尾形と付き合ってることは隠しているわけじゃない。なんなら、彼女がつい最近それを知ったことに私の方が驚いている。なぜなら、どうしたことか、うちの会社は社内恋愛が多い。最近じゃ、営業部の谷垣くんが受付嬢の超美人さんと付き合い始めたとも聞いた。美女と野獣だ、とかなんとか笑われていたが、あれはどう考えても美人さんを狙っていた男共の遠吠えだ。茶目っ気とミステリアスを兼ね備えた美人さんに、ほんの少々谷垣くんが振り回されてるところも見るが、私にはお似合いに見える。
 思考があらぬ方向へ飛んでゆく私を食い止めるように、彼女は口を開く。
「なんていうか……その…」
「うん、」
「お付き合いされてる苗字さんに言うのは失礼だって承知で言いますけど…尾形さんって、なんていうか…ちょっと怖いじゃないですか。」
「そうだね。」
「えっ、そこ認めちゃうんですか!?」
「いや、だって、第一印象いかつすぎでしょ、尾形さん。」
 私の返答に、彼女はさすがに「そうですね」とは言わなかった。自分で言ったことなのに、彼女は狼狽えている。まあ自分の恋人を「怖い」と言われて、それをあっさり認めるなんてこと、普通は予想しないよな。
 だって尾形は見た目が怖い。良く言えば男性らしい体格と、黒く沈んだ色の瞳、サイドを刈り上げた髪型、極めつけは学生時代のやんちゃが元でできたという両顎の縫合跡。見た目だけで充分威圧的だし、言動もお世辞にも優しいとは言えない。というか、普通にきつい。これを怖くないと言えば、その人の恐怖を感じる脳の中枢を私は疑う。その上、技術部というあまり表に立たない部署にいるために、私たち事務部、特に女性社員とは接点がない。あからさまにびびられている。それゆえ、同じ技術部の杉元さんの紳士的優しさへの支持が高まるわけだが、今はひとまず関係の無いことだ。
 私自身、入社してすぐの頃、彼を見て「やばい、堅気の人間じゃない」と、今でも本人には言えていないようなことを思っていたから、彼女の言わんとすることは痛いほどにわかる。わかりすぎるほどにわかる。正直今でも、ふとしたときに堅気の人間の顔じゃないと思っている。先程口にした「いかつい」なんて表現は、便宜上の形容詞でしかなかった。
 次に発する言葉を吟味している後輩を察し、私のターンが続く。
「付き合い始めたのは貴女が入社してくるよりも前だったけど、その頃はもっと色々言われたよ。『あいつは常に最低でも3股はしてる』だとか『お前絶対遊んで捨てられる』だとか、まぁ全部私の身を案じてくれてたのは分かってるんだけど。」
「でも、今もお付き合いされてるってことは、全部杞憂だったってことですよね。」
「人は見かけによらないっていうのは本当ね。」
 底に少しだけ残ったビールを飲み干せば、次何か呑みますか、とさりげなくメニュー表を渡してくれる。こういった気遣いも昨年私が彼女に教えたことだ。
「あ、でも尾形さん狙ってた女性の先輩に嫌がらせされたこともあるよ。」
「うげぇ、嫉妬は醜いですね。」
「その顔やめな、折角の顔が台無し!」
 整った顔のパーツの配置を全部中心に寄せるような表情をして、文字通りの醜さを彼女は表現する。思わず笑ってしまったが、彼女の男性ファンが見たら絶句するんじゃないかと思った。それほどに酷い変顔だった。こんな表情を見せるのは私だけであって欲しいなぁ、と僅かに心の中で芽生えた考えが所謂独占欲であるなら、彼女の言う「嫉妬」について醜いと断言することは軽率かもしれない。
「苗字さんがそう言う人なら、きっと尾形さんは悪い人じゃないですね。」
「本当に悪い人なら採用されてないでしょ、うちに。」
「たしかに!」
