月明りがやけに明るいとある夜。廃校となった校舎の一室。
 苗字は残りの弾数を数えた。ゆっくりではあるものの、しっかりとした足取りで苗字を追いかけている呪霊は大きくはない。しかしその呪霊の所以とを考えると、立ち向かうにはあまりにも心許ない数である。もう少しマガジンを多めに用意すればよかった、と思ったが、後悔しても遅い。今日の手持ち分で事足りるだろうと考えたのは紛れもなく苗字であり、それが驕りであったことを認めざるを得ない。
 しかし、この呪霊に殺されてしまうには、自身の命が惜しかった。小物ではないが、このような呪霊に殺されたとあっては死後に「苗字名前」の名が泣くような気がした。毎時間毎分毎秒、死を切望しているにも拘わらず、それなりに承認欲求はあった。
 救援は望めない。逃亡も許されない。
 突如、女児のものらしき金切り声が木霊した。それに呼応するように、廊下の窓が一斉に割れる音も響く。
「花子さんは尾崎豊なのか…」
 夜の校舎で窓ガラスを壊して回るその呪霊、仮想怨霊「トイレの花子さん」は噂に聞いていたよりも随分と過激だ。渡されていた資料には、彼女はトイレという陣地から出ることはないと記載があったが、とんだ誤情報だったわけだ。長期に渡り語り継がれる都市伝説が人々の「畏れ」を絶え間なく集め、ついには陣地外へその呪力を伸ばしたのだろう。面倒なことになったと苗字は天を仰いだ。
 教室の入り口に鍵はかけていない。花子さんが行儀よく入り口を開けるのであれば、的が狭まって狙いやすいと考えていたが、無残にも粉々にされたであろう窓ガラスのことを考えると彼女の品行に期待はできない。
 そうなれば、都市伝説に便乗するのが吉だ。
 苗字は深く息を吸い、声を張り上げた。
「はーなこさーん、あーそびましょー!!!!!」
 一瞬、窓ガラスの破壊音が止む。そして、沸点に昇りつめる熱湯のように加速する足音。およそ二足歩行の呪霊とは思えぬ激しい音は、間違いなく苗字の潜む教室へまっすぐに向かってきている。
 蹴り破られる廊下側の壁一体。苗字は壁の崩壊を見届けるが早いか、黒板に向かって走る。右手に握った銃は口に咥え、すでに電力供給もないのにコンセントに刺さったままの黒板消しクリーナーを引き抜き、ハンマー投げの要領で花子さんの影に向かって投げた。彼女に当たった衝撃で、クリーナーの蓋が開き、捨てられることのなかったチョークの粉が舞う。
 眼前に広がった真白に、花子さんは噎せ返る。その光景を見ているだけで苗字も咳き込みそうになったが、それよりも左の銃の引き金を引くほうが幾分か早かった。花子さんの右脚に命中し、彼女は崩れ落ちる。左の膝が地に着く前に、苗字の右手に戻った銃から放たれた弾が左肩を弾き飛ばした。その反動で花子さんは仰け反るように身体が伏せていくが、それを追いかけんと発射された両の銃から1発ずつの弾丸が、脳天を貫いた。
 今度こそ地に伏せた花子さんは啜り泣きのような声を漏らしてから、教室の外の窓ガラス同様に、粉々に砕け散った。
「…死ぬ気でやれば、案外死なないんだよなぁ」
 10年以上、文字通り「死ぬ気」で呪術師をしているのに死ねなかった苗字が言うのだから、真実なのであろう。
 迎えを頼もうとスマホを取り出せば、いつもどおり「明日食事にでも行きませんか」と2つ下の後輩からメッセージが来ていたが、実にいつも通り未読スルーをして校舎を後にした。
斯く、恋慕を

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