全ての闘いが終わった後、僕はとある人とした約束を思い出していた。
「もし私が世界に選ばれなかった際には、ここに住んでいる女性にコレを渡してやってください。」
 ゾルフ・J・キンブリー。彼はそう言って、セントラルから始まる住所が書かれた紙と、四角く小さな箱を僕に渡した。大きな鎧の身だった僕の手には、あまりに小さい箱だった。
「これは?」
 そのとき僕は1人でブリッグスの檻に閉じ込められていた。檻の外から投げ込まれたその箱を僕は大人しく受け取るしかなかった。「爆弾狂」から渡されたそれが、たとえ時限爆弾だったとしても、そうするしかなかった。
 中身を尋ねる僕に、キンブリーさんは言った。
「ナイショ、ですよ。」
 初めて見る表情だった。こんな人でも、こんな優しい顔が出来たのかと思うほど。
「ああ、錬金術で接着してますから、こっそり中を確認しようとしても無駄ですよ。」
 では、と言って部屋を出て行くキンブリーさんの言葉に、銀時計の蓋を接着していた兄さんを思い出した。
「頭のいい人って、なんであぁなのかなぁ。」
 檻の中で1人呟いても、それに応えてくれる人は誰も居なかった。



 さて、そんな過去を思い出しながら僕は今日、セントラルにやってきた。あの時の鎧ではない、生身のアルフォンス・エルリックとして。キンブリーさんとの約束を果たすため。なぜ、敵であった彼との約束を律儀に守っているのか、僕自身も疑問だ。でもあの人が悪人だったか、と聞かれると、即答でそうだと答えることが難しい。
 本分を貫き通す人が好き。そう言う彼が、彼自身がそれを体現していたからだろう。世界の変わる様を見ることを望み、世界に選ばれなかっただけのことと言えば、あまりにそのとおりだった彼の人生だった。
 ならばこれくらいの約束は守るのが筋、ってやつなのかな。
 彼らしい流れるような筆跡で綴られている住所は間違いなくここ。普通のアパートの一室。少し躊躇いながらもノックをした。
 あの人が「もしもの時」を考え、物を渡そうとした相手。どんな人だろう。恋人かな。そうだとしたら意外だな。
 奥の方から足音がする。在宅のようだ。次第にこちらに近づいてくる音に、身構える。
「どちら様?」
 ドアの向こう側に迫った声は紛れもなく女性のもの。僕の中の恋人説が濃厚になる。もしそうだとしたら僕、どんな顔でこれを渡せばいいんだろう。もう鎧じゃないから、表情を気にしなくちゃいけない。
「えぇっと、あの、僕、アルフォンス・エルリックといいまして、鋼の錬金術師の弟で、」
「なんだ、アルフォンスか、久しいね。」
 しどろもどろになりながら名乗る僕をもろともせず開けられたドアの向こうには、少し前に知り合った女性が立っていた。強く、賢く、優しい女性。医療系の錬金術が専門の、緑碧の錬金術師。
「名前さん!」
「よく私の家がわかったね。まぁ、中にお入り。」
「は、はい。」
 知らない人が家主でなかったことに安心し、そして、キンブリーさんとの関係がますますわからなくなった。彼女はたしか、あのとき、キンブリーさんと相対しながら殺し合いをしていたのに。