 すでに酒の入った女性2人の会話に意味なんて無い。数分後には私の恋人の話など通り過ぎ、「私も彼氏欲しいです」というある種の爆弾発言によって、また大して実のない話を2時間程繰り返した。この可愛さで彼氏が居ないなんてことあるのか。
 あんなに食べたくて頼んだ唐揚げは気付いたら冷めていたし、冷酒はぬるくなっていた。
 見知らぬ携帯電話が鞄の中で光っていることには、初めから気付いていた。





「ただいま。」
 1人暮らしだが防犯の意味を込めてそれを言う癖は、それこそ1人暮らしを始めた頃からのものだ。返答などあるはずもないが、最近は違う。返答があったりなかったりするのだ。
「遅かったな。」
「あ、来てたんだ。去年私が世話してた女の子と呑んできた。」
 リビングから顔を覗かせた例の尾形百之助に呆れながら、私は鞄を無造作に床へ下ろし、スーツのジャケットを脱いだ。その瞬間に何とも言えない開放感に包まれる。それは酒を呑んできたということもあり、いつもより快感が大きい。雪崩のように鞄からはみ出してきた資料に一瞥もくれず、私はリビングの扉付近に立っていた尾形を押しのけてソファに身を投げた。
「スーツに皺が入るぞ。」
 にや、と笑う尾形が頭上に見える。脱げ、と暗に言ってるらしいが無視をする。彼自身は技術部支給の作業着を着ていないから、1度自宅に帰ってからここにきたらしい。―――いや、その服は前回来た時にこの家に置いていった服だな。ここへ直帰したのか。
「で、今日の呑みの席に、男は。」
 ソファの傍らに片膝を立てて座る尾形の目は笑っていない。彼の目が笑わないのは通常運転だから気にはならないが、ああそうか、あの子達はこういう目が怖いと感じるんだな。その感覚はすでに私には残っていない。
 私が1人で出かけた先に男が居たかどうかを確かめるのは、交際を始めた頃からずっとだ。どうも家族仲に深刻な亀裂を抱えていた尾形百之助は、囲った人間が自分から離れていくことが酷く恐ろしいようだ。本人から直接聞いたわけではないが、部屋からモノが1つ無くなっただけでも敏感に気付くから、所有欲というのが人より何倍も強いのだろうと推測している。その最たる対象が、私だ。
「聞かなくてもわかってるくせに。あの携帯、百之助のでしょ。」
 鞄の役割を放棄した鞄から溢れ出る資料に紛れて、黒い携帯が転がり落ちている。私のものではない。私のは外装はゴールドだし、耐久性のあるカバーを付けてある。そうなればあれは間違いなく目の前の、所有欲の強いこの男のものだ。ご丁寧にGPSと盗聴器付きとくれば、こいつは私の恋人ではなくストーカーだったかな、という気にもなる。
「わ、かってて、あんな話しやがったのかよ、」
「どう?興奮した?」
 ソファから身を起こし、頭1つ分低い場所にある尾形に微笑んでみせる。それとは対照的に顔を歪めていく男の顔は、数時間前に見た後輩の変顔よりは笑えなかった。
「あんな話、聞いてねーんだよ…」
「どれ? 百之助が3股かけてるとかって話?」
 尾形の頬が引きつったのを見て、当たりを確信する。わかりやすいなあ、と内心嘲笑いながらも愛しさすら感じる表情筋に、私はアルコールで火照った右手を這わせた。血の気を感じさせない冷ややかな頬に熱を孕ませるように、軽く口づけた。距離をとるその瞬間、射貫くような視線を感じるものの、実のところは私に届く数cm手前で失速している。
「俺は、お前以外に欲しいと思った女はいないし、やっとのことで手に入れたのに、それを捨てる奴が、あるかよ、っ」
