「次は連絡入れてからおいで、そうでないと茶菓子の1つも出せないから。」
 東の大国・シンで学んだ錬丹術を持ち帰ったアルフォンスはその足で名前の家に訪れた。連絡を入れる手段がなかった、というのは全くの言い訳でしかなく、彼は1分1秒でも早く、彼女に学んだ術の全てを伝えたかったのだ。結果として名前には苦笑いをされながら、安物の茶を出される羽目になった。
「で、シンはどうだった?」
「なんていうか、すごかったです。錬金術と基礎は同じなんですけど、想像以上に錬丹術は神秘的っていうか…。あとご飯は美味しかったし、文化も見たことないものがたくさんで、」
「落ち着いて話しなさい、私は逃げないから。」
 シンで見たモノ、聞いたモノ、余すところなく名前に伝えたいとアルフォンスが思うのは、同じ錬金術師相手であるからだろう。そして何より、いつか見た信念の強さを、彼女の瞳の向こう側に感じるからだ。
 最後に会ったのは彼女の養父から預かった品を渡しに来たあの日だ。部屋一帯を埋め尽くす本の数は更に増えているが、化学より医学に精通した物が数を巻き返しているように見える。以前、殆どが父の本だと名前より聞いていたが、時が経ち、彼女の持ち物がそれを侵食しているのだろう。
 アルフォンスは酷く安心した。数年前の動乱の中で苗字名前という女性は、どこか不安定な存在であったからだ。元軍人の医療系国家錬金術師で、イシュヴァールで片腕を失い機械鎧の身。果ては自らの養父と敵対した(この事実は後に知ったものであるが)彼女は、あの闘いの中で一際異質なものだったように記憶している。その彼女が、彼女自身を象徴する“医学”を根として、この家に住まっている。人が聞けば、何も特別なことではないと言うだろう。しかし、特別なことではないからこそ、アルフォンスの中にあった苗字名前という存在が実体を持った。
「名前さんから頼まれてた、シンの錬丹術と医療に関する書物は、後日ここに届くように手配しました。」
「そんなにたくさん持ち帰ってくれたの?」
「はい、きっと名前さんが興味あるだろう、って思って手に入れ始めたら止まらなくて。」
「馬鹿だなぁ、自分の研究もあるだろうに。」
 それでも、シン国でのアルフォンスは名前の専門分野に対して真摯であった。痩せ衰えた姿で戻ったアルフォンスのリハビリに、匙を投げず付き合ってくれたのが名前だったのだ。
「名前さんには対人造人間戦でも、そのあとの僕の身体のことでも、沢山のことでお世話になりました。だから、これは、」
「私がアルフォンスに与えた10に、アルフォンスの1が上乗せされたモノ、かな。」
「はいっ」
 そう、と満足そうに名前は笑った。明朗なアルフォンスの肯定に、彼のシン国での経験が非常に良いものだったことを確信していた。



 専門の話もそこそこに、2人はこの数年間の話をした。
 アルフォンスの兄・エドワードと、彼らの幼馴染みであるウィンリィの間に子供が生まれ、つまり彼が叔父になったこと。共闘した友人、リン・ヤオの皇帝っぷりはなかなか目を見張るものだったこと。アメストリス国との交流も盛んになっており、新たな文化が創生されていく様を垣間見たこと。
 名前の研究実績が評価され、下半身不随となっていたジャン・ハボックの治療及びリハビリを専属で行っていること。その課程でアルフォンスが持ち帰ったシン国の医療技術がきっと役に立つだろうということ。そして、正式な手続きをして、今は養父の姓を使用していること。
「じゃあハボック少尉、少しずつ良くなってるんですね!」
「うん、劇的にとはいかないけど、それでも少しずつね。まるで君たちみたいに。」
「そう言われると照れますね…」
「きっと大丈夫、ってことね。」
 名前は右腕に敷き詰められた錬成陣をアルフォンスに掲げて、国家錬金術師を信じなさい、と言った。その言動はまるで彼女の父親とは程遠く、アルフォンスは思わず吹き出した。その反応に恥ずかしさを覚えたのか、名前も苦笑を溢した。



「兄さんも帰ってきてるみたいだから、暫くはリゼンブールで研究に没頭する予定です。」
「なら、荷物が無事に届いたら電話を入れるようにするよ。」
 玄関先で別れを惜しむようにそう言葉を交わした。
「……今度、良かったらリゼンブールに来てください。ここみたいに色んなものはないけど、あなたに見せたいものがたくさんあります。」
 鎧だった時よりも目線の近くなった、しかしそれでもなお彼女の切れ長の目を見下ろす形にならざるを得ないアルフォンスの金の瞳は、蜃気楼のように揺れている。名前はそれを見て、いつか見た爆煙を思い出していた。今はもう朽ち果ててどこにもない左腕が、どうしようもなく疼いた気がした。
「そうだね…ここのところずっと仕事ばかりしていたから、小旅行もいいかもしれない。」
「身体は大事にしてくださいね。」
「目の前の仕事に没頭しやすいのは父より先に母から譲られたものだから、不治の病かも。」
「医療専門の名前さんが言うと冗談に聞こえません。」
 アルフォンスの口調は、言葉に反して穏やかだった。
 そのまま言葉に詰まり目線を泳がせたアルフォンスの目に飛び込んだのは、前回訪れた際にも見た写真。それはほんの少し色褪せたように見えた。その中でまだ残っているものは、たとえばホーエンハイムがアルフォンスやエドワードに遺したものと同じ色をしていた。そしてその傍らに置かれた、馴染みのある銀時計が2つ。
「…名前さん、これ、」
「おや、見つかってしまったね。」
 思わず探りを入れてしまったアルフォンスは、あの日と、あの人と何も変わらぬ意地の悪い笑顔を見てしまった。
 かと言って、後悔はしなかった。そうやって規格外だった人間の、人間らしい側面を見て、また彼は安心を覚える、とことん標準的な人間だと思い知った。肉体の一欠片も遺さず逝った彼女の養父の、あまりに彼らしい形見だった。
「面白いだろう、あんなに世界から零れ堕ちたような男が、血の繋がらない娘に自分の証を遺して。」
「いいえ、すごく、いいと思います。すごく、キンブリーさんらしい。」
 私も今は「キンブリーさん」なんだけどなぁ、と顎に手を置いてぼやき、反応に困らせる名前を見て、こういうところは似ていないなと新たな発見をして、アルフォンスは帰路についたのだった。
こどもたちの二足歩行

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