「なる、ほど……それで、ここに。」
「そうなんです。これを、ここに住む女性に渡してやってほしい、って。」
 あの日渡されていた小さな箱は、今の僕の掌にはちょうど良く収まる。怖ず怖ずと名前さんに差し出せば、すんなりと彼女の手に渡った。結局の所、箱は時限爆弾なんかじゃなかった。
 手の内で箱を転がしながら中身を探る名前さん。中が気になるなら開けてしまえばいいのに、と思うのは、僕もその中身が気になっているからに過ぎない。キンブリーさんが、味方とは言いがたかった僕に箱を託したということはとても大事なモノに違いない。それをまさか僕の目の前で開けてしまうことはない、ということだ。約束を守ったのに、何も褒美がないっていうのも狡いよ。そうでしょ、キンブリーさん。
「…北で僕たちがキンブリーさんと戦闘することになったとき、名前さん、言いましたよね。」
「あぁ、『あの人の錬金術を止められるのは、私だけだ。』って?」
「はい。そして今日、僕はキンブリーさんとの約束を守って、ここにいます。それって、どういうことですか。」
「恋人、とでも思った?」
「正直、初めは。でもそうじゃなさそうだし…。」
「はははっ、素直な人は好きよ。いいよ、隠してたわけじゃないし。ゾルフ・J・キンブリーは私の養父。」
 からからと笑う彼女の顔は確かにキンブリーさんとは似ても似つかない。でも、人の性質を取り上げて「好き」だと主張するところは、どこか似ている。冷静にそう考えながらも、驚きは隠せないでいた。あの人が、名前さんと義理の親子、なんて。確か名前さんの苗字は苗字。まさかそんな答えに辿り着くこと、思いもしない。
 しかも、彼女の機械鎧の左腕は、キンブリーさんが原因だと聞いている。イシュヴァール戦が終わるほんの少し前、キンブリーさんが引き起こした大爆発に巻き込まれたらしい。それでもなお、彼を父と証する彼女には感服するばかりだ。
「ここは元々父の家でね。もっと言えば、私と母と父で暮らしていた家なんだけども。」
 母が死んで、私と父はイシュヴァール戦へ。そして、アルフォンスも知ってのとおり、イシュヴァールから還ったあと父は監獄行き。この家の留守を守るために私は軍を辞め、国家錬金術師として研究の日々。でもある日突然、父が出所してね。そりゃあ嬉しかったけれど、すぐに仕事だと言って出て行った。来たるべき日が近い事を悟ったよ。それを止めようなんて浅ましいことは考えていなかったさ。ただ、父が何をするとしても、それを見届けるのが娘というものだろう。同じ錬金術師として。
 意志の強さというのは、こういうことを言うのだろう。ふわりと香り立つアールグレイが、手元に置かれる。
「それ、みんな知ってるんですか?」
「アルフォンスの言う“みんな”が誰を指しているかは知らないけど、少なくとも軍部にはいないね。苗字はずっと母方の苗字を使っていたし。戦時も少佐と大尉としてしか接しなかったし。」
「そっか…。」
「…いい、父親ではあったよ。人としてはあんなんだったけどさ。」
 娘にすら「あんな」と言われるキンブリーさんが、今更、当然のことなんだけど「人間」だったということに気付く。
「お父さんとしてのキンブリーさんの話、聞いてもいいですか。」
「もちろん。どこから話そうか。」
「じゃあ、最初から。」
 欲張りな僕のお願いに、名前さんは少し笑って言葉を紡いだ。
「昔々、あるところに、」



 紅茶が冷たくなって、空っぽになったころ5時のチャイムが鳴った。
「っと、もうこんな時間か。エドワードが心配するんじゃない?」
「うわっ、長時間居座っちゃってすみませんでした!」
「いやいや、来てくれて嬉しかった。父からの預かり物も、しっかり受け取ったよ。」
 長い長い昔話を終えた名前さんは、食べきれなかった茶菓子をナフキンで包んで持たせてくれた。よかったらエドワードとウィンリィちゃんにも、と。
「こちらこそありがとうございます。キンブリーさんの話、聞けて良かったです。あのままじゃ、ただの“爆弾狂”としてのキンブリーさんしか知らないままでした。」
「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。」
 身支度を調えて玄関に向かう。見送ってくれるのだろう、名前さんもそれに続いた。玄関には写真が飾られている。見たことのある2人と、会ったことのない女性。知らない、3つの表情。
 ざわっ、と心の中が揺らいで、僕の足が止まる。
「どうした?」
「いや、やっぱり、あの箱の中身、気になるなぁ、って。」
 素直に名前さんにそう言って、苦笑する。それでも、きっと彼女は、意地悪そうな顔をして、言うのだろう。誰かよく似た、優しい顔で。
「ナイショ」

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