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2018.3.14
# Kimblee's day


* * *
 紅蓮の錬金術師 ゾルフ・J・キンブリー、彼の出身は、お世辞にも治安が良いとは言いがたいが風土は穏やかな田舎だった。生まれ落ちたのはそんな地域で名を馳せた名家。両親と何人かの親戚、あとは大勢の家事使用人達。それらに囲まれた生活が、彼にとっての子供時代という名前を持っていた。
 恵まれた衣食住に、充実した教育。理想と謳われるような、穏やかな養育であった。
 だが、その退屈とも解釈できる箱庭に、彼が満足するはずがなかったのだ。
「貴女は、笑いませんね。」
 彼がその一言を発したのは、15や16のとき。声を掛けられた侍女は、やはりそのとおり笑わずに振り向いた。陶磁器のように透き通った肌に刺さるように色づく頬は、2つか3つ年上だと聞いた年齢よりも幼さを引き立たせるが、夜空を過ぎる星が如く流れる瞼のラインが酷く冷たい大人の温度を醸し出す。決して上を向かない口角と、いつ如何なる時も外されない白手袋が、更にその温度を確固たる質感にし、彼の興味をそそる。
「それは、坊ちゃんも同じでしょう。」
 静かに返された声は、嵐の前に吹く生ぬるい風に似ていた。
「私と?」
「その他大勢がどう思っておられるかは存じ上げませんが、私は存じております。坊ちゃんは目が、笑っておりませんよ。」
 その間も休む気配を見せず、侍女は彼の部屋を掃除し続ける。元より本の多い部屋であるから、位置は変えぬように、それでいて埃を残さぬように、この侍女が毎日心を配っていることを彼は知っている。気遣いと優しさは有るのに、その顔に笑みを見せないこの侍女は一体何者であるのか、そればかりが気になった。
 探究心を自らへの疑問に変換されるとは、思いもしなかったが。
「せめて、坊ちゃんが笑ってくださるなら私もそうするのですが、与えられないものを与えるのは性に合いません。」
「こういうことを言うのはあまり好ましくないのですが、主従関係においてその発言はいかがなものかと。」
「あら、私のご主人はあくまで坊ちゃんのお母様です。」
 さも当然のように、否、事実なのだから当然であって然るべきなのだが、悪びれもせずに侍女は言った。
 従者という身分にいながらも、この侍女はしかして頭が良い。彼の母が自らの世話をさせる傍ら、息子の教育係に彼女を就けたのも自然な成り行きであったといえる。
「…等価交換ですか。」
「えぇ、よく復習をされておりますね。」
 文学、数学、教養、あらゆる事柄に長けている侍女が嗜んでいたのが錬金術だった。彼女は、魔法と現実の間に僅かに開いた隙間の芸術だ、と錬金術を評する。無から有は作り出せないが、等価交換の法に則り有を操れると、そう言った。
 彼自身、抑揚のない彼女にそこまで言わしめる錬金術には興味があったし、いざ手を初めれば成る程、これは美しいと感嘆したものだ。
「いずれ、坊ちゃんがきちんと笑えるようになった時には、私めも微笑みを返せるように邁進致しますよ。」
「では、指切りでもしておきましょうか。」
「化学的には何も効力の持たないまじないですが、それでもよろしいのですか。」
「えぇ、プラシーボ効果という心理効果を教えてくださったのも、貴女ではないですか。」
 彼はそう言って右手の小指を侍女に差し出した。仕方なさそうに侍女も右手を差し出すが、約束をしようとしているのに白手袋をしたままなのはよろしくないと、彼は諫めた。直属の主人ではないとは言え、主に素手で触れることに侍女は気が進まなかったが、彼が言い出したら聞かない男であることも承知していたので、言葉に従う。
 そして剥がれた白手袋の向こう側、その掌には月の錬成陣が刻まれていた。





「突然うちから姿を消したと思えば、こんなところで再会するとは…さすがの私も思いませんでした。」
「元々、国家錬金術師になるための貯金目的でやってた仕事なので。」
 極寒の国境地帯ブリッグズにて、啖呵をきりあっている国家錬金術師2人を目の当たりにしているマイルズは、今日は一段と冷え込むように感じていた。
 事情はよくわからないが、柄にもなく紅蓮の錬金術師が怒り心頭のようである。それを見ても尚、白々しい態度で装甲車の整備をしている同僚は、やはりブリッグズの女である。少々のことでは動じない。
 火薬に一際詳しい彼女は、国境を任されたこの地で戦うための即戦力であり、文字通りの導火線であった。
「……国家錬金術師名簿に貴女の名前は見つけませんでしたよ。」
「あぁ、偽名で仕えてましたから。何かあったときに追いかけられちゃ、堪りませんもの。」
 紅蓮の錬金術師の額に青筋が走る。面倒ごとを起こさないでくれ、とマイルズは心中祈るが、祈る神などとうにないことを思い出して気付かれぬように溜息をついた。
 整備を終えたらしい彼女は装甲車より降り、真正面から紅蓮の錬金術師を見据える。
「しかし、そのご様子では、まだ暫く笑顔は見られそうにありませんね、坊ちゃん。」
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ、名前」
 それは懐かしい名ですね、と呟くと同時に身を翻し去って行く彼女の声色は、過去に聞いたどの声色よりも優しく思ったが、笑みをたたえていたかどうかは終ぞ分からなかった。
「……彼女とは、どういう関係だ。」
「私に錬金術を教えた張本人ですよ。」
 わざとマイルズに怒りを植え付けさせるような物言いをした瞬間、紅蓮の錬金術師は、彼女に言われた「まだ」を実感して心底悔しい思いを募らせたのである。
左様ならば再会は地獄にて

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