インカラマッが苗字に向かって「ご両親と弟さんを亡くされてますね。」と言い当てた。別段、苗字は驚いた様子もなく「誰かから聞いたんですか」と返し、それに対するインカラマッの答えは「いいえ」だった。
 苗字が同行するようになり、改めて身の上を話す機会があった際、彼女は「関西の実家から家出してきたようなもの」と自らを説明した。そこで杉元は、家族と折り合いが悪かったのだろう、とすんでの所で邪推にならない推測をしたが、それは致し方ないことである。
「貴女の背後で、ずっと貴女のことを見ています。」
「そうですか。」
 その視線が愛情として注がれているのか、憎しみによる睨みなのかは誰にも分からなかった。当たり障りのない返事しかしなかった苗字の声色からは、何も読み取ることが出来なかったからだ。それでいてインカラマッの見透かすような視線からは逃れたかったようで、苗字はふいっと一行に背を向けて歩き出した。
「名前、もうじき暗くなるから歩き回るなよ!」
 アシリパの心配を余所に苗字は足を止めることはなかった。その身にはいつもどおり小銃を背負っているとは言えど、土地勘のない場所で1人になるのは得策とは言えない。ましてや他人からの詮索を避けるためなど。
 反射的に杉元はその背を追いかけようとしたが、それよりも早く動いたのは、他ならぬ尾形だった。インカラマッは尾形を止めることをしなかった代わりに、何か言葉を投げかけていたが尾形の耳に届いていたのかは定かではない。



 音もなく暮れていく太陽に焼かれるように佇む苗字を見つけるのに、そう時間はかからなかった。遮る雲もない晴天だった今日、ありったけの夕日を浴びる彼女は血で湯浴みをしてるのかと見紛う程の様だ。
 深淵を隠し持つその目は、紅蓮に染まる空に、黒点のようにぽつりと舞う鳥を追っている。
「家族のことを言い当てられたくらいで拗ねちゃいませんよ。」
「そうかよ。」
「話すほどのことではないと思ってたことを、初対面の人に言い当てられたのが癪だっただけで。」
「それを拗ねてるって言うんだ。」
 歳は幾つだと言っていただろう。少なくとも十代ではないが、尾形の言葉に唇を尖らせて無言を貫くその表情は、どこか幼い。だからこそ尾形は、その幼さを隠れ蓑にし、奥底に潜めたあの色を見たいと切望する。1人殺し、2人を殺し、次第に殺す事が手段ではなく目的になるあの戦場のように、建前をかなぐり捨てても手にしたい何かがそこにはあったのだ。
 そんなどす黒い欲求を知らない苗字は、依然として鳥を追っていた。
「お腹、空きましたね。」
「今日は鹿だとさ。」
「鳥、食べたいですね。」
 ああ、あの鳥は食料として見ていたのか。
 合点のいった尾形は、ふと自身の幼少を思い出す。もしあのとき、この女が近くに存在していたら、少しは自分も違ったものだろうか、と。あの日あの時、撃ち落とし続けた鳥は、今ここにいる彼女への供物であったのかもしれない。そんなありもしない幻想を胸の内に産み落とした。
「お腹が空くというのは、空腹というのは、人を鬼にします。」
「お前は、鬼の子、か。」
「えぇ。」
 苗字名前は否定をしない。否定をしないついでに、目が笑わない。同族嫌悪ではないが、苗字のその言動の癖が鼻につく尾形は、思わず眉をひそめる。
 それを見て苗字は、態とらしく自らの小銃に弾を装填した。
 あの鳥を撃ち落とすらしい。
「苗字家はかつて地元の鉄砲傭兵集団の中核に居た一族ですが、集団の解体に伴い衰弱しました。私の生まれた時にはすでに一介の農民一家でしかなく、村を襲った大飢饉で、呆気なく。」
 話すほどのことではない、と言っていた割に インカラマッの言葉で堰が壊れたのか、苗字は訥々と尾形にそう語る。そこで1つ息を吐き出し、そして空に向かって銃口を掲げた。じっと鳥を追うその目は、尾形が切望するあの“目”ではなかった。尾形自身もよく知る、狙撃手の目だ。
 辺り一面に響いた発砲音は、紫が混じり始めた空に吸い込まれる。
 不規則な軌道で落下する鳥を、尾形は酷く懐かしく、恨めしい気持ちで眺めていた。
「恨んではない、」
 遙か向こうで食料と為り果てた鳥を拾いに行こうとする苗字を呼び止めるように、尾形はそう言った。意味が分からず、思わず苗字は振り返った。意味が分からなかったのは、実は尾形もであった。言うつもりはなかったのだ、彼女を追いかけようとした直前に背後から投げかけられた占い師の言葉など。
「お前の両親と弟は、お前を恨んではいないんだとさ。」
「……意味が分かってそれを私に言ってるんですか?」
「あの女がか?」
「いえ、尾形さんが。」
 その返事の最後の方は、もう目線が合わなかった。鶏肉のことで頭がいっぱいなのか、それとも目を合わせられなくなる“何か”を尾形の言葉が掠めたのか。探るつもりは、なかった。
 さっきまで煌々と主張していた太陽も、すでにその姿の殆どを地平に埋めている。苗字は夜に向かって進み、撃ち落とした命を握りしめて、とてとてと戻ってくる。その表情は得意げで、やはり少し幼かった。
「今日は鹿と鳥です。尾形さんも食べますよね。」
 その問いかけは、いいえを答えられるようにできてはいなかったが、尾形にとってはそれでよかった。
「鍋、食いたい。」
「いいですね、食べましょう。」
 鬼の子は笑った。
 両親と弟に恨まれていないと分かったことに、この女は安心したのだろう。
 不意に辿り着きそうになる答えに、今は蓋をした。紛らすために彼女の手から掠め取った鳥は、いつかの頃よりも軽く感じた。
マザーグースと鳥の聲

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