「呪術師界に戻ってきた、って、本当だったんだ」
 見定めるような笑みを浮かべながら七海にそう言い放ったのは、同期である苗字であった。その視線は学生のころから変わっていない。七海を揶揄うようでいて、大事ないかをじっくりと観察している目だ。生来の優しさが、この業界特有の濁り切った疲労に混ざって見えづらい。
 一度は「一般社会」に身を委ねた七海が、苗字に「呪術師に戻る」といった旨を電話で伝えたのはほんの数日前のことだ。彼女からの返答には、数秒を要した。そして一言「馬鹿だねぇ」と笑って通話が切られたのであった。
 彼女も高専所属だ。それなら、近いうちに校内で会えるだろうから、その時に話せばいい。七海はそう考えて、リダイヤルをすることはなかった。
 そして「その時」が「今日」だった。
「私があなたに嘘をついたことがありますか」
「あるね。私の誕生日に灰原と任務が入ったと言ってたのに、嘘だったことがある」
「それは灰原がサプライズパーティーをしたいと言ったからだと何度も言ったじゃないですか」
「死者の冒涜か?」
「なんでそうなるんです」
 冗談だと言って七海の視線から逃れようと、わざとらしく苗字は缶コーヒーをすする。彼らが学生のころから鎮座している自販機に、変わらず並んだ馴染みのメーカーの商品だった。それにつられる形で、七海も手の中の缶を口につける。
「いつ、死ぬとも限らないのに、なんで戻ってきたの」
 ぽつり、と、苗字が吐き出した言葉こそが彼女の本心だった。七海も、その本音に気付いていないわけではなかった。勘付いていたが、気付かないふりをしていたかった。
 呪術師を辞めると苗字に告げた時の、彼女の表情を思い出す。「逃げるのか」「置いていくのか」「連れて行ってくれ」。そのどれとも違う、安堵の表情だった。「七海が、これ以上苦しまなくて済むなら」と吐き出したその言葉が、2月の寒空に白い息と綯い交ぜになって消えていったあの情景が、リフレインする。
 苦しまなくて済むなら。果たして、呪術師であることが、呪術師でいることが、全て苦しみだったか。七海は、答えを待つ苗字の、少し傷の増えた手を眺めながらそんなことを考えた。
「いつ死ぬかわからないから、悔いのないように、と」
「模範解答なんて要らないんだけど」
 苗字はそう吐き捨てて、うんざりだと言わんばかりに缶の淵を噛む。七海がそれを窘めるより早く、苗字はすでに空になったらしい缶を近くのごみ箱に投げ入れた。空洞が音を立てる。
「あとは、貴方がまだ生きていると知って、無性に会いたくなりました」
 今度こそ面食らった顔を見せた苗字に、七海はついに笑ってしまう。口説きたいわけではない。ただ、今それを、ただ伝えたかった。それだけだった。
「呪術師に戻ろうと思って五条さんに電話をしたら、あの人、案の定色々と茶々を入れて来まして。でもひとしきり私を揶揄ったあと『苗字も多分喜ぶよ』と、心底安心したように言ったんです」
「なにそれ。それじゃ私が、卒業してから毎日毎日七海を心配してたみたいだ」
「してくれてなかったんですか。私は毎日、貴方の無事を祈ってましたが」
「そりゃ、どうも」
 頭を抱えて苗字は深いため息をついた。その姿はまるで、五条の奇行に頭痛を覚えているときの自分のようで、七海は妙な気分を覚える。
「まずは、」
「はい」
 思い切ったような口ぶりで、苗字が口を開く。七海も、反射的に返事をする。
「ご飯でも食べに行こう」
「はい」
「居酒屋とかじゃなくて、灰原と3人でよく行ったあのファミレスにしよう」
「いいですね」
「それから卒業してからのお互いのことを話そう」
「えぇ。貴方に話したいことがたくさんあります」
「奇遇だ、私もだよ。それで、それも終わったら、」
「はい、」
「灰原の墓参りに行こう」
 1人じゃ怖くて行けなかった。
 そう告白した苗字の手をとって、七海は静かに頷いた。
スイングバイ

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