「まだ起きてたのか。」
「迎えの要請が来るかと思いまして。」
 その夜、苗字名前が自宅に戻って最初にした会話はそうであった。普段は一人暮らしをしているものの、時折こうして一言では言い表すことのできなくなった関係の男が上がり込んでいる。ひとまずは“部下”と言ってしまえばいいのだが、時として共のようであり兄のようであり、そして恋人のような男だった。
 悪びれもせず、贅沢をして買った2人掛けのソファに横になり、剰え足を肘置きに投げ出しているその男は、そのくせして「新年会」に出かけていた名前の連絡を待っていたという。その手には分厚い、恐らく錬金術について記された本があった。
「他の将軍がごろごろいるような飲み会だぞ。迎えになど来させられるか。」
「これでも心配してるのですよ。若き女准将が“新年会”を証した飲み会で、他の将軍共にどんな吊し上げに遭ってるのかと思うと、それはもう。」
「……」
「その顔は図星ですね。」
 ただならぬ関係、と言うには遠いが、表立って言える関係ではないため、これほどに夜遅くなろうと迎えに来いという横暴は名前もできない。しかし、彼、ゾルフ・J・キンブリーの言ったこと自体は事実であったため、二の句は告げなかった。
 もう少し身の程をわきまえろ、という内容をオブラートに包んだり、剛速球でぶつけてきたりする老害の相手をする名ばかりの新年会だった。とは言えど、不参加を決め込むほど社交の分からぬ人間でもないのが、名前の生まれ持ったある種の不幸だ。
「…ソファを空けろ、家主は私だぞ。」
「先に風呂に入ればよろしいのに。」
 手でキンブリーを払い、1人分の座席を確保した名前の身体が重力に沈んだ。今度こそ行儀良く横に座った男からは、嗅ぎ慣れた石鹸の香りがした。
「お前、勝手に風呂使ったろ。」
「今更ですか。」
 なるほど、普段よりラフなスラックスを履いていると思ったらそういうことか。自身の頭の回転が鈍るほどに、今夜の飲み会は疲弊する物だったのだと実感する。よく見れば彼の長髪も、ゆるりとしかまとめてはないではないか。人の家でどれだけリラックスしてるのか、と問い詰めたい気持ちが迫り上がる。が、やはり疲労に負けた。
「本当に疲れた。」
「でもまぁ、結構いいお店だと仰っていたじゃありませんか。土産はないのですか。」
「図々しいにも程が有るな。」
 呆れた表情をわざと造りつつ、名前は革のバッグからあるものを取り出してキンブリーに寄越した。
「……これは?」
「首輪。」
「私に?」
「『お前の飼ってる狂犬に首輪でも付けとけ』だとさ。セクハラで訴えたら勝てると思う。」
 それは今度会ったら無様な花火にしてやらねば、とキンブリーは強く思った。頭を抱えた“飼い主”があまりに気の毒であった。どう言われたとしても彼女はキンブリーよりも幾つも年が下で、本来ならば立場が逆で自身が彼女を庇護する立場でも何らおかしいことではない。しかし現実はそうではない厳しさに、思わず眩暈を起こしそうになるのは当然であった。
 でも、と彼は前置きをして言葉を続ける。
「そうですね、名前さんになら首に輪をかけてられてもいいですよ。」
 真っ赤に彩られた首輪は酷く官能的に証明を跳ね返していた。名前からは、酔ってるのか、と溜息をつかれたが、今晩は1滴も呑んでいないことを伝えると、更に深い溜息で返事をされた。
「私は割と本気ですけどね。」
「なら首を差し出せ。」
「貴女こそ酔って居るのでは?」
「ははっ、そうかもな。」
 軽口を叩きながら彼女の手に戻った首輪は、少し重たそうに見えた。彼女の目は少し充血している。
 安っぽい金具の音が、部屋中にやけに大きく響く。潔く認めたとおり、名前は本当に酔っているのかもしれなかった。名前の目の前に広がっている白く太い喉元に、赤い輪が回る光景に、思わず心臓がどくりと波打ったのだ。平生意識の外にある、彼の「男」たる凹凸に、紛れもなくソレ以上の情が顔を覗かせた。
 ゆるく結ばれた彼の髪が首輪に少々挟まり、それが痛いのかキンブリーは顔を顰めた。
「む、すまん。」
「いえ。」
 異常な光景の中で、どこか事務的な受け答えがあったことがどうにも可笑しくて名前は笑った。その真意に、キンブリーは気付くことはなく、首をかしげただけだった。
「苦しくはないか?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
「気分は?」
「不思議と、良いですね。」
「変態め。」
「お互い様ですよ。」
 にやり、とキンブリーが笑ったのと、彼が名前の襟ぐりを掴んで後方に雪崩れ込んだのはほぼ同時だった。突然引っ張られた形になった名前は、強かにキンブリーの胸に鼻をぶつけた。生理的な涙が溢れる。
「な、にをする!」
「名前さん。主人の帰りを待っていた忠犬には、褒美というものがあってもいいと思いませんか?」
 自然と名前の体重が自らにのし掛かる状況に、キンブリーは優越感を抑えきれずに居る。こうしてみれば、彼女は背負っているモノに比べて随分と小さいのだ。誰にでもねじ伏せてしまえそうなほどに。そう、この首輪を寄越した老将軍でも。
 しかしそれを想像するだけで非常に不快になることは、すでに彼は認知していた。そこまで己の感情に対して鈍感ではない。寧ろ、そういう面で言えば直情型なのではないかとすら思っている。再び肘置きに投げ出された両脚の間に倒れ込んでいる名前に、音が聞こえるのではと思うほどに自分の“欲”がぶつかるのを、キンブリーは感じていた。
 限りない至近距離で、名前の顔が朱に染まるのを見ていた。何を隠すこともなく、可愛いな、とも思った。
「やっぱり酔ってるだろ。」
「しいて言うなら名前さんに、ずっと前から。」
 飼い犬に手を噛まれるとはこのことだな、と、口では言いながらも名前は首の輪を指に引っかけてキンブリーの頭部を引き寄せ、その整った唇から舌を掠め取った。名前はキンブリーの脈打つ欲望を感じつつ、これは2人揃って狭い風呂に入る羽目になりそうだと覚悟を決め、彼の髪の結い紐を解いたのだった。
破棄された血統書

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