ユース合宿1

5日間のユース合宿を経て、佐久早はトレーニングセンターを後にしようとリュックを背負って足早に玄関に向かう。

地方から来てる訳ではないので早く帰る必要もないのだが、佐久早はインフルエンザやノロウイルスが流行り出すこの時期、なるべく人の密集する場所を避けたかった。

夕方の帰宅ラッシュなんて飛んで火に入る夏の虫、苦痛以外の何者でも無い。そこを回避するべく、今すぐにでも帰れる用意を整えた佐久早だったが、先程「早く帰るぞ」と声をかけておいたはずの古森が見当たらない。

「…おい」

「あ、佐久早。ちょい待って」

「早くしろ」

辺りを見渡すと、すぐに少し先の人混みの中心にいる古森をみつける。持ち前のコミュニケーション能力の高さからか、たった数日の間に仲良くなったユースのメンバーと談笑してる古森を回収してようやく帰路についたのだが、施設を出てすぐに古森が足を止めた。

「うっわ、めちゃ可愛い子いる!」

「…」

「え、1人なんかな、大丈夫かな」

「…そんなに気になるなら声でもかければ」

「そうしてくる」

「は」

古森の足を止めた理由が心底どうでもいい佐久早は、古森が指さす方も気にも留めないで足を止めずに歩き続けた。いくら社交性に富んでいる古森といえど、見ず知らずの女性に声をかけることはしないだろうと嫌味のつもりで放った佐久早の言葉に動じることなく佐久早を置いて駆けて行った。

こいつ、ユースでいかにも軽そうな宮の影響でも受けたのか…と古森曰く超絶ネガティブを炸裂させながら、そこでようやく古森の走っていた方向を見れば、佐久早の想像とはかけ離れた女性と言うには幾分か早い少女が1人で立っていた。

「どうしたの?ママとパパとはぐれちゃった?」

「んーん、パパは今でんわしてんねん」

小さな女の子に合わせるように古森がしゃがみ込んで話しかけると、キョトンとした顔をしたのは一瞬で、古森を見上げてニコニコと話し出す。その話し方は、つい先ほどまで聞いていた独特のイントネーションで聞き覚えがあった。

「パパの電話終わるの待ってんのか、偉いねぇ」

「ちゃうよ、まってるのは侑くんやねん」

「…インハイでみかけた。そいつ宮の知り合い」

「あ、そうなの」

今年のインターハイでもう1人のうるさくない方の宮と一緒に見かけたのを佐久早が思い出す。記憶力の良い佐久早でも普段であれば、名前も知らない見ず知らずの少女など覚えていることはないのだが、どうやら牛島とも面識のある少女だったので記憶の片隅に残っていた。

「お兄ちゃん、侑くんとおともだちなん?」

「違「そうそう!お兄ちゃん達さっきまで宮、えーと侑君と一緒にいたんだよー」

あんなのと友達な訳ないだろうと即座に否定しようとした佐久早の言葉を古森が遮った。

「なまえはね、侑くんのおむかえにきてん!」

「こんな可愛い子に迎えにきてもらえて侑君も嬉しいだろうなぁ」

「えへ。あ!でもないしょやから、お兄ちゃんも侑くんに言ったらだめやよ!」

「サプライズか〜!じゃあ内緒にしとく」

「そう!侑くんをびっくりどっきりさせるの」

古森はここでも天性のコミュニケーション能力を発揮して初対面とは思えないようなほど和気あいあいと少女と話す。少女も少女で、人見知りする気配もなく古森と人差し指を唇にあてて「しーっ」と内緒のポーズをして笑い合っている。

楽しげに話しているの古森と違い、佐久早は早く帰りたくてしょうがないのだが、流石に年端もいかない少女を1人置いていくのも気が引けた。そしてなによりも尊敬している牛島がこの少女を「恩人」と話していたこともあり、無下に扱えうことができずにただじーっと2人のやりとりを見ているとまんまるの大きな瞳が佐久早を見上げる。

「お兄ちゃん、かぜ?」

「んー、こいつは風邪ではないんだけど」

マスクをつける佐久早を見上げて少女が古森に聞く。そういえば、インハイの時も似たようなことを言われたなと思い出す。少女の方はすっかり佐久早のことは覚えてないようだが、半年も前に一言二言会話したぐらいなので覚えていなくても仕方がないことだった。

「お兄ちゃん!てあらい、うがいはだいじなんよ!さむくてもちゃんとせなあかんねん」

「…してるし」

ネガティブ思考により予防対策をしてると説明しても分かるかなと古森が思案してるうちに、あろうことか少女が佐久早に手洗いうがいの重要性を語り出したので古森は思わず吹き出してしまう。

ちなみに、少女はネガティブという言葉の意味は「侑くんのはんたい」とほぼ正解の意味で認識している。

「アルコールシュッシュも?なまえのかしてあげよか?」

「持ってる。お前こそ予防注射」

「なまえ、はんこちゅーしゃしたよ!なかへんかった!」

「それじゃない。インフルエンザは」

「?」

「注射一本のやつ」

「うぐ、ちょっとしかないてへんもん…」

佐久早は顔に出やすく口調もきついので子どもに嫌われやすい、いやそもそも近寄ってすらこないだろうと古森は思っていたので、佐久早に臆することなく話す少女に関心しながら2人のやりとりを見守る。実際は見守るというより完全に面白がっているだけであるが。

「お兄ちゃん、なまえだっこする?」

「しない」

「だっこしてたら、なまえゆたぽんであったかいから、かぜひかへんて侑くん言うてたよ?」

「湯たんぽだろ」

「したらいいじゃん」

「無理」

「じゃあ、ぎゅーは?」

「いやだ」

「んー、おててつなぐのもだめなん?」

「…アルコール消毒したら考えなくもない」


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