何年経っても人というのは言うほどには変わらない。そう思っていた。
「まぁ、少しは成長したな、鯉登。」
「苗字がそう言うなら、そうなのかもしれん。」
 私を呼び出すときの文面とか、ばつの悪そうな表情の作り方とか、恋に煩っていたあのときから何も変わっていない。その一方で私が成長と表現したのは、紛れもなく想い人だったあの子との関係性だった。
 結局あれから5回は進捗のない話を聞かされたことを思い出すと、今でも向かっ腹が立つ。しかも最終的に向こうからご飯に誘われ、その上告白も向こうからだったという。残念な男前、という存在はこの世に存在することを私は知った。
 それもすでに4年前の話で、今回呼び出されたのもそれ以来だ。一度付き合ってしまえば、見たとおりの真っ直ぐさで彼女に尽くしたのだろう。最後に会ったときよりも表情や口調がどこか柔らかい。何も遠慮の無い関係だったからこそ分かる。良い具合に彼女に絆された男を、ましてやあの鯉登音之進を見るのはなかなかに面白い。
 さて、本題に入って貰おう。
「そろそろプロポーズをしようと、思うのだ。」
「……すれば?」
「女はサプライズが好きだと聞いた。」
「人によりけりでしょ。」
 プロポーズで悩んでいることは、年数とタイミングから察していた。そして、私に相談してくるであろう事も。変わらぬ文面で「相談したいことがある」と連絡を寄越してきたのを確認した瞬間に、私は勘づき、そして面倒だと思った。間男サマがお呼びか、と即座にからかってきた尾形の方が、余程面倒ない。
 どうせ成功するプロポーズだ。アプローチの件については勝率どころか、鯉登から仕掛けたものは何もなかったが、こればかりは彼からどうにかしてほしい。できれば私は関与したくない。彼女の気持ちになれば、他の女(これっぽっちも疚しい関係でないとしても)が考えたプロポーズ大作戦など真っ平だろう。やはり鯉登音之進はその辺の乙女心と呼ばれる物が分かっていないらしい。
「気持ちが大事よ、気持ちが。」
「それらしく聞こえる見離しの回答だな。」
「鯉登が考えて、鯉登が実行するプロポーズ以外に、何の意味があるっていうのさ。」
 ざわざわと賑わう居酒屋の個室にまで呼びつけられ、じめじめとした話をなんだかんだ律儀に聞いてやってる私も大概酔狂だ。大学の同期とは言えども、凄く凄く仲が良かったとかサークルが一緒だったとかでは全くない。ゼミが一緒で、話がしやすかった。彼は、そういう男だ。それだけなのだ。
 中途半端に底に残ったビールを飲み干しながら、ベルで店員を呼ぶ。今日は鯉登の奢りだ。チェーンではなく個人のちょっとイイ居酒屋だから、少しお高い日本酒なんかも置いている。有難く頼ませて頂こう。
 トップ営業マンらしく、運ばれてきた徳利を私より早く掴み、私の手元に置かれた猪口に向けた。
「男前のお酌じゃあ、酔っ払うわ。」
「心にもない。」
 泣きそうな顔をするんじゃないよ、鯉登音之進。君には幸せになってもらないと困るし、そうである未来しかないのだから。彼の前に並んだ空のグラスには、焼酎が入っていた。それでも尚崩れない口調と表情は、さすがであると舌を巻く。
 アンニュイな溜息を1つ、鯉登は携帯のカメラロールから1枚の写真をタップし、私に見せつける。上品なレースが首元にあつらえられた、白いワンピースの美人が写っている。
「可愛いだろう。」
「前に見せて貰ったときより、更にね。」
「俺の、恋人なんだ。」
「知ってるし、鯉登、あんた見た目より実は酔ってるな?」
 その写真をほれぼれと見つめる姿を懐かしく思ったのは、どこで手に入れたかわからない鶴見教授の写真を崇める学生時代の彼を思い出したからに他ならない。右へ左へ写真を繰り、どの写真を見ても彼は可愛い可愛いと惚気ていた。彼女も幸せ者だ。この姿を動画に撮って見せてやりたい。知らぬ女に悩みを溢して酒を飲む彼を見て、嫉妬するタイプだろうか。きっと彼を理解し、責めることもしない子だろう。鯉登に呼び出される度に彼を「間男」と呼んで静かに嫉妬するどこかの男とは大違いだ。