 普段は私には名前の分からないような器具を持って、なんだか分からないような作業をしている大きな手が、今は私のお値段妥当な質のブラウスを握りしめている。皺になるんじゃなかったのか、とは言わない。その手が小刻みに震えているのが、なんとも支配欲を掻き立てる。例の谷垣くんの上司が愛すべきセクハラ親父なのだが(素直に言えば、なぜ女性社員から訴えられてないのか不思議なくらいその言動には難があるように思っている)、その人の言葉を借りるなら「勃起」ってやつか。
「んー、でも、火のない所に煙は立たないって言うし。」
「ぉ、まえ、俺よりも、あんな奴らの、言葉に耳貸すのか、っ」
 彼の肺から奇妙な音が漏れている。
 いつもの癖が出てきた。
 こうなったらもう面倒臭くて、世界で1番可愛い私の恋人様だ。
「じゃあ、そんな耳、引き千切ってやるから、ほら、っ、俺に差し出せ、っ」
「やだよ。」
 くそっ、と、彼は言ったのだろうが、すでに吐き出す息が少なくなっており、明瞭な無声軟口蓋破裂音は失われている。それでも諦めず、私の左耳へ右の手を伸ばす彼を辞書で調べれば「健気」の項に辿り着くことだろう。
 肩で大きく息をしている彼の呼吸バランスは、明らかに吸う方に傾いている。私へと伸ばしている右手は、すでにびりびりと痺れているであろう。応えるように私は己の左手をその手に絡め、余った右手はやはり虚ろな彼の顔に寄せた。
「ぉれ、だけを、みてろよ…っ、たのむから…」
「うん、見てるよ。百之助だけを見てる。」
 ぎゅ、と左手の力を強めれば、安心したのだろうか、恨めしそうな目に幸福を滲ませ、それを涙という目に見える形にして私の右手を濡らした。幼子のように、鼻からも口からも涙を流して、私に縋っている。
 尚も呼吸は荒い。いっそ酷くなっている。
「イイ子だから息を吐きなさい。吸うのは上手なんだから。ね、百之助。」
 絡めた左手を解き、右手と同じように頬に添える。するとだいぶ視点のあやふやになった尾形と目が合った。ひゅう、風の音をその太い喉で奏でる時は、彼が酸素に溺れているときだ。
 だらりと私の膝に救いを求める尾形の手は、もう何も感じていないことだろう。
 吸って、吐く。お手本のように私は言って聞かせる。こんなことならお酒は少し控えておくべきだっただろうか。吐く息がアルコール臭い。悪いな、とは思うものの、迷惑を掛けられている度合いでいえばそんなことは微々たることだ。
 鼻を鳴らして泣きじゃくる姿の、なんと幼子に似たことか。いつだったか、私に母親を求めているのかと聞いたことがある。すると彼は心底不愉快そうな顔で、「母親とセックスなんざするかよ、気色悪ィ」と言い捨てた。では私に何を求めているのか。結局今でもわからないが、ありふれた言い方をするのであれば最終的には愛なのだろうと思っている。にわかに人気の出だした女優が主役を務めるような、そんなドラマで描かれる、陳腐で綺麗な愛じゃない。忘れたものを取りに帰ったのに、何を忘れたのかも忘れてしまったような愛だ。滑稽で、それでも捨てることなど到底できない。どろどろに溶けてから冷えて固まって、二度と他の形じゃ埋められなくなった、私たちだけの愛だ。
 あの後輩のように恵まれた物を沢山持っているわけじゃないけれど、この救いようのない尾形百之助という男を手にしているのは世界でたった1人、私だけ、苗字名前だけだ。
「名前、…………名前、」
「はいはい、なんですか。」
「すきだ……あいしてるんだよ………ほんとうに、おまえだけを…」
 あらゆる涙でぐしゃぐしゃになった顔を、くたびれてしまった私のワイシャツにすりつける。これじゃあ聖顔布みたいだ、と1つ笑いを漏らした。尾形には気付かれずに済んだ。
聖ヴェロニカを地獄へ引き摺り堕ろして

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