ロイ・マスタング准将がとある農村を訪れたのは、先の国の動乱の1年と少し後のことだった。
 国土全を巻き込む計画だったため、時間をかけて各地の情勢を見て回っているのであるが、彼の場合は息の詰まるようなスケジュールをこなす司令部での業務の息抜きに視察を挟んでいるとかいないとか。
 それはさておき、視察は視察で重要な業務であるので、マスタングは申し分なくその任をこなしている。相変わらず一般人への聞き込みはナンパ風情にも似ているが、補佐官のホークアイにとっては随分と見慣れた光景になっていた。
「司令部に苦情届かないんすか」
 ハボック元少尉のリハビリを見舞った際にそう問われたが「不思議とないのよ。これもまた手腕と言うのでしょうね」と冷静に答えるくらいには、見慣れている。
「ご婦人、少々よろしいでしょうか」
 小さな雑貨屋から出てきたばかりの婦人を呼び止めて、マスタングはにこりと笑った。軍服を着た男女に呼び止められた女性は、当然のことながら身構えた表情を見せる。だが、マスタングの柔和な表情と、その後ろに控えた凛としたホークアイの眼差しから、怪しい者ではない(少なくとも軍人を装った悪人ではなさそう、という意味において)とわかったらしく、「なんでしょうか」とその身体を2人の正面に向けた。
「突然申し訳ありません。我々、この辺りを視察のために訪れたのですが、先の動乱を受けてご不便があればお伺いしたく」
 中央を出たのは昼前であったが、汽車の乗り換えが不便な地域ゆえに、結局到着したのは16時を回った頃だった。もうじき夕飯時ということもあるため、ホークアイが手短に用件から切り出した。一泊予定ゆえそう急ぐこともないが、収穫は得たいのだ。
「あぁ…なるほど、本当に大変な事でございましたね」
「民間の方々におかれましては、本当にご不安なお思いをされていることかと思います」
 見舞う言葉をかけながら、婦人の答えを待つ。既に信用はされているようだが、不要な不審を招かないために名乗ることも忘れなかった。
 夫人はシュタインベックと名乗った。はた、とマスタングが気付く。
「この辺りでシュタインベック氏、と言えば、家具屋の…」
「えぇ、そこの次男の妻でございます」
「そうでしたか!シュタインベック兄弟と言えば、家具造りの腕もさることながら、奥方もお美しいとかねてからの評判ですから、よく存じております」
「まぁ、口上手なお方ですこと」
 シュタインベック工房の棚が、マスタングの師であり、そしてホークアイの父親の書斎にあったことを二人は思い出していた。無駄のない造りで、なおかつ重厚感はありながらも、その存在は部屋に馴染んでいる。素材も技術もこだわり抜かれた逸品であるから値は張ることが見てわかる程だったが、それでいて余計な高級感は省かれた、そんな棚であったことを覚えている。
 この婦人の見た目から年齢を鑑みるに、その棚を造ったのは先代か、先々代あたりだ。それでも、今もなおシュタインベックの名がアメストリスで衰えていないことから、当代も優秀な職人であることがうかがえる。
「あ、困りごとでございましたね。私はあまりこれといって敏感に物事を考えられる質じゃございませんもので…しいて言うなら、汽車の本数が少ないことくらいしか」
「たしかに、ここに来るまでにかなり時間を要しました。何時間くらいだったかな」
「中央から6時間、乗り換えが3回です、准将」
「ご苦労様です、ふふ」
 その乗り換え本数が身に覚えあるのだろう。婦人はわずかに笑った。細められた目に、マスタングは暫し思案する。
「ご婦人、以前どこかでお会いしたことがありましたか」
 いよいよナンパのようになってきたが、ホークアイも夫人の瞳に既視感を覚えていた。記憶の糸を辿るのを遮るように、夕方の冷えた風が軍服の裾を撫でる。
「いえ、お会いするのは初めてかと存じますが…私が新聞で一方的に准将を拝見したことは、あったかもしれませんが」
「醜聞でないことを祈るばかりです」
 婦人のジョークをジョークで返せば、17時の鐘が鳴った。
「もしまだ聞き込みをされるようなら、近くの酒場がおすすめですよ。少し騒がしく、ゴシップめいた話も多いかもしれませんが」
「ありがとうございます。酒場であれば、もう少し後の時間の方が良いかもしれませんね」
「えぇ、私はもうじき夫が工房から戻るので、そろそろ、このへんで」
「お引止めして申し訳ありませんでした」
「いえ、とんでもないことでございます。軍服を間近で見たのは久方ぶりでしたので、少し懐かしくなりました」
 記憶を辿れども答えは出ず、その一方で意味深な夫人の言葉の真意に思い当たる節がないマスタングとホークアイは返答に困った。
「やはり、どこかでお会いしたことが?」
 先ほど購入した品物を抱えた婦人の腕が、荷物をしっかりと抱え込む。
「いえ、間違いなく私は本日が初めてですよ。ただ、私と似た人間をご存知なのでしたら、弟ではないでしょうか」
「弟…」
「これは失敬」
 わざとらしく夫人はそう言ってから続けた。
「今はシュタインベックですが、旧姓はキンブリーでした。イシュヴァールでは随分世話になったと、弟から聞いています」
 半ば言い捨てるようにそう言った婦人は、最後に「あ、これも言い忘れておりましたが、私はシュタインベックの次男の、後妻です」と付け加えて去っていった。
 マスタングもホークアイも、その後ろ姿に靡く黒い髪に、砂塵の中の紅蓮を思い出すしかなかった。
薄明に去る

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