ほろ酔いの盃


 今年の冬はあったけぇなぁと油断していた。暇つぶしに入ったパチンコ屋を出ると、日はすっかり暮れていて冷たい風が肌を差す。

「寒いのは懐だけで十分だっつーの」

 そう呟いて、ぶるりと身を震わせた。肩を竦め腕組みをして夕闇の街に紛れ、どこに行こうかなと急ぎ足の道行く人を眺める。カサカサと音をたてて枯れ葉が舞った。藍色の空には細く弧を描く月が笑みを浮かべている。赤く灯る提灯と木枯らしに揺れる暖簾がフワリと脳裏を掠め、行き先を決めた。

 行き先が決まると足取りは軽くなった。さっきまでは寂しげに見えた夕闇の街は、橙色の街灯で道行く人を幸せそうな色に染めている。自分もその中にうまく紛れ込めているのだろうかと薄く笑う。

「さて……」

 胸の内の呟きをポロリと音にしてから冷たい手を懐に突っ込むと、目指す赤提灯の馴染みの店へと歩き始める。さっきより暗くなった夜空では、月は相変わらずにっこりと笑みを浮かべ、一つ二つと小さな星が瞬いていた。

 暖簾をくぐりカラリと戸を開けて「あ…」と間抜けな声を零したのは向こうも同じだった。

「……なんだ。オメー、来てたのかよ」

「来てちゃ悪ィか」

「悪かねぇよ」

 苦笑しながら先客の見知った男の隣に座り、ヒヤヒヤした様子で俺たちのやりとりを見ていた店主からお絞りを受け取った。あったけぇと手を拭きながら「熱燗ちょうだい」と笑うと、店主はホッとした顔でニコッと笑う。ホカホカと白い湯気のたつコップを受け取り「テキトーに見繕って」とおでんを指差した。

「忙しいんじゃねぇの?」

 傷だらけのコップになみなみと注がれた酒をチビチビと啜りながらチラリと隣に座る男を見た。

「忙しくたってメシぐらい食う」

 男は不機嫌そうにぼそりと答え、小さく舌打ちすると灰皿の傍らに置かれた煙草の箱に手を伸ばした。男から視線を逸らしてコップを持ち上げ、少し冷めた酒を口に含んだ。店主が「どうぞ」とおでんを盛った皿を置く。箸を持つと大根を二つに割った。和からしを少しつけて口へと運ぶ。味のしみた大根は口の中でほろりと崩れて、からしで鼻の奥がツンとした。

「食ったらまた仕事に戻んの?」

 残りの大根を口に放り込みながらそう訊くと、煙草を口から離しフゥッと煙を吐き出した男は、まだ長い煙草をギュッと灰皿に押し付けた。

「……いや、今日はたぶん終ェだ」

 男は少し躊躇いがちに答える。ちくわをパクリと食う。モグモグと咀嚼しながら男を横目で見た。

「じゃあ、飲めよ」

 店主に「コイツにも熱燗ちょうだい、それと俺にももう一杯」と、中身が半分ぐらいに減ったコップをユラユラ揺らした。男はやっぱり不機嫌そうで、こちらをチラリと見ると厭そうに眉間の皺をさらに深くした。気づかぬふりでコップの酒を煽ってから牛スジを串から外した。箸の先にちょんとからしを乗せ、牛スジをひと切れ口に放り込む。男は目の前に置かれた酒の入ったコップをちょっと眺めてから、零さないようにそっと持ち上げクイッとひと口飲んだ。

 バツが悪い。あぁ、それだ。合点がいく。

 隣の男より狡い自分は居心地の悪さには目を瞑り、素知らぬふりで酒を勧める。男は黙って酒を呷り、店主に空のコップを渡した。店主が受け取ったコップをちょっと持ち上げ、もう一杯飲むのかと無言で訊ねると、男は小さく頷いた。

「なぁ」

 今度は男の横顔をしっかりと見ながら「うち来る?」と訊いてみる。男は何も答えずグイッと一気に酒を飲み干すと、店主に向かって「勘定。コイツの分も」と言う。慌てて皿に残ったおでんを頬張り、コップの酒を一気に流し込む。

「食ったか? 行くぞ」

 ニヤリと笑って煙草を咥えた男はやたらと男前で、やられたなぁと思いながら店主に「ごっそーさん」と声をかけてから男について店を出た。街のネオンに照らされ透明な橙色の膜を張ったみたいな群青色の空に既に月なく、代わりに誰でも簡単に見つけられる行儀よく並んだ星が三つ、うっすらと見える。冷たい風に肩を竦ませ、先を行く男に「なぁなぁ、コンビニ。コンビニ寄ろうぜ」と声をかけた。



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