※Song by Inugami Circus Dan

 私の記憶が始まるのは、周りから「子買い小屋」と呼ばれていた小さなぼろ屋敷からだ。
 物心つくより前に両親は居なかった。恐らく捨てられたところを、子買い小屋の女主人に拾われたのだろう。そう推測したのはおよそ6つの時だ。
 子買い小屋には同じような境遇の子供が常時20人近く居た。乳飲み子から、最も年が上で15歳くらいだっただろうか。どの子も気付いたときには小屋に居て、気付いたときには居なくなっていた。わかるだろう、買われて行ったのだ。どこからともなくやってきた大人に。
 言うまでもなく合法ではない方法で人身売買が行われていた「子買い小屋」では、当然のように売春を教えられた。言葉を話し、上目遣いを覚えられる歳になれば、それが教養だと言わんばかりにオトコを悦ばせる術を叩き込まれた。男児も女児も関係なく、持ちうる四肢も穴も全てを使って。
女主人は私たちに言った。「身体を売るだけの卑しい子どもたち」と。能動も受動もなく、幼い私は、私たちは受け入れるしかなかった。女主人の言葉を、張り詰めた欲望の塊を。

 そんな子買い小屋での生活に終止符を打つ方法は、私たちの世界において1つしかない。買われるしかないのだ、裕福な大人に。
 しかし私はその薄皮のような救済を受けられないことを知っていた。他の子どもたちに比べて可愛げがないことは、とっくに知っていたのだ。だから色目当てでやってきたオトコ達からの指名が、他と比べて極端に少ないことを含めて、買われることは不可能だと思っていた。
 なのに世界は逆転した。
「この世で自分が一番不幸だと思うのはやめなさい。」
 すらりとそびえ立つ白い男は、見た目にそぐわぬ力強い手で私の腕を引いて子買い小屋から連れ出した。小屋の前では腕を組んだ女主人が、不機嫌そうに私を見やってからすぐに中に入った。どうやら私は大金と引き替えに、この男に売られたらしい。ようやく状況に納得できたのは、男の自宅だという場所に連れてこられた頃だった。
 どさり、と音を立てて床に置かれたボストンバッグには、慌てて詰め込んだ私の持ち物の全てが入っている。麻でできた粗末な服が数着、たったそれだけ。そのバッグは、力なく地に伏せた餓死した人間のようだと思った。内臓だけがどうにかこうにか詰まっているだけの、骨と皮の物体。そんなようなものに見えた。
「なんで、私なんかを…」
 もっと可愛らしくてカラダの具合の良い娘など幾らでもいた(と、客のオトコ達は常々言っていた)。そう暗に言えば、男は嫌悪に満ちた目で私を見た。その目は女主人や、なかなか固定の客が付かない私を嘲笑う他の娘達の目に限りなく似ていて、あまり良い気分ではなかった。ただ、それでも叱り飛ばされたりしないだけ、ここは凄く居心地がいい。
「出来合いのもので満足できる人間と、一から自分で造り上げなければ満足できない人間が、この世には居ます。」
「はぁ。」
「私は、後者です。」
 どこか胡散臭さを感じさせる見事な笑顔と共に差し出された、温かいミルクココアは美味しかったけれど、死んだ方がましだと思うくらい殴られた夜に吐き出した血の色にも似ていた。

 一から自分で、と言ったのは本当だった。痛い痛いと泣き喚く私を、飽きも呆れも見せず、なんとも楽しそうに毎晩抱いた。身なりも言葉遣いも至極丁寧で、よくわからないけれど世間的には良い身分であろう男が、歳の数10を越えたばかりの少女を抱くのは背徳的な快楽だったのだろう。小屋に来た男のように、私の首を絞めてからでないとイけないとか、吐瀉物に塗れた女にどうしようもなく欲情するとか、そんな異常性癖はなかった。ただ、ただ、私が痛がろうと善がろうと、一定の感情と律動で私の身体を揺さぶるだけだった。その行為が、広く世間で言われるところの「大事にされている」だったのかは、今でもよく分からない。
 そうやって日々を過ごす中で、男は私に学をつけさせた。本来、私の年齢ならば習熟していることですら、私は何も知らなかった。文字の書き方も、計算のしかたも。何もかも。育った場所が場所だから、男も覚悟はしていたようだが、私のあまりの学のなさには流石に呆れていた。アルファベットに算用数字を叩き込まれ、発音も矯正された。山のように積まれた本の上から下までを音読し、近くのマーケットまで1人でおつかいにも行かされた。無事に家に帰って「ただいま」を言えたときには、知らず知らずのうちに涙が溢れていて、男は仕方なさそうにハンカチで私の顔を乱暴に拭った。
「ただいま、が言えるようになったなら大した物です。」
 そう言った男が質の良い青い服越しに抱きしめてくれたものだから、ただ漠然と「帰るべき場所ができたのだ」という安堵感から、また泣いた。



 それは突然だった。眼下に出来た赤い水溜まりを、私は本で読んで知っていた。正しい単語と発音で、来たるべき日が来たことを男に伝えれば、なんとも呆気ない終わりが告げられた。
「今日限りで貴女との関係も終わりです。荷物を纏めて出て行きなさい。」
「……は?」
「聞こえませんでしたか? 少女ではなく女性になった貴女に興味はありません。」
 私は何か勘違いしていたのだ。毎晩のように男に抱かれていたことで、恋人や、あるいは多少倒錯した父娘のような関係なのだと。そんなはずがない。売春宿で身体を売らされていた10歳に満たない少女を大金を叩いてまで買って、剰え毎夜その身体を暴いたのだから、まともな感性であるはずがないのだ。充ち満ちたぬるま湯のような毎日によって、私の小さな脳味噌はふやけてしまっていたに違いない。
 いっそ泣き喚いてやればよかったのだろうけれど、生まれもった可愛げのなさによって、大人しく部屋の隅に放置されたボストンバッグに荷物を詰める私だけが居た。
 これからどうやって生きていこう。幸いにも文字は読めるようになったし、難しい計算だってできる。あの頃とは違った意味で、大人の顔色を伺って可愛がられることもできるようになった。まだ少し寒いからセーターは持っていこう、厚めの靴下も。少しかさばって重いけれど、お気に入りの本を1冊持っていこう、きっと心の拠り所になる。あとは地図とペン、コンパス。当てもなく進むならきっと必要だ。あと、それから…。
 当面必要そうなものを部屋からかき集めているうちに、持っていたボストンバッグ1つじゃ到底足りないことに気付いた。はち切れんばかりのバッグは、あの日のように餓死した人間にはどうにも思えやしなかった。沢山の血と肉と思い出の詰まった、生きた人間にも見えなかった。きっとその「生きた人間」は既に「私」になっていたのだ。あの男の手によって。それが何より嬉しくて、そして私を捨てた両親より憎く、また、行き場のない愛しさを孕んだ。
 麻製の貧相な服はとうに捨てた。今じゃ温かい洋服を与えられている。だというのに、まるで夜、まっさらなシーツの上に投げ出された裸体のように、酷く凍えそうな私は一体誰なのだろう。どうか、私の名前を呼んでくれないだろうか。最後に、一度だけで良いから。
裸のマリー

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