 そろそろ面倒になってきた。いい時間にもなってきた。
「鯉登、そろそろ帰ろう。今ならすぐにタクシーもつかまるだろうし。」
「む、」
 黙ってクレジットカードを私に手渡すくらいの冷静さは残っているらしい。彼の荷物を纏め、無理矢理立たせる。ぼんやりとした鯉登を見ていると、ふと庇護欲に駆られるが気の迷いだ。
 手早く会計を済ませ、温い風の吹く店の外でタクシーを探す。少し歩かなければなるまい。隠れ家的居酒屋というのは、こういうときに困る。
「真面目な話、鯉登みたいな男はさ、正面きってプロポーズした方が良いと思うよ。」
「そうか…。」
 私が彼に力を貸すことはない。その気になればなんでも自分でできてしまう男だ。今だって、どれだけ酔っていても自分の脚で歩いている。恋愛だって、きっとそうだったはずだ。私に何が出来たと、何を期待していたというのだ、鯉登。心の安定剤のように私を扱うんじゃない。
「サプライズが苦手な女もいるし。」
「そうか…」
「突発的に思い立って逆プロポーズしちゃうような女もいるわけ。」
「それは、苗字の実話か?」
「よくわかったね。だからさ、私もう苗字ではないんだよね。」
 聞いてないぞ、と怒ったような口調に変わる鯉登に、私は「おや、意外な反応だな」としか思わなかった。言ったところでどうなのだ。腐るほど私に恋愛相談してきていた男に結婚を祝われたら、癪だ。こいつは何一つ、私を理解しちゃいない。
 夜の暗さの中では些か鮮やかに見える、黄色が前から迫ってくる。鯉登の荷物を持った右手を庇い、必死に左手を挙げた。するりと我々の目の前に停車したその車に、曖昧な怒りを燻らせた鯉登を押し込む。荷物も忘れず放り込んだ。
「苗字は乗らんのか。」
「尾形に迎えに来させてる。もうじき来るから大丈夫よ。」
「そうか。」
「次に連絡寄越すなら、」
「結婚の報告だな。」
「わかってるなら、その不細工な顔どうにかしてさっさとキメてきな。」
 鯉登の家のある方向を運転手に伝えてやる。断絶にも似た音を立てて閉まる扉を憎たらしく思い、闇に紛れていくタクシーを睨むように見送りながら、私はぶつけようのない感情を奥歯で噛み潰した。
「不細工な顔はどっちだかなぁ。」
「…いつから居たの。」
「せっかく店の前で待っててやったのに、この嫁さんは気付かずに間男サマと歩き出すんだから、さすがの俺も傷ついたぞ。」
 にまにまと笑いながら、返答も待たずに私の腕を引いてさっさと帰り道を進み出す尾形が、これっぽっちも怒ってないことなんか分かりきっている。嫉妬深いくせに、私がどこへも行かないという謎の自信があるらしく、余裕綽々なのだ。矛盾だらけだ。
「今度、」
「なに?」
「俺からサプライズでプロポーズしてやろうか。」
「要らないよ。しかも予告したら意味ないでしょうよ」
 満足そうに口元を歪めた尾形は、私のその答えを寸分の狂いもなく予測していたに違いない。同じように、YES、しか結末がないと分かりきったプロポーズを、鯉登はどうするのだろう。結局サプライズを計画しちゃうのだろうか、それとも不意に言ってしまい慌てるのだろうか。どれにしても、鯉登らしいと思ってしまうのだから困ったものだ。
「……尾形、」
「なんだよ、吐きそうか?」
 っていうかお前も尾形だろって何回言わせるつもりだ、と文句を言いながらも振り返ってくれる尾形百之助という男について、次に会った際には教えてやろう。
「次は結婚報告で呼び出されると思う。」
「そうかよ。」
 婚姻届の証人欄に私の名前書けるかね。
 そう巫山戯て言ったこの口は、未だに掴み切れていない尾形の嫉妬ポイントに引っかかったらしく、手酷く噛みつかれた。
アガペーを踏み潰して愛を語れば。

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