実のところ、五条は苗字に対して、必要以上の興味を抱いたことはない。彼の生きてきた十数年、また、二十数年の内で出会ったことのないタイプの人間であることは間違いなかった。しかし、それによる興味というよりかは寧ろ、路傍に仰向けになっている蝉が死んでいるのか死にかけているのか、それだけが気になって見つめ続けている残酷で純粋な探究心だった。
 そのことは五条自身も自覚している。それがわからぬほどの馬鹿ではないし、認めぬほどの弱者でもないからだ。ただし上手く隠してはいた。苗字が死んだ蝉であろうと死にかけた蝉であろうと、現在の呪術界にとって彼女が有用な人間であることは否定しようのない事実であり、少なくとも蝉ではなく人間として生きている間は死なれたら困る、と五条が考えているのは必ず本心なのだ。
 一方で苗字も五条によって生かされていることには気づいている。文字通り死なないように取り計らわれていることもそうだが、簡単に死ぬことを許されていないという意味において、苗字は五条の掌の上にいる。ただしそれは与願印にはなり得ないが。
「パイセン、最近元気?」
 五条が苗字にそう聞くとき、苗字は決まって「見たらわかるだろう」という表情をもって無言で答える。彼女にとっては、死ぬこと以外は「元気」なのだ。たとえ瀕死の重傷を負おうとも。
 そしてその顔を見た五条がニヤニヤと笑って苗字に近づき、暫し何の生産性のない会話をすることも習慣化している。苗字はそれをカウンセリングのようだと感じているが、五条としてはやはり今日の蝉は死んでいるのかどうかの確認のつもりなのである。
「五条君は相変わらず元気そうで何より」
「そうでもないよー?ほら、なにせ最強だから忙しくて」
「そんなに忙しいなら私に構ってくれなく結構」
 苗字は五条と目を合わせることもなく、高専に備え付けられている自販機の、ブラックコーヒーの真下のボタンを押した。すぐにゴトンと重い音が響き、黒が基調の缶が落ちてきたようだった。静かに苗字が五条に振り向く。想定外の視線に五条はにんまりと笑って「ココアがいいなー」と言った。
 もう一度、缶が落ちる音が響いた。
「でもさぁ、忙しいから日常を感じたいと思うんだよね」
「そんな人間みたいなこと言っても絆されないから」
「いや、僕も人間なんだけど。パイセンは僕のことなんだと思ってんの?」
 五条の問いに答えることなく苗字は溜息を吐いた。「化物」とでも答えようかと思ったようだが、その後の五条の騒ぎ方が嫌に想像できたのでやめたのだ。
 五条がココアの缶を開ける。よく振ってから開けてくださいって注意書きって開けてから気づくよね、という独り言に、苗字は無意識に「なんでだろうね」と同意していた。
「簡単に絆されないのはパイセンの美徳だとは思うけど、ちょっとは絆されてもいいと思うよ」
「私にメリットがない」
 五条の意見を一刀両断する苗字もいつの間にかコーヒーの缶を開けていたようで、一口を飲み込んだ。
 メリット、と苗字は言ったがそれが本意ではない。要は彼女が彼女自身の生き方に他人を巻き込むことを良しとしていないだけのことだ。人はいずれ死ぬが、そのタイミングを自ら選ぶことを目的として呪術師を続けている彼女は、その人生に不用意に他人を招き入れることはしない。五条とはまた違った意味において、苗字名前は強い。いっそ、悲しく愚かなほどに。
「まぁ、本当の本気で拒んだりしないあたり優しいとは思うけど」
 本当の本気。
 Noと口にして、視線を合わせず、あなたのことが苦手ですと主張しても、こうして多少の会話の成立を許す苗字を天邪鬼と言ってしまうのは些か乱暴ではある。だが、やはり五条の言うように彼女は優しい。その優しさにつけ込んでしまっているのでは、と、あの五条がそう顧みることが少々でもあると言ったら、流石の苗字も目を丸くするだろうか。
 七海にしたってさ。
 五条はそう切り出す。
「パイセンに対してはあんな風だけど、馬鹿じゃないし。パイセンが本気であいつを拒むなら、文字通りパイセンのためにパイセンを諦めると思うんだけど」
「私のせいと言いたいのか」
 苗字の手の中のスチール缶が、僅かにひしゃげる。おお怖、と五条は口にしたが、それはただの感嘆符だった。
「そうじゃないけどさ、パイセンが七海のことをどう思ってるかは見えづらいなとは思う」
「そのご立派な眼で見抜いてみたら?」
「それはフェアじゃない」
「どの口が言うか」
 すでに空になったらしい缶をゴミ箱に投げ入れた苗字は、呆れたように五条を睨んだ。彼の手にはまだ半分ほど残ったココアがある。
 生きている蝉がミンミンと喧しく鳴いている。呪術高専という特殊な場所においても、夏になれば番を見つけようと声をあげる姿は何かに似ている。窓の外に見える空は絶望的なほどに青い。
「七海くんは、造花を束ねた感情を私に向けている」
「わぁ、詩的」
 苗字はまた睨む。
「花束なんて、いつか枯れるから受け取れるんだよ。その花が好みであろうとなかろうと、いつかは枯れて、捨てることができるから」
「つまり七海の愛は造花みたいに枯れることがない、無碍に扱えないって?パイセンも随分自惚れてるね」
「長年とち狂った男に付き纏われたら、五条くんだってこうなるよ」
 枯れない花は無責任に受け取れないし、ともすれば迷惑だ。
 半ば吐き捨てるようにそう言った苗字ではあるが、それを七海本人に言ったことはあるのかと五条に聞かれて「造花のようだとは言ったことある」と答えた。その答えは五条の予想に反していた。だからほんの一瞬ではあるが反応に遅れてしまい、目敏くそれに気付いた苗字が慌てて「無責任と迷惑の方は言ってない」と付け足した。そういうところが優しいのだと五条は指摘しようとしたが、今はやめておいた。
「で、それに対して七海はなんて?」
 相槌に近い五条の質問に、苗字は暫し何かを逡巡する素振りを見せたが、結局何も言わずにその場を立ち去った。今度七海に聞くか、と独りごつ五条を残して。
「あなたが歪な花瓶なので」

back

top

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -