ぞくり、身を這う感覚が耳から走った。何も身に纏わず、バスタブに頭まで浸かる。呼吸だけはしていたいから、顔だけは出して。これが母の胎内に居る感覚に似ていると言ったのは誰だったか。誰だっていい。1人ではあるが、独りではない感覚を疑似的にでも感じられるのがいい。真白の風呂場いっぱいに揺らぐ湯気を眺め、深く深く息を吐き出した。弱音も一緒に吐き出したかったが、どうしても声が形を成さない。
扉1枚隔てた向こう側で物音がする。
「生きてますか、中将殿。」
「死んでは、ないよ。」
自宅の風呂で上官が死んでいた、など、いい気はしないだろうな。そんなことがもしもあれば、なかなかに滑稽だ。
「開けますよ。」
遠慮のない部下は、そう言うより前に扉を開けていた。水面に揺蕩う私の黒髪を見て、ホラーですね、とほざく。そんな作品があったような気がしてくる。
なんという作品だったか、ぼんやりとも思い出せない記憶と戦う私をよそに、彼はバスタブの傍らに膝をついて私を覗き込んだ。
「シャワーの音すらしないから、溺死でもしたかと思いましたよ。」
「…そうか」
「……参ってるなら、そうと言ってください。」
軽口にも乗らない私を見て彼は何かを察したのだろう。優秀すぎるのも困ったものだ。綺麗好きの彼が、濡れた風呂の床に膝をついた時点で気づくべきだった。
本当に、参った。
自身のシャツが濡れるのも厭わず、風呂に沈んだ私を抱えて外に出す。あまりにも鮮烈に感じる、彼の男たる力に悔しい思いが込み上げてしまう。
「何も考えず、沈んでしまえたらと思っていた。」
彼のシャツはどうやらバスタオルより吸水性はないようだ。抱きすくめられたところで、私の身体はびしゃびしゃのまま。
「溺死は苦しいですよ。貴女にそんな死に方は似合いません。」
「どんな死に方なら?」
「爆死。」
生温い体温が皮膚の表面から侵食してくる。耳元で囁かれた言葉に、風呂の湯が入り込んできたとき以上に身震いをした。
「さて、中将、ホットワインを用意して差し上げますから、出ますよ。」
「……ん、」
「…名前さん、聞いてますか。」
聞いているさ。でも、返事は明日の朝起きてからにしよう。
メランコリックスーサイド

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