夜がはじまる




これ以上足を踏み入れてはいけないと身体中が警報をならしている。目の前に広がる森は真っ昼間なのに薄暗くて気味が悪い。魔物が住むと言われるこの森。呻き声や断末魔など聞こえてくるかと思っていたが、ザワザワと揺れる木々の音だけ。それが余計に不気味な雰囲気を醸し出していた。

私は今朝、生贄にされた。この森の奥深くに住むと言う魔王とやらの生贄らしい。まあ、体のいい口減らしだ。そうでもなきゃ捧げものなのに小汚い一張羅の服のまま、森の前に捨て置いたりはしない。この間もどっかの国を壊滅したなんて噂を小耳にはさんだあの手のつけようがない魔王相手に、こんな小娘1人生贄にさしたところで何になるのか。

それでも私は恐る恐る一歩踏み出した。もう帰る家なんてない。もともと肩身の狭い居候生活。10年前に祖母が同じように生贄にされてから私の居場所はどこにもないんだ。ひたすらにこき使われたけど恨みもない。むしろ働き続ける方が何も考えなくすんで良かった。

掃除洗濯料理のあらゆる家事から店の仕事から畑仕事まで。自分に出来ることは無心で何でもやった。それでも料理だけは好きだった。大好きな祖母が教えてくれたものだったから。でも私に与えられるのはパンの焦げた部分や切れ端、あとは野菜クズ。食べられたら何でもよかったから不満はなかったけれど。

だけど今日は特に美味しく焼き上がったたくさんのドライフルーツ入りのパン。最後くらい食べたって怒られはしないだろう。どうせ死ぬんだし。そう思ってこっそり紙に包んで持ってきたパンはまだほんのりあったかい。きっと今頃昼ごはんがないとあの家の人たちは気づくだろう。それが生贄にされる私の精一杯の反抗。

「おいしい…」

木陰に座り込んで鞄から出したパンを一口かじる。自画自賛かもしれないけれど、死ぬ前に美味しいものを食べられるなんていい人生だったな。あたり一面仄暗くて昼なのか夜なのかも分からなかった。森の中を当てもなく、彷徨い歩いて疲れた足はもう動かない。お腹が満たされると急激な眠気が襲ってきた。

ここらで一眠りしようと態勢を整えていると、目の前にまるで黄金を切り取ったかのような眩しい金色が見えた。それは犬にしては大きくて、狼にしてはとても毛艶のいい獣。じっとこちらを見て動かない。

「お腹、へってるの?」

「…」

「今はこれで我慢して。そのうち私はそこらへんでのたれ死んでるはずだから。私を食べるのは後にして…」

歩き回って相当疲れてたんだと思う。動物、もしかしたら魔物かもしれないものに話しかけるなんて。案の定、返答はなかった。でも限界を迎えた身体は言うことを聞かなくて、頭もうつらうつらとしていた。なんとかカバンからもう一つのパンを取り出し、先ほどテーブルがわりにした大きな石の上に置くと私の意識は遠のいていった。

「…?」

目を覚ますと、硬い地面の感触じゃなくて思わず首を傾げた。ふかふかのお布団の手触りは一体何年ぶりだろうか。布団だけじゃなく、見慣れない天井にゆっくりと上半身を起こす。一体ここはどこだろう?キョロキョロとあたりを見渡すと、すぐ横に人が寝ていて思わず飛び上がりそうになった。

すかぴーと気持ちよさそうな寝息を立ててる。先ほど見た輝く毛並みの獣と同じ色の髪をした少年。すぐに自分が服を着てるか確認して肩にかけたカバンまであることにホッと息をつくが、森を歩き回った泥だらけの服でベッドに入ってることにようやく気づく。慌てて降りようと身じろぎすると少年の目がパチリと開いた。真っ暗な夜のような深い黒の瞳だった。

「どこいくの?」

「お布団汚しちゃうと思って、ベッドから降りようと思ったんですが…」

「ふーん」

見た目は私とそう変わらない歳に見えた。でも威圧的なオーラの勢いに呑まれて、これ以上動いていいのかすら分からずに身体を縮こませる。彼は興味なさそうに欠伸をして身体を伸ばしていた。ここは何処だとか、そんなこと聞ける雰囲気じゃなくて短い沈黙が流れる。

「ねぇ、さっきのもうないの?」

「?」

「オマエがくれたパン」

「私のかじったやつでよければ、」

さっきまでの重苦しい雰囲気を醸し出してたのが一変してニッコリと笑った。幸運にもつぶれずに綺麗な形のままのパンをカバンから取り出せば、暗黒の黒い瞳がキラキラと光る。せめてかじったところを切り落とそうと思ったけれど、あっという間にかぶりついてしまった。

「あんなとこで何してたの?」

「こんな身なりですが、一応生贄でして」

頬についたのをペロッと舐めとる。起き抜けのときの怖い雰囲気ではなく、ニコニコと機嫌がよさそうな様子で私に尋ねた。漫然と森のどこかにあると言う城を目指してたせいで服どころか身体中泥まみれの生贄がどこにいるだろうか。呆れられるかと歯切れ悪く説明すると、彼の表情は一段と明るくなる。

「じゃあオマエは、俺のものか」

「え?」

「俺、魔王様だから」

ウキウキとした弾んