高専に入った者は、一定数姿をくらませる。己の弱さに耐え兼ねたり、命が惜しくなったり、まぁ、理由は様々だ。気持ちはわかる。任務で死にかけた帰りは特に空がバカみたいに青く見えるし、冬の香りが突然愛おしくなったりもする。そうしているうちに自分の持つ力と現実に乖離を見つけてしまって、どうしようもなくなる。
 在学中にいつの間にか居なくなっていた者も何名か居た。先生にそれとなく聞いても、死んだわけではないと曖昧な答えが返ってくるばかり。それを聞いて「逃げた」のだと結論をつける者もいたが、私は「守った」のだと考えていた。他の何でもなく、自分自身を。
 一方で卒業後に一般企業に就職する道を選んだ後輩の七海くんに関しては、個人的によくやったなと純粋に感心をした。無理もない。灰原くんや、夏油傑の件があって、見た目に反して情の暑い彼が何も想わないはずもないのだ。その選択で彼の心が少しでも、たとえそれが歪な形であろうと、守られるなら、それでいい。あの強さを自ら手放したことは、少々勿体ない気もするが、私が口を挟むことではない。

 そして私もまた、姿をくらませた1人である。

 高専を無事に卒業した私は…、いや、厳密に言えば夏油傑が離反する少し前から私は1つ決心をしていた。私が私として生きて死ぬため、一度捨てた実家に戻るということを、だ。
家から抜け出し、高専に編入して、例えあのまま呪術師になっていたとして、いつまでも実家の影は私の目の前に佇むということに気づいた。1級に昇りつめて暫くした頃にはそれなりに名前も知れ渡るようになったため、苗字名前とその術式が鷺ノ森の耳に入るのも時間の問題だった。そうなれば、本来とは異なる顔も声も名前も、意味を成さなくなる。
そんな折に発生した呪詛師に墜ちた級友の離反。
「目には目を歯には歯を、呪詛師には呪術師を、って思ったんだがなぁ…」
「幽奠様?」
「いや、こちらの話だ。気にするな」
 当主として舞い戻った私を鷺ノ森家は責めるどころか嬉々として受け入れた。私の計画のためにはこの上なく好都合であったが、それと同時に馬鹿の集まりだとも思った。身内に散々な攻撃をした果てに逃走した私が、悪びれる素振り一つ見せず戻っても尚、「ご当主様がお戻りになられた」と言って平伏する姿はまるで…。いや、これ以上はあの男と同類になってしまうからやめておこう。
 学生の頃に使っていた携帯電話は、未だ解約できずにそのままにしている。塗装は随分剥げているし、バッテリーもすぐに切れてしまう。画質だって、別に持っているスマホと比べたら雲泥の差。それでも解約できないのは、愚かしい程律儀にメールを送ってくる最強の男の存在が居るからに他ならない。
『お前、どこにいる』
『硝子が心配してるから連絡しろ』
『お前の部屋にあった漫画返すから』
 卒業した直後のメールはこんな風だった。知らないうちに消えていた漫画はこいつの所為だったことは、その時に知った。自分もそれなりに心配しているくせに、他者を理由にメールを寄越してくるあたりが彼らしい。ほぼ毎日のように送ってくるものだから、彼からのメールで受信ボックスが満たされている。さながらメルマガのような彼からのメールは、呪術規定にギリギリ触れないように日々齷齪と働いて(あげて)いる私の、ささやかな楽しみになっている。
 あんなに横暴だったくせに一人称が「僕」になっていることも、今は高専で教師をしていることも、七海くんが呪術師に戻ったことも、彼からのメールで知った。
 どのメールも必ず、気が向いたら連絡しろ、という文言で締められているが、私はそれらに返信はしない。もし返信することがあるとしたら、私の計画しているすべてが終わったときだ。
『傑が高専に来た。12月24日の日没と同時に、新宿と京都に千の呪いを放つんだそうだ。』
 気をつけろ、とも、手伝え、とも書かれていていないそのメールにも、返すつもりはない。
「それで、客人はどこに?」
「ひとまず応接間に…しかし、本当にお会いされるのですか?」
「アポなしという極めて常識のない客人であろうと、私に用があるというのなら会うのが礼儀だ」
「しかし…」
「私が応接間に入ったら誰も近づけるな。淹れた茶は私が持っていく。少なくとも私が良いと言うまでは近づくな、入るな、何もしようとするな」
 それほど呪力の強くない侍女は、予定外の客人に怯えているらしい。客人そのものというよりも、その呪力に、だが。
 応接間に向かう途中、別の侍女が運んでいた茶を盆ごとひったくった。私がやります、と彼女は慌てて私を追いかけてきたが、私を呼びに来た侍女がそっと止めていた。
 襖と襖の隙間から漏れ出でる呪力は、ああなるほど、彼女が怯えるわけだ。
 襖を開き、先日張り替えたばかりの畳に静かに座っている男に、私は声をかける。
「お待たせいたしまして申し訳ない、夏油殿」
「いえ、突然の訪問によるご無礼、こちらこそ申し訳ありません、鷺ノ森殿」
 そう言って、彼は、夏油傑は、気のいい笑みを浮かべた。茶托を彼の眼前に置く最中、忌々しいほどに、学生の頃と変わらないの口元の曲線を、私は嫌というほど目にしてしまった。
「それで、ご用件は百鬼夜行の件ですか?もしそうであれば手前共は貴殿を手伝うつもりはありませんが」
「さすがですね、情報が早い」
「どうも。大変に頼りがいのある友人を持っているもので、助かっています」
「それはいい」
「貴殿にも、そういう人が居るのでは?」
 何かを確かめるように、あるいは挑発するように、私はそう言ってから茶を啜った。
 彼は何も言わず、また微笑んだ。
「しかし鷺ノ森殿に開口一番断られるとは思いませんでした」
「先代の幽奠なら喜んでお受けしたかもしれませんが、私の代では既定の範囲内ギリギリのところで細々とやってますので」
「では、次に会うときは殺し合うべき敵として」
 出した茶には一切手を付けず、彼は立ち上がる。相変わらず威圧感のある背丈だ。部屋の灯りが作り出す彼の影は、それすらも畏怖の対象と成り得るだろう。
 彼の足が畳を擦る。ふと、気まぐれに、その背中に問いかけた。
「ところで、私との約束は守ってくれなかったね」
 両の手で顔を覆って、随分と長い間使っていなかった顔と声を呪力で象る。咄嗟に振り向いた彼の表情の、間抜けなこと。毎日届くメルマガへの返信に、添付してやりたくなった。
「名前…」
「まぁ苗字名前が鷺ノ森幽奠だと気づいてくれるなんて、元から期待したなかったからね。別に怒ってないよ」
「ごめん」
「それは、何に対してのごめん?」
 私の方へと伸ばされた彼の手は、きっと無意識の動作だったに違いない。
 あの日に言えなかったバイバイの代わりに、私は言った。
「では、次に会うときは、殺し合うべき敵として」

―2017年12月24日
新宿及び京都にて夏油一派が百鬼夜行を実行。
鎮圧のために元呪詛師集団である呪術一族の当主、鷺ノ森幽奠が新宿を中心に一族を派遣。
それによる呪霊の制圧は甚だしいものであったが、結果として、鷺ノ森家は壊滅。
陣頭指揮を執っていた鷺ノ森幽奠自身も致命傷を負ったが、その後の消息は不明とのことである。




「あ、もしもし悟くん?元気?あはは、そう怒らないでよ。私、今かなり大怪我しててさ、ちょっとお願いがあるんだけど――」
さようなら代わりの敵意を君への餞に

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