イシュヴァール戦は、アメストリス軍の勝利に終わった。
 そう言ってしまうのは簡単だが、我々が失ったものは多すぎる。アメストリス軍も、イシュヴァール人も、民間人も、誰も彼も。そして、私も。
「五体満足で還ってこられるなどとは思っていませんでしたから、左腕1つ失うだけで済んだのは幸運だったと思います。」
「苗字大尉、君ならそう言うと思っていたよ。」
 そう言われる程に私は彼と、マスタング少佐と話をした記憶は無い。怪訝そうな私の表情を見てか、マスタング少佐はにこりと笑っていった。
「いやぁ、ね、紅蓮のが甚く大尉のことを気に入っていてね。色々話してくれたよ。」
「キンブリー少佐が?」
「あぁ。医療系の錬金術に特化した緑碧の錬金術師が殲滅線に迷わず参加しているその意志、戦場においても正気を失わない精神力、どれをとっても私の好みだ、とね。」
 そんなキンブリー少佐とも、話をしたのは簡易テントの中でのあれっきりだったと記憶している。しかし、互いに国家錬金術師なのだし、それなりに噂を聞くことはあった。特に少佐の方の戦闘っぷりは。それにしても、好みだ、とは味気ない表現だ。少佐らしくもない。
「好みだ、というなら私のこの身体はなんなんですかねぇ。」
「それは、私には分かりかねるよ。」
 冷たく光る私の左腕。余すところなく入れた墨は、砂漠の地に置いてきた。かつてそこにあった錬成陣は、今や機械鎧。治療費もリハビリ代も全て軍が出してくれた。狗だなんだと罵られるだけの厚遇はあるではないか。
 しかしこれを失った理由は戦の最前線にはあらず。予想通りの人員不足に陥った際、遂に私も救うためではなく奪うため、持ちうる術を携えてそこに立った。治療テントではない場所で感じる鼻を刺すような血の臭いは、嫌いだ。火薬に硝煙、人が燃える臭い、全てかぎ分けられるようになったあたりで、私の左腕は吹き飛んだ。
「苗字大尉!!!!」
 いつの日か勅令を私に伝えに来た准尉の叫び声が聞こえたが、私は別のことを考えていた。断末魔と、それを消し去る爆音。ああ、紅蓮の錬金術師が文字通り愉しんでいる。仲間を、緑碧を巻き込むことすら厭わず。
 あれは痛かった。キンブリー少佐の錬金術により死亡していったイシュヴァール人に心から同情した。それ故に、彼の術にかかって死ぬ人を増やすわけにはいかないとも思った。混濁していく意識の中、破壊のための構築式を己が血で地面に成した。そこで私の意識は途切れたわけだが、後から聞くところによれば多くのイシュヴァール人が建造物の崩落と爆発によって即死だったらしい。
 次に目を覚ましたときには、真っ白な軍病院だった。失った左腕が疼くことはなかったが、生きていくために機械鎧を選択した。そのリハビリが否応なく続くことで、通常業務は難しく、戦後の事務処理に当てられている。そんな日々の中の、なんてことない休日にマスタング少佐は神妙な面持ちで我が家(厳密には父の家だが)にやってきたのだ。
「ところで、本題はなんです、マスタング少佐。」
「手厳しいね。」
 湯気の揺らぐコーヒーに口を付けてから少佐はようやく重かったのであろう口を開いた。
「先の戦争で、君の錬金術に何度も助けられた。左腕を失ってもなお、君はまだ何も失っていないかのような目で生きている。そんな君を、私の部下として迎え入れたい。」
 先程までの軟派な視線を拭い去り、少佐は私に言った。声色はどこか命令のようにも聞こえた。イシュヴァールの英雄。そう讃えられる彼の背後には血と煙の殺戮が佇んでいる。
「お気持ちだけ、有難く頂戴します。」
「大尉。」
「リハビリが終われば、私は軍服を脱ぐつもりです。」
「……どう生きていくつもりだ。」
 どうやら少佐殿には、私が自殺志願者のように見えたらしい。まさかこの私がそんなことをするわけもないだろうに。生きていれば勝ち、というポリシーは、あの戦場を踏み越えた今でも変わってはいない。
「退役はしますが、国家錬金術師の資格は返上しないつもりです。」
「研究者になる、か。」
「はい。何をするにも金は必要ですしね。」
 何より私は人を殺しすぎた。その事実に心を痛める、なんてことはない。あれが戦場であり、あれがあの時私がすべき仕事だった。その反面、仮初めにも見える「平和」が訪れた今、私がすべき仕事はアレではないと強く感じるようになった。
 医療系の術を学んだ筈なのに人を殺しすぎた事実はそのままに、それでも私はその術を世界に還元せねばならない。
「死ぬわけには、いかないのです。」
「そうか。残念だよ、君のように優秀な女性が軍を去るのは。」
「そう言って頂けただけで私は果報者です。」
「しかし、君のその生命力は、いったいどこから来るのだね。」
「きっと、両親譲りだと思いますよ。」
 父から留守を任されたこの家もあることですし、どちらにしても軍役を続けることは迷いのあることだった。少佐にそう告げれば、紅蓮のが君を好んだ理由が少し分かるような気がするよ、と言われた。戦前に処理を施して立ち去った家中の本たちは、帰還後も何も変わることなくそこで私を待ってくれていた。まるで、戦争など1秒たりともなかったかのように。
 部屋中に敷き詰められた本をぐるりと見渡したあと、少佐は立ち上がった。
「さて、私はそろそろ行くよ。女性からつれない返事しかもらえなかったのは久しぶりだ。」
「本当に、申し訳ありません。」
「いや、いいんだ。ただ、君がどうしても気にするというのならどうだね、私と食事でも。」
「…先約があるもので。」
「つれないねぇ、本当に。」
 別段傷ついた様子もなく、彼は笑って玄関を出て行った。ほんの数ヶ月前に死んだ目をしていたなんて信じられない。彼はあの戦場を生き延びたのか、それとも一度死んだのか。私にはもうわからなかった。
 少佐が立ち去ったあとの玄関に立ち尽くし、足下が冷えてきたことに気付くと同時にもう1つ気付くことがあった。
「おっと、父さんに写真を返さねば。」
 リハビリと家中の掃除に奮闘しているうちに、父から拝借していた家族写真を玄関に戻すのを忘れていた。
 少々煤けてしまった写真を元あった場所に掲げれば、今や遠い昔にも感じる3人が笑っていた。
「ただいま還りました、母さん、父さん。」
 ごめんね。
静閑せし生還

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