戦後の処理に終われている最中、キンブリーが上官殺しで収監されたことを部下からの報告で知った。私という後ろ盾なくそういうことをすれば、こうなることはわかっていただろうに。ということは、彼なりの信念か欲望に従った結果なのだろう。渋い顔をしながら報告をくれた部下、ジークムント・ザイツ少佐には一言「そうか」とだけ答えておいた。
 キンブリーはイシュヴァール殲滅戦の前に、私の部下ではなくなっている。動向は気になるところではあったが、必要以上に干渉できるほどの暇はないし、私自身の地位を考えた際の振る舞いとしては正しいとは言えない。これでいいのだ。
 殲滅戦は我がアメストリス軍の勝利に終わった。その勝利の裏では、敵味方どころか軍人も民間人も問わず、誰も彼もが死んでいった。私の隊の人間も、誰一人として死なさず帰還させるつもりだった。そう、そのつもりだった。
「お言葉ですが、少し冷たすぎやしませんか」
「何がだ、キンブリーに対してか」
「そうです」
 不在の間に少し埃っぽくなった執務室を元に戻す作業の途中、ジークがそう言った。機密書類や書籍を机の中にしまっていく私を横目に、彼は窓の拭き掃除をしてくれている。戦地でも思ったことだが、よく気がつきよく働く男だ。
「ではジーク、この度の殲滅戦において私の隊の者が何人死んだか、知っているか」
「……いえ、そこまでは」
「94人だよ。あれだけ私が尽力しても、守れなかった命が94人だ。だがキンブリーは生きているのだろう。ならば何も哀れんでやることはない」
 早いところ日常を取り戻して、失った94人を弔ってやりたいのだ、私は。重要機密の書かれた書類を棚の最下に入れ、最後に鍵をかけた。後悔とか謝罪とか、失われた命に対して何の意味もない感情に、そうすることができればどんなにいいかと思う。しかしできないからこそ、私は人を殺さぬように、自分が死なぬように生きていくしかないと強く思うのだ。
 それでもなお納得のいかない顔で、雑巾を絞る部下がいる。ならば仕方がない。
「リネー・ランデル、彼は南の方の裕福な家の出身だったがご両親が亡くなった直後親戚に家を乗っ取られて、所謂没落貴族になってな、食い扶持を繋ぐために軍人になった。武術の腕は並だったが、頭の切れる奴で、作戦を上手く遂行してくれた。マクシミリアン・ザスラフスキーは火器の扱いに優れていたから、整備は任しっきりだった。おかげで今回も私の隊で火器による事故は皆無だったな。スラヴェナ・クリシュトフォヴァーはそこら辺の男共よりも勇敢な女性だった。血の気の多い子で、私の作戦を無視して攻撃に出たこともあったが、それが成功したときはさすがの私も何も言えなかった」
「まさか隊の者、全て覚えているのですか」
「当然だ。私の手となり足となり、戦いに出る彼ら、彼女らの名前、生い立ち、どんな話し方をして、どんな考えをしているのか。彼らが愛し、彼らを愛する者の話も」
「さすが、国で一番の軍師と呼ばれるだけありますね」
「うん、だからね、ジークムント・ザイツという男が国軍に在籍していないことも、知っているよ」
 私は机の上の埃を払って、問いかけた。
「なぁ、君は一体誰だ?」
 その一言に、彼の動きは止まった。戦地で座っていた固く冷たい椅子ではなく、革張りの柔らかいチェア。懐かしい座り心地に浸り、頬杖をついて彼を見つめる。目は全く揺らがないが、口を頑なに結んでいる。かと思えば短く息を吐き、そして大きく吸い込んだ。すると、空間に稲妻のような閃光が走り、瞬く間に彼の姿に歪みが生じた。この光景は知っている。
「錬金術とは、なんでもありか」
「頭だけでなく記憶力も良いとはね、恐れ入ったよ」
 布面積の少ない服からすらりと伸びた手足、黒く長い髪、意地の悪そうな表情を選んで作っている、中性的な男が、恭しく頭を垂れた。
「名前は、ジークムント、ではないな」
「エンヴィー」
 ひたひたと音を立てて「エンヴィー」と名乗った男は机に近づき、そしてそのまま机に腰掛けた。私をじっと見据えて、暫し無言の時間が続く。次に何が起こるかわからない静寂というのは、戦場の夜を思い出して良くない。一呼吸次の瞬間には、爆風に飛ばされているかもしれない。背後から撃たれているかもしれない。何が起こったのかわからないうちに、死を迎えているかもしれない。そんな夜を、イシュヴァールだけではなく沢山経験したが、あれは慣れない。慣れたいとも思わない。
