「幽奠様。失礼を承知で申し上げますが、貴女様は鷺ノ森家のご当主としてもう少々ご自覚をなされた方がよろしいかと存じます。今の鷺ノ森家には貴女様を上回る程の呪力を持った者はおりませんし、相伝の呪術の使用についても既に先代や先々代を凌いでおります。貴女様のご年齢を鑑みますと、こういったことを申し上げるのは酷であるのは重々承知しております。ですが鷺ノ森の家に、確かな呪力を持って生まれたのですから、せめてご当主としての責を全うされてほしいのです」
 初めて術式を使えたのは5歳。
 相伝呪術を覚えたのは8歳。
 当主に就いたのは10歳。
 全てがレールの上なのだと気づいたのが11歳。
 反抗期がやってきたのが12歳。
 家を出ようと決意したのが、14歳。
 鷺ノ森家の当主に代々仕える秘書の婆が、慇懃に私に申し立てた。成人した者ならまだしも、まだ義務教育も明けぬ女児に仕えるのはさぞやりづらいことだろう。丁寧で分かりやすく、そして礼儀でコーティングされた雑言を、私は、うるせぇな、としか思わなかった。
 あいつを呪え、こいつを殺せ、そいつを消せ。私の眼前で頭を垂れて、あれこれと命令にも似た懇願を吐き出す人々の願いを名前えるたび、私は私が吐瀉した命の形を想った。
「ご当主様、ご当主様、ってね、私は神様じゃないんだから万能じゃないよ。優しくもないしね」
「しかし今の鷺ノ森を率い、保っているのは紛れもなく貴女様です」
「他力本願だね。努力の1つもしないハイエナ共の為に私が吐き散らかす道理がどこにあるものか」
「しかしそれが、」
「鷺ノ森幽奠の役割だって?糞くらえだね。誰かを呪ってほしいと思ってる人間を集めて殺し合いさせて、生き残った人間そのものを呪物にでもすればいいと思うけど」
 蟲毒より効きそうでしょ、と婆に同意を求めてみたものの、彼女は何も応えなかった。
 呆れた。
「君の理想の『鷺ノ森幽奠』が私の中にいないというのであれば、じきにその辺で野垂れ死んでやるから安心しなよ。そうしたら私の次に呪力を持った人を当主に立てればいい。そうすれば全部解決だ、よかったね。『あなたのため』だなんて、ちんけな『呪い』をかけ続けた父と母にも一矢報いることができるし、みんなハッピーだ」
 私の提案に婆は引き攣った表情を浮かべて、慌てて取り繕った。そんなお心にもないことを仰らないでください、と宥めてきたが、私は心の奥底からそうしようと計画をしているよ。
「『忘却ノ棺』」
 どろり。空っぽのはずの胃から逆流してきたどす黒い固形物を吐き出す。我慢する気もなく、張り替えたばかりの畳の上に吐き出した。粘度のある唾液を伝って、胃液も流れ出る。
 綺麗に着付けた幽奠のための着物を脱ぎ棄てて、私は家を出た。
「精々私抜きで栄えろ、鷺ノ森」
 舌を出して、中指を立てた。
 私が15歳、厳密には16歳になるのを控えた5月のことだった。



「ちょっと、名前、起きなさい」
「んぐ……」
 肩を揺すられた振動で瞼が開いた。見慣れない天井だ。実家でもないし、自分の部屋でもない。肩に添えられたままの手を辿れば、硝子ちゃんが居た。あ、そうだった。
「ごめん…お茶淹れてもらってたのに…」
「いや、それは全然いいんだけど、魘されてたぞ」
「んん…実家にいた時の夢をちょっと…」
「それはご愁傷様」
 硝子ちゃんは自分のクッションに遠慮なく身を埋めていた私を責めることなく、マグカップを差し出した。インスタントのコーヒーが、ゆるりと湯気を躍らせている。
「夢の中でも吐いてたから最悪」
「そんな夢を見るってことは疲れてんの?」
「かなぁ…最近立て続けに1人の仕事も多かったし…ストレスかな」
