「あの子ったら、国家錬金術師になるって言ってるんです。」
「いいじゃないですか、好きにさせてやりなさい。」
「でもあの子が、もし戦争なんかに使われることがあれば……私が嫌です。」
「…私は良いんですか。」
「あら、あなたはそれくらいじゃ死なないでしょう。」
「言ってくれますね、困った人です。」
 妙に肝の据わった貴女の娘だって、そう簡単に死ぬわけがない。
 彼はそう思いながら、ああだこうだと不安を巡らす事実上の妻を見やり、微かに笑った。





「その左腕、不便ではありませんか。」
「慣れるまでは。寧ろ、吹き飛んだときの痛みの方が鮮烈で。」
「……それは、それは。」
 明らかに泳いだその視線に、娘は隠すこともなくほくそ笑んだ。飄々とした態度をいつ何時も崩さない父の、動揺した姿など人生で何度見ただろうか。小さな満足と、目の前の前菜で出されたサーモンの脂身が、舌の上でじんわりと広がった。甘い。
「今もまだ、ドクターをしているのですか。」
 ドクター、という言葉について、娘はある種の違和感を抱いていた。いつからかと問われれば、それは間違いなく先の内戦に身を投じていた頃からだ。人の命を救うための術を手に入れたつもりが、その術で以て人を殺した。それが国家錬金術師となった自分の枷であることは重々承知していたが、胸に沸いた疑念は地面に染みる雨のように、床に溢したインクのように、留まることを知らず大きくなった。
 娘が研究者の道を選んだのは、その疑念を食い止める答えを見つけるためだったのかもしれない。
「医者の仕事は、呼ばれたときにだけ。アパートの同階に小さい娘さんの居る女性が住んでいるので、彼女が風邪を引いたときとか。冬に感染症で病院がパンクしたときとか。ある意味では自由業なので、必要なときに必要なだけ働いてます。」
 父は娘の真意に気付いていない振りをした。あの内戦で病んだ者は少なくない。自分の娘がまさかそのうちの1人になるとは思っていなかったのが本音だが、そこで立ち止まるような人間でなかったことには心底安心した。吹き飛んだ左腕には機械鎧を(まぁ、これに関しては彼の非である)、進むべき道にはやはり人を救う術を求め、かつて家族をしていた家に住まっている。
 変化し続けることが万物の理であると頭では理解しつつ、変化しない何かに安心することが彼をまだ人間たらしめていた。
「ところでその服、懐かしいですね。」
「でしょう。置いておいて良かったです、父さんが半端な店に連れ出すわけありませんからね。」
「…私が預かった彼女の遺品は、クローゼットの奥の方に片付けてあったはずなのですが。」
「留守を、預かったのは私ですから。」
 彼の妻であり、彼女の母であった女性が着ていたドレスは娘が冠する名前通りの色をしていた。この国が持ち得ない深い海の底の色に似ている。
 運ばれてきたオニオンスープが、口内の皮肉を溶かして胃に落ちた。
「その言い方、」
「母さんにそっくり、ですか。母子ですから。」
 先天的な、遺伝子レベルの母子の話をしたことはない。後天的な、環境が成した親子の関係が酷く心地よいのだ。
「それより、父さんの話はしてくれないのですか。さっきから私ばかりですよ。」
「貴女は、フルコースを食べながら不味い食事の話を聞きたいのですか。」
「過去ではなく、これからの話を。」
 娘がナイフを立てたポワソンは海老だった。どこかの国では、腰が曲がる海老に準えて長寿の象徴らしいが、状況としては随分と間が悪い。口に含んだその身は甘く、ずっしりとした重みすら感じた。1つの命としての味だ。
 静かに咀嚼を続ける娘を見て、父は「子は親に似る」という言葉について反芻した。無意識だ。海老にかかったレモンベースのソースが、意識を嫌にクリアにさせる。
「北に、向かいます。」
「死にに行くのですか。」
「世界に選ばれなければ、そうですね。」
 ごくり。音を立てて娘の喉を擦り抜けたのは、何も海老だけではないだろう。
「医者の目の前で、堂々と玉砕宣言ですか。」
「可愛い娘に、遺書を遺しているつもりですよ、私は。」
 細められた父の目に、娘は嘘を感じなかった。知っている、この男は嘘を言わない。嘘は、言わない。
「生き残るかもしれないし、死ぬかもしれない仕事をしに行くだけです。貴女だって、経験したでしょう。」
 空になった皿がウェイターに下げられていく。娘はその光景を、父の近い未来を見るようで身体の芯から震えた。
 間もなくして眼前に置かれたヴィアンドは、きっと人と違わぬ生命をしていた筈だ。
「ずっと聞きたかったことが、2つあります。」
「なんです。」
「母さんとは、籍を入れていたのですか。」
 口いっぱいに充ちた肉汁は、幸福の味。迫り上がる訳もない悲しみに、娘はいつか見た戦場を思い出した。
 娘の問いに、父は答える。
「彼女は入れましょうと言っていたんです、でも私が拒んでいました。」
「……なぜです。」
「貴女も知っての通り、私はこういう人間なので。戸籍上で明らかな繋がりが確認されたら、きっと貴女が生きづらいでしょうから。」
 なんでもないように紡がれたその言葉は、娘にとっては拒絶に近かった。血の繋がりなど無くても、などという綺麗事とは裏腹に、世界は繋がりを重視する。分かりきっていたが分からないままで来られたのは、その拒絶によってもたらされた幸福だったのだ。
「そんな顔をしないでください。それで、もう1つ、聞きたいこととは?」
「…父さんは、………」
「はい。」
「母さんを、愛していましたか。」
 ナイフとフォークを下ろし、豊かな睫を抱えた瞳で父を捕らえる。
 その鋭く研がれた剣のような視線をものともせず、父は並々と注がれた赤ワインのグラスを傾けた。遠い国で信仰されている宗教では、どうやら救世主の血らしい。糞食らえだ、と悪態をつきつつ、その芳醇な香りは好ましい。
 救世主がどうとかは知らないが、その色は妻が吐いた血と、淡く色づいた娘の頬に、どこか似ている。父はそう思っていた。
「……名前、」
「…はい。」
「そのドレス、よく似合っていますよ。」
 それが全ての答えだった。






「ハボックさん、煙草は控えてくださいと言いましたよね。」
「げ、見つかっちまった。」
 下肢障害を抱えたジャン・ハボックのリハビリに付き合うこと数ヶ月、名前は彼の喫煙に対する我慢の無さにどうしようもなく頭を抱えていた。そもそも病室どころか院内は禁煙であるし、名前自身が煙たいことを好まない。がみがみと言いたいわけではないが、言わざるを得ない状況に名前は頭痛を覚えている。
 ハボックをよろしく、とマスタングに言われている以上、最善を越えた最善を尽くすつもりである。本人にその気があるのであれば。
「ちゃんと1日1本は守ってるから、許してくださいや、Dr.Kimblee。」
 呼ばれた敬称と名前の重みは、世界中の海を寄せ集めても足りない程なのだ。






「養子縁組、ですか。」
「このまま父さんにもしものことがあれば、私たちは事実上他人として終わってしまいますから。」
「いいのですか、自分で言うのもなんですが、私と戸籍上で父子になればそれなりに苦労すると思いますよ。」
「そんなの、もう慣れっこです。」
 レストランからの帰り道、幼子が甘えるように態とらしく左腕を父の右腕に絡めたら「本当に、困った人ですね。誰に似たんだか。」と言外の承知が返ってきたものだから、娘は嬉しくて泣いたのだ。
onyx

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