花屋の前に立て掛けられた看板には「SALE」という文字が書かれていた。店内を見やれば、なるほど、いろいろな花が少しずつ売れ残っているようだった。閉店間際の時間帯、短い命を少しでも輝かせてやろうと、その看板は立てられたらしい。なんとなく良心を駆り立てられたらしい仕事帰りの男が、会計をしている。花屋の店員の手の中では、名も知らない小ぶりの花が小さく束ねられているところだった。男は妻にでも贈るのだろうか。推測とも、邪推ともとれるようなことを考えながら、その場を立ち去ろうとして彼は呼び止められた。
「こんばんは色男、あんたも嫁に花でも贈るかぃ?」
 遠慮のない老女の呼びかけに、彼、キンブリーは面食らった。
 会計を終えたらしい店員が「ママ、失礼はよしてよ」と咎めているが、その声は朗らかだ。良くも悪くも遠慮のない店主らしい。
 キンブリーは答える。
「あいにく、私は独り身です」
 自分で言ってて悲しくならないかと言われたとしても、事実なのだから仕方がない。必要のない言い訳を内心したところで、人気のないところで転んだ時のような、消化しきれない感情が残っただけだった。
 残念そうな表情で老女は「そうかい」と相槌を打った後で、「あんたの周りの女は見る目があるらしいね」と笑った。
 それはキンブリーにとって、初めての言葉だった。その真意を問うと、老女はまた言った。
 その返答にキンブリーは満足し、白い花束を、と奥の店員にオーダーを伝えた。


「女を待たせて花束1つとはな」
「申し訳なくは思っていますよ」
「心にもない」
 そういうと、カウンター席に1人座って杯を傾けていた苗字は鼻を鳴らした。
 仕事終わりに1杯どうだ、と苗字が持ち掛けたのは昼を過ぎた頃だった。どこで、という質問は今や野暮なもので、キンブリーは二つ返事で「いいですね」と応えた。満足そうに苗字は笑い、「21時でいいな」と時間を指定した。
 待ち合わせなどは特にしない。決まったバーで、決められた時間に集合し、適当な時間に解散するだけの夜だ。
「先に飲まれていた分くらいは払いますから」
「当然だ」
 口角を上げた苗字ではあったが、そうはいっても上官であるから、といつもキンブリーの財布を収めさせるので、おそらく今晩も同様になるのであろう。期待よりも諦めに似た推測が脳裏をよぎる中、キンブリーはカウンター席に腰かけた。
「で、どういった風の吹きまわしだ?」
「いえ、これといった理由はないのですが」
 片手には持て余すが、抱きかかえるには少し足りないサイズの白い花束を渡された苗字は、真意を問うた。一時のご機嫌取りに花を贈る、などという安直な行為をキンブリーがするはずがないという、ある種の信用から生まれる疑問を解消するためだ。
 それに反して、明確な理由を口にしない、というキンブリーによる解もまた、苗字を気味悪がらせるだけであった。
 いつも彼が1杯目に飲むウイスキーが、頼まずともバーテンダーに差し出される。
「理由もなく花束を?」
 いかにも、不可解だ、という表情を浮かべて苗字はスコッチを煽った。再度キンブリーに投げかけられた言葉の後ろには「恋人でもあるまいし」とでも続くようにも聞こえた。
 そうだ、理由なんてなかった。花屋の前で立ち止まりさえしなければ、約束の時間に遅れるなどしなかった。それでも今、この状況に陥っているのは、理由などなくても花束を渡したかった、渡してみたかったからに他ならない。けっして、恋人ではないけれど。
 逡巡する感情を口にすることは憚られ、キンブリーはわずかに口角をあげて「平素のお礼も兼ねて」と定型文のような世辞を吐いた。
「うちに花瓶はないんだが」
「部下が錬金術師であることをお忘れですか?」
「失敬」
 苗字が差し出したグラスに、キンブリーは自身のグラスを傾けた。鈴のような音が鳴る。
「あんたに惚れるような女は破滅するよ。賭けてもいい」
「なんだいきなり」
「花屋の女主人にそう言われました」
「ははっ、どうせ花を買う流れで馬鹿正直に独身だとか言ったんだろう。そういう時は適当に相手をでっちあげておけ」
「そうは言いましても、貴方を破滅させるわけにはいかないので」
 花を買った理由は誤魔化したが、その言葉は本心だった。あの老女が言った言葉が真実であるかどうかは別にして、苗字の進む道が狂うことはキンブリーにとって不本意なことだ。
「気遣いを無碍にするようで悪いが、もう手遅れだよ」
「……えぇ、そうでしたね」
 そうだ。惚れた腫れたでどうにかなる間柄では、すでにない。互いが互いを生かすための楔である以上、そうであることを自覚した時点で、何がどうなろうとも行く先は破滅なのだ。
 つまみに頼んだナッツが口内で弾けるように割れた。いつの日か爆ぜた、あの命のように、だ。
「お前に恋慕することは今後一生絶対にないが、限りなく思慕に近い信頼は尽きないと思う」
「それで、十分です」
 脳天をぶち抜くようなアルコールが香る。それほどまでに苗字が近くに居るのに、彼女が自分より少し遠い場所で生きているように感じるのは、何よりもキンブリー自身が彼女とどこかで一線を引いているからであり、それが意識的であるか無意識であるかは、もはや誰にもわからない。
 傍にありたいと願い、一方で気高き軍師を壊してしまわぬように。
 それだけが行動理念だった。



「こんにちは、マダム。赤い花束を1つ作ってもらえないだろうか」
「いらっしゃいお嬢さん。赤にも色々あってね、どんな赤がいいかね」
「そうだな…燃え盛る業火のような赤で頼むよ。」
紅蓮の手向けに

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