灰桜
桜、桜かぁ、なんてぼんやりと思う。
周囲はやれお花見だなんだと騒いでいるが、今の私には対して興味のないものだった。
…というより、桜に限らず、目に映るもの、聴こえる音、感じる匂い、すべてがするりとすり抜けていくような。
感じてはいるけど、心までは響いてこない、という感じで、それらはあるようでないようなものだった。
ただ何を見ても何があっても。ぼんやりとしているだけだった。
というか、それしか出来ないのだ。



「名前、今度の日曜日花見に行かない?」
疑問符がついている筈なのに、まるで断ることは想定されていないトーンで幸村くんは言う。
まぁ、考えることが面倒だから、私は頷くしかないのだけれど。
「…うん」
「約束だ。じゃあ、迎えに行くから」
そう言って私に微笑んで見せる彼に、私は何故なのだろう、と思う。
ぼんやりとしていて、心が何処かに行ってしまったかのようになっている私の扱いは、仲のいい友達ですら、困っているようだった。
私自身すら、どうしたらいいのかわからなくて、でも今はただぼんやりとしていたくて、一人でいる事が増えた。
そんな私に変わらず話しかけてくるだけでなく、こうして何かを誘ってくるのは彼だけだ。
その意図がわからなくて、でもわかる必要もないか、なんて思っては思考が消えていく。
そうして、私は去っていった幸村くんの後ろ姿を立ち尽くしてみていた。



日曜日。桜は満開だった。
周囲の人々は、桜の写真を撮ったり、眺めながら食べたり飲んだり。
家族連れやカップルや団体など、たくさんの人がいた。
みんな笑ったり騒いだりしていて、平和、きっとそんな言葉が似合うのだろうなぁと思った。
それ以上、感情は出てこず、そう思ったと同時に目の前の光景に、興味は失せてしまった。
「名前」
そんな私の様子に気付いたのか、幸村くんに呼ばれる。
彼の方を向くと、何故だか悲しげな目をしている、ような気がした。
「…ねぇ名前、俺には本当のこと言って欲しい」
本当のことって、何だろう。何を求めているのだろう。ぼーっとした頭ではわからない。
返事の代わりにゆっくりと首を傾げた私に、幸村くんは言う。
「名前は、まだ仁王のことが好き?」
ぼんやりとした世界に、切れ込みが入ったような感覚。
他の言葉はふわりと耳に入ってすぐに出ていったのに、何故だかその言葉はするりと入ってきて、胸に突き刺さる。
「なん…のこと。もう、気にしてない」
意識して空気を吸わないと、言葉が吐き出せない。
何度も言った言葉なのに、何故だか今は上手く言えなかった。
友達にだって、仁王本人にだって、言えた言葉なのに。
私の返事は予想していたのか、目の前の彼は顔色を変えなかった。
そして、ぽつりと、呟く。
「じゃあどうしてずっとそこにいるんだい」
そこって何処?物理的なことじゃないことはわかる。私のいる、ぼんやりとした世界を指しているのだろうか。もしそうならば、これ以上話ていたくない。私はただぼんやりと何も感じず、何も考えずいたい。
「…別れ話をした時、泣きもしなければ悲しみもしなかったって仁王は言ってた。君の友達も、泣くこともなく愚痴ることもなく、他人事のように別れたとしか言わないって言っていた」
そうだよ、それが?
小さな声が自分からこぼれて、それはひどく無感情な音だった。
もう帰ろうかな、帰りたい、そう思っているのに、足が動かない。
「…いつまで、そうしてるの?」
幸村くんは言葉を選びながら、私の目をみて言う。
何も考えたくないのにどうしてこう、彼はあれこれ言うんだろう。
何も答えられない。そんな私を、ただ彼は見ている。
強めの風が吹いても、桜が目の前で舞っても、私は何も言えなかった。
「例え失恋して、自分の気持ちに蓋をしても、自分の殻に籠っても、心を捨てても、思考を止めても、それは本人の自由だよ」
なんだ、分かってるんじゃないか、ならどうして今私にこんなこと言うんだ、ぼんやりとした世界から引き剥がそうとするんだ、なんて自分勝手な気持ちがわき上がる。
それが顔に出ていたのか、幸村くんはゆっくりとため息をついた。そして。
「でもね、それでは俺が困るんだ」
「どうして?関係ない」
「あるよ。俺には。だって君には、」
そこから抜け出して、今度は俺と恋をして欲しいから。
その言葉に、痛まなかった筈の胸がちくり、と傷んだ、かと思えば、目から何かが溢れて、視界が滲んでく。
それなのに、今までぼんやりとしていた世界はクリアになった気がした。
戻ってきた感覚に、痛みに、私はただ泣きつくすしかなかった。
そっと頭にのせられた手は、ひどく温かいものだった。
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