尾形百之助は、その女が人の死体を見つめる目を、何故か知っている気がしていた。勿論、その女−苗字名前−と出会ったのは、この北の地が初めてであることは間違いがなかった。決して、苗字の顔を知っている気がした、わけではない。あくまで、彼女が死体を見つめる目を、どこかで知っているように思っただけだ。
 記憶力は悪くないつもりで居たが、こうも思い出せないのは、本当は知らないからではなかろうか。そうとまで考えるほど、尾形はその目に、半ば執着していた。行動を共にする杉元やアシリパはそれに気付いていないようではあるが、尾形が苗字に対して他と比べれば好意的に接していることは一目瞭然であった。
 血生臭い金塊争奪戦に苗字が加わることになったのは、彼女自身の気まぐれによるものである。関西にあるという実家から持ち出してきた散弾銃を携えて、1人 北の地で自給自足をしていたところ、気付けば巻き込まれていたというのが真実に近い。しかし、乗りかかった船であるということと、守るものも捨てるものもないと言って参戦したのが、苗字が苗字たる所以であるだろう。
 命懸けであることは十分承知した上で、決意の傍らで事切れていた屯田兵から小銃を拝借した。待ち構える争いごとに散弾銃では立ち向かえないのは目に見えていたからだ。荷物になるから、と唯一の所持品であった散弾銃を遺体の横に捨て、そして”彼”であったモノをじっと見た。それは僅か1秒程度の時間だった。杉元もアシリパも、その様子を気に留めることはなかった。しかし尾形だけが、その行為に、違和感にも似た衝動を覚えたのだった。
 それからというものの、尾形は文字通り人の目を盗み、苗字の目を観察しているという次第だ。

 乾いた音を立てて火が弾ける。どうにも目が冴えて眠れない夜だ。うるさいくらいの夜の静寂が、耳の中で暴れる。腕の中の小銃を抱え直し、尾形は行き場をなくした呼気を吐いた。
 規則正しく胸を上下させる同行者たちを見やりながら思うのは、やはり苗字のあの目だ。黒よりも僅かに明るいあの虹彩は特に珍しいものではなく、寧ろ日本人の大多数が持っている色であり、尾形自身も鏡をのぞき込めばほぼ同じ色が見える。しかし僅かに違いを挙げるのであれば、あの色は深淵を含有している。そう表現せざるを得ない。
 狙撃手たるもの、いつ何時も銃を手放すべからず。
 その心得は苗字にもあるようで、尾形の少し右横でぐっすりと眠りこけている今も、無防備に見えて その腕の中に小銃を抱き込んでいる。すぐに銃から目を離すどこかの一等卒より、苗字の方が幾分も銃の扱いに長けている上、その腕も悪くない。恐らく元々視力が良いのだろう。軍にいたころに見た、どの狙撃手よりも秀でていると思ったのは悔しいことに尾形の本心である。
 音もなく忍び寄り、苗字の閉じられた薄い瞼の向こうを観察する。
「お前は、死体に何を見てるんだ。」
 その問いかけは欠伸のような曖昧な発音で、やがて暗闇に馴染んで消えた。
鬼の子は語らない

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