「苗字准将、あ、今は少将だったね。慣れないなぁ、苗字少将って呼ぶの」
「あぁ、レイモンドの死に方は、いっそ清々したな」
「ほんとにね」
 あの反吐が出る少将殿の死に方は特筆するほどのことでもない。ただ本当に清々したのだ。それを思い出して、単純に面白かったのだろう。エンヴィーは「Bomb!」と腹を抱えて笑った。
「でさ、物は相談なんだけど、僕たちに協力してくれないかな、その優秀な頭で」
「断る」
「まだなんも中身話してないじゃん」
「碌な頼みじゃないだろう」
「大事な男がどうなってもいいわけ?」
 ゆるやかな光線が目の前で弾け、最後に会ったのは随分と前のような気のする男が現れた。だが、その顔は本人以上に意地汚く思えた。クオリティーが低い。あぁ、でも今は監獄だものな。品の良い顔や肢体も、さぞ衰えたに違いない。面会など行く気もなかったが、落ちぶれた奴を嗤いに謁見するのも悪くはないかもしれない。
 まあ、行かないけど。
 奴が私にとって大事な男がどうかはさておき、これは脅しというものだろう。いつだったか私に銃口を向けた軍曹の目を思い出したが、軍曹の方が本気だった。
「…君はつまるところ人造人間だな」
「ほんとなんでも知ってるね」
「まさか、それ以上のことは知らないし、わからないよ。人造人間の存在も、あいつから拝借した錬金術書で見たことがあるだけに過ぎない」
「へぇ、そりゃすごいや」
「だから感謝するよ、エンヴィー。キンブリーの脳天には一度風穴を開けてみたいと思っていたんだ」
 私のその言葉に目の色を変えて身体を動かしたエンヴィーだったが、その額に私の銃が照準を合わせる方が遙かに早かった。大きく波打ち倒れた「キンブリー」の肉体からは、真っ赤な血液が流れ出る。人造人間も血は赤いのか。これはまた1つ賢くなった。そうほくそ笑んでいる間にも、再生をしようと錬成反応を起こしているソレに2発、3発と鉛玉を喰らわせてやる。制止の声が小さく聞こえるが気になるほどではない。戦争孤児を哀れみ殺したことがあるが、その時の心情と比較するまでもないのだ。
 弾切れになっても、奴が穴だらけになっても、まだ心の内がスッとしない私は、護身用として側に立てかけてあった刀を、起き上がろうとするエンヴィーだかキンブリーだかわからなくなった人造人間の首めがけて刺し込んだ。蛙の鳴き声の方がまだ美しいかと思える程の醜い声をあげて、再び床に伏せる様は愉快だ。
「エンヴィー、あと何回殺せば、君は死ぬんだ?今後の参考のために、ぜひ教えてくれ」
 血溜まりに軍服が沈まぬように上着を脱いで、エンヴィーに近づきしゃがみ込む。その顔色はあまりに酷かった。ぎょろりと私を睨んだその目は、私が倦厭している「恨み」の色をしている。やりすぎたか、と反省はしたが後悔は特にしていない。
「っざけんなよ……人を殺すのを嫌っていたんじゃないのかよ…」
 彼は何か勘違いをしている。私が人を殺したくないのは、人から恨まれる理由をわざわざ作りたくないからだ。恨まれて復讐の対象になったら死んでしまうから。でも私が何をしてもしなくても、彼は元々私に敵意を抱いている。それになにより。
「君は“人”ではないだろう」
「はっ、言ってくれるね…」
 この刀早く抜いてよ、もう何も誘わないからさ。呆れたようにそうぼやいた彼に嘘はないように思えた。その気になれば自分で抜くこともできるだろうに、あえて私に抜かせるのは明らかな「降伏」だった。
 素直に刀を抜いてやる。元通りの容姿に戻るまで数秒も要しなかった。そのあと、不貞不貞しく溜息をつき、「あんたとは二度と会いたくない」と言い捨てて綺麗になった窓から飛び降りて去って行った。
 私が戦争で自隊から失った人数は95人、そして優秀な部下を失った回数は2をカウントした。
直線と消失点

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