全てが終息してから2年。
 キング・ブラッドレイ死亡につき東のグラマン中将がその席に着いた。子息・セリムについてはブラッドレイ夫人に引き取られ、現在問題なく成長。また、陰謀に荷担していた軍の関係者の処分は粛々と決定、実行されている。いや、少し今のは語弊がある。私が実行した、
 シン国の少年、リン・ヤオは無事に皇帝の座を手に入れたらしい。イシュヴァール政策を良い方向へ導くロイ・マスタングと共に面白い動きをしているそうだが、そこは私の関与するべきものではない。結果のみを楽しみにしている状況である。
 北のオリヴィエは相も変わらず鉄壁でいるようだ。何の心配も要らない。
 激動のアメストリスを見据える中、エドワード・エルリックが中央司令部でグラマン現大総統が空けた「中将」の椅子に座る私を訪ねていた。
「そうか、また旅に出るのだな」
「ああ、まだまだやらなきゃならねぇことが山積みだからよ」
 生身の右手を握りしめ、勇ましい金色の瞳を輝かせる青年は先の戦いで幾分も強くなったのだろう。その強さは私が持ち得なかった類いもので、これからも獲得はしないのだろうと思う。だが、それでいいのだ。こうして若い者が成長していく様を見るのは、面白い。
「そうか、身体を取り戻すだけが終わりではなかったんだな」
「おうよ。寧ろ、これからってかんじだ」
 幸運にも棚に残っていたチョコレート菓子を紅茶と一緒に差し出せば、嬉しそうに口にした。勇敢な錬金術師も、まだまだ食べ盛りの子供のようでなんとなく安心する。
 エルリック兄弟は二手に分かれて、また旅に出るという報告と合わせてお礼周りをしているらしい。弟のアルフォンスとは2年前、ほんの少し会話をしたかどうかという付き合いではあったから、必然的に兄のエドワードが私の所に来たのだろう。しかしながら「アルもちゃんと少将…じゃねーや、中将に礼言いたかったみたいでさ」と律儀にエドワードに手紙を託していた。思わず、この紳士っぷりは女を泣かすなぁ、と笑った。
「ここまでしてもらえるほど、そんな大したことをした覚えはないのだがなぁ」
「大したことはしてもらったぜ、セリムと戦闘したときによ。びっくりしたぜ、あんたも錬金術使えたとはな」
 あぁ、そんなこともあったな。ぼやくようにそう言えば、エドワードは「そんなことって、あんたなぁ…」と呆れた顔を見せた。


 
 あの日、セリム坊ちゃん…否、人造人間・プライドのもとから木偶になってしまったキンブリーを回収したあと、医療系の錬金術師に奴を引き渡した。助からないならせめて楽にしてやれと言った気がする。力なく垂れ下がる陰陽を刻み込んだ掌を見やれば、久方ぶりの感情が胸の内で沸騰する。色を付けるなら、これはそうだ、まさしく紅蓮。彼を腕に抱いて移動したからか、それともその際に大量に付着した彼の血液がそう思わせたのだろうか。それはもはやどうでもいいことだった。
 一方で時間がないことを承知していたので、その鉄臭いその身体のままで中央に行った。そしたらなんとまぁ、見知った街が全壊しているではないか。景観がよろしくない。直すのにどれだけかかるだろう、と頭が計算を始めたが、おっとそれどころではない(なんなら、直さねばらぬ結果に落ち着くかどうかすら、その時は不明だったのだ)。
 事前にエドワードから聞いていた事の概略を思い起こし、地下に潜った。湿った空気感が、不快だった。反響する様々な音が、彼らの居場所を明確に示してくれる。その中には憎い声も混じって聞こえた。私の大事な友人に酷いことをしてくれた男。あのハインケルという獅子と合成された男ではない。彼は使命と本能に従ったまで。その2つによって死ぬのなら、キンブリー、圧倒的に君の負けだった。私が許せないのは、軽蔑すべき傲慢なあの男。
 再び相まみえたその傲慢は朽ちる寸前で、エドワードの身体を乗っ取らんと必死だった。やはりその傲慢さは鼻につく。それどころか酷く腐敗した香りがする。お前がエドワード・エルリックの器に入るなど、傲慢も良いところだ。

なんと、美しくない。

「セリム・ブラッドレイ、君を紅蓮の名の下に断罪させてもらう」
 何度だって見たあの陰陽を、持ち主から流れ出たその朱で、掌に描いた。乾いた音を立てて両の掌が合わさり、青い光が周りを包んだ。鮮烈な爆音の向こうで、エドワードが私を呼ぶ声を聞いた。錬成反応が収まると同じ頃、セルロイド人形のように形を失ってゆく人造人間。その様は、いつだったかエンヴィーを幾度と殺したときよりも呆気ないものだった(そういえば彼はどうしたろう。二度と私に会いたくないと残して去っていったが)。
 あまりに静かな彼の終わりに、私は正直拍子抜けした。
「人の命とは、本当に呆気ないものだな」
 無意識に口から零れた言葉に、エドワードは何も返さなかった。