 しょぼしょぼとする目を擦って夢から現実に意識を戻そうとする私に、硝子ちゃんは「目に悪いからやめな」と窘めた。
 任務で地方に赴いた際、硝子ちゃんと食べようと思って買ったチョコレート菓子を開封する。ちょっとお高いものだったから、金銭感覚が狂っていて情緒なく食べてしまいそうな悟くんは呼ばない。傑くんは味わって食べてくれそうだけど、悟くんだけ呼ばないというのも後腐れしか生まれなさそうだったので、彼は尊い犠牲。
「まあ1級にもなれば、それなりにストレスもあるか」
「そうだねぇ」
 3級術師として編入した私も、大変癪ではあるが鷺ノ森での経験が役立ったこともあって半年で1級に昇級することができた。それでも悟くんには弱いと言われるし、それを止める傑くんも「無理しないでね」と過保護を加速させている。そんなに私は弱っちいのだろうか。家出の真っ最中とは言え、一応まだ鷺ノ森の当主なんですけど私。風の噂じゃ、家系図から私の名前は抹消されていないらしいし。有難迷惑だ。
「家のことは無理に話さなくてもいいけど、いつかちゃんと話しなよ」
「うん、ありがとう」
「それが私じゃなくても、別にいいからさ」
 ラズベリーやナッツがふんだんに散りばめられたチョコレートが硝子ちゃんの口の中に消える。甘いわぁ、と当たり前の感想を述べてからコーヒーを流し込むその姿が、清々しくて私は好きだ。
「わかってるでしょうけど、五条も夏油も、アンタの背後にあるよくわからないドロドロしたモノには気づいてるし、心配してんのよ。飲み込まれてしまわないか、って」
「みんな鋭いね。私そんなにわかりやすく闇背負ってる?」
「いや、他の人は気づいてないと思う」
「えー、じゃあ3人は私のことがすごく好きで、よく見てくれてるってことだね」
 冗談でしか、返事をできなかった。きっと硝子ちゃんは「今の発言は五条でしかない」とか思ったのだろうけど、口にはしないでいてくれた。
「…名前が、私たちにちゃんと助けを求めさえしてくれたら、きっと私たちはそれに応えようとする。それほどには好き」
「じゃあ、余計に巻き込むわけにはいかないんだよ、硝子ちゃんたちを」
 鷺ノ森幽奠に縋る人達で蟲毒を作ろうとした私なんて、知られるわけにはいかない。少なくとも、今は。このチョコレートのように甘い戯言だと言われたとしても、今は。
 不服そうにコーヒーを啜る硝子ちゃんに、私は努めて明るく声をかける。
「大丈夫、絶対に巻き込まない。巻き込むくらいなら私が死ぬから」
「そういう考え方をしてるのを把握してるこっちの身にもなりなさいよ」
 細くて長い指が私の頬を抓り上げる。痛いよ、なんて言ってみるが真っ赤な嘘だ。その力はとても優しくて、柔らかい。
 こんなにすぐに砕けてしまいそうな柔い感情を向けてもらえるなんて、実家に閉じ込められた頃の私には想像もできなかった。過去の私に見せてあげたい。今だって死と隣り合わせの生活だけれど、私の命を私が生きている実感がある。
「まだ、死ねないよ」
「次にお土産買うことあったらちゃんと4人で食べれるものにして」
「硝子ちゃんがあの2人に慈悲を与えるなんて珍しい」
「こんな湿っぽい話、2度としたくないだけ」
 硝子ちゃんは独り言のようにそう呟いてから、煙草に火をつけた。せっかくのチョコレートは1つしか食べてもらえなかった。思ったより残ってしまったから、やっぱり悟くんと傑くんにもあげようかな。
「あ、私も3人のこと好きだからね」
「当然」
カカオ80%

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