「俺、キンブリーのど派手な爆破しか見てなかったけど、あいつの錬金術であんな必要最小限の爆破できたんだな」
「いや、私が必要最低限しか身につけなかったからだ、あいつの錬金術を。エドワードから協力を要請されたあとに、護身程度になればとあいつが残してあった研究書を漁って取り急ぎ身につけただけの術だしな」
「…それであのクオリティかよ………中将、あんた今からでも国家資格とったらどうだ?」
「そんな暇ないね、コレでも結構忙しいんだ」
 知らぬうちに冷め切った紅茶を口に含めば、寒くて鳥肌がたった。
「話を変えるが、ウィンリィ嬢たちは元気かい?」
「おう、今日も元気に機械鎧に向かってたぜ」
「リンは皇帝になったようだし」
「そういえばあいつから飯代返してもらってねーんだよな」
「今なら利子付きで返して貰っても罰当たらんだろうな」
「ははっ、言えてるぜ」
 穏やかに笑う彼を見て、心の底から安堵する。
 私が夢見た人が無闇に死なない世界は、割と近くに形成され始めているのだ、と。
「ん?なに笑ってんだよ、中将」
「いや、ね、幸せそうで何よりだと思って」
 机を挟んだ向こう側に座るエドワードは、露骨に意味が分からないと顔を顰めた。きっと彼はこれから知っていくのだ。また旅をして、ウィンリィ嬢と未来を歩み、そうすれば新たな命を芽吹かせる。そのときに、その小さな命にどんな形でも良い、幸せになってほしいと願う気持ちを。私が信念を貫くことで、鮮やかに笑った男がいたように。
「君達のような若者が生きていく未来を守ったんだ。幸せになってもらわなきゃ困る」
 しかし、新しく紅茶を淹れようと立ち上がった私を引き留めるかのように、エドワードから厳しい言葉が放たれた。
「それは違うぜ中将。未来を生きていくって言うなら、あんただって幸せにならなきゃいけねぇだろ」
 真っ直ぐな瞳は、私が彼の視線から逃げられないように私を射止めていた。
 こんな傲慢はあってもいい、心地の良い、どこか懐かしいものだった。
「なんというか…錬金術師はたまに『対価を払ったんだからこれくらいはしてくれ』っていう等価交換理論を押し付けてくるから面倒だよな」
「…それ、俺だけのこと言ってるんじゃねーな?」
「さぁ、なんのことやら」
 仕方なさそうに口角を上げるエドワードには、内心を読まれているのだろう。隠すつもりもないから構わない。そこでふっ、と視線を逸らしてから彼は口をまた開いた。
「俺、最初『なんであんたみたいな人がキンブリーを部下にしてたのか』って思ってた。だけど違うな、『あんたみたいな人だから、キンブリーが、上官として認めてた』んだな」
「因果性のジレンマだな」
 そうかもしれないな、と前置きした上で私も続ける。
「君たち科学者にこういうことを言うと怒られそうだし、事実私も信じない性質だけども、もし前世というものがあるのであれば、血の1滴や2滴は分け合ってたように思うよ」
「うげっ、それは勘弁してくれよ。あんなサイコパスだかソシオパスだかわっかんねーやつ、1人で充分だ」



「陰口は本人の居ないところで叩くものですよ、エドワード・エルリック」
 ノックもなしに部屋に入ってきた男を確認するため、入り口を背に座っていたエドワードは音が出る勢いで振り返った。そしてあからさまな嫌悪を、隠そうともしないで喚く。
「ほんっっっっっっと、なんっっっっっっっでテメエが生きてっかなぁ!!!!!!」
「私の知り合いに腕の良い医療系国家錬金術師がいたおかげかな」
「間違い有りませんね」
 手負いの獣のように吠えるエドワードを、熱い紅茶で牽制するとどうにか落ち着きを取り戻した。青い軍服を着るキンブリーを、非常に恨めしそうな目で睨むのは止めやしないが。
「……身体はもういいのかよ、喉笛噛み切られたってアルから聞いたけど」
「ええ、まぁ、傷跡は残りましたが気管も声帯も無事です」
「ただ、医者から、人間ポンプはもうやめとけ、ってさ」
「中将」
 諫めるような目と声は無視して、エドワードの背後に立ったままのキンブリーに一声かけて私の横に座らせた。
「どうやって軍に戻ったんだよ」
「知りたいか?」
「それはもう、腹が立つほどにな」
 音を立てて紅茶を啜るエドワードの目尻がぴくりと動いた。どうやら熱かったようだ。
 確かにあれだけの国家大逆を行ったゾルフ・J・キンブリーが再び軍に戻るなど、あってはならない事象である。そもそも、彼は元々上官5人を殺害して投獄された身だ。エドワードが今のこの状況を訝しむのは当然であるし、10人いれば10人どころか20人が不審に思うこともまた当然だ。
 その疑問を払ったのは他でもないキンブリーだった。
「苗字中将を人質にとられたため、仕方なく人造人間側に荷担していました」
「はぁ?んなの誰が信じんだよ」
「確固たる証拠を引っ提げて、軍法会議で認めさせた」
 几帳面なキンブリーが研究書と共につけていた暗号化された日記。私と出会う前よりつけられていたそれには、彼が今に至るまでに何があったかが全て記されている。紙やインクの劣化具合、記されている日付と事実の照合、筆跡鑑定、以下諸々。
 あることないこと、こじつけにも近い箇所はあったものの、最終的には元大統領補佐官に減刑を条件に色々と言質をとらせたのが効いた。
「………中将、俺、あんたが仲間についててくれて心底良かったと思ったぜ」
「正直、この1件を終えて、私も敵に回したくないと心から思いました」
「そりゃあ、光栄だね」
 最後の1つになった菓子を遠慮を見せず口に放り込んだエドワードは、よし、と掛け声をつけて立ち上がった。もう外が薄暗くなっている。もう少し早く帰してやるつもりだったが、かなり話し込んでしまった。ウィンリィ嬢も心配していることだろう。
「ま、生きてるに越したことはねーや。旅先で面白ェもんあったら、連絡するよ」
「あぁ、楽しみにしているよエドワード、道中はくれぐれも気をつけて」
「おぅ、あんたらも無茶すんなよ」
 それは彼なりの餞別に聞こえた。最高に彼らしい言葉だ。





「こうも簡単にいくとは、さすがの私も驚いているよ」
「嘘おっしゃい。首がズタズタの私の見舞いに来た時、貴女なんて仰ったか覚えてないんですか」
 私とエドワードが使った茶器を片付けるキンブリーにそう声をかければ、なんとも皮肉な答えが返ってきた。こんなに穏やかな執務室はいつぶりだろうか。言うまでもなく戦前以来だ。この部屋に、また私とキンブリーが揃う日が来るとは、思ってもみなかった。あり得ないと思っていたのだ。
 だが、言い聞かせるかのように強欲に与えられた言葉を思い出す。
『あり得ないなんて事は、あり得ない』
 この世界の真実の1つを教えてくれた彼に、私からも何か教えてやりたかったのだが、その名に反する“満足”を覚えて彼は消滅したらしい。しかし、彼はその強欲さ故に手に入らない筈の“満足”を手に入れられたのだと考えれば、私から教えてやることはもう何もなかっただろう。
「さて、なんと言ったかな。もう歳かな、覚えていない」
「ご自分の年齢までお忘れですか。私より幾つ年が下だと思っているんです」
 呆れた声色の割に、その表情はなんとも楽しそうだ。自隊の人間を端から端まで、経歴も合わせて諳んじるような私が、そう簡単に記憶力をすり減らすなんてことはない。それを彼は知っているからだ。
「『お前、昔から嘘は得意だろう。私のために、ひとつだけ嘘をつけ。いいね。』、そう仰いました」
「そうか、そうだったね」
 そう言いつけたときの、血の気がなく青白い顔のキンブリーは、いつにもまして楽しそうに笑っていたことを思い出した。そうやって私の真意にすぐ辿り着くこの男を、私はやはり気に入っている。
「私は言われたとおり、きちんと嘘を突き通していますよ」
「あぁ、無論、知っているさ」
 エドワードに話したことには、何一つ偽りはない。
 不意にかち合ったキンブリーの青い瞳は、数十分前に逸らすことの出来なかった金色とは違って、深淵を携えている。私は堪らなくそれが好きだ。どこまでも堕ちていけそうで、そしてなにより、それを許される気がするから。
「さて、イシュヴァール戦開始から“約束の日”までのお前は死んだ。私と誓った嘘をついた日からのお前の人生は私が責任を持つ。だから、生きてここにいられることを噛み締めておけ」
 これは命令だ、と、私はその青い目を捕らえて言った。
 けして逸らすことなく、いっそ抱え込むように目を細めて彼は答えた。
「Yes,ma'am.」



 生きていくために、そして彼を生かすために、私はずっと嘘をついてきた。だから今更、立ち止まることはない。しかし、なんというか、残念なことに、私と彼は今まで以上の、具体的に言うならば国家と国民を欺く大嘘をついた。それは揺るがない。これはもう2人して墓まで持っていくべき事実だ。このぬるま湯のように平和になった世界は、そんな事実を知らないまま続いていくべきなのだ。
 だから、何が嘘で何が真実か、それを知っているのは。
たったふたり

back

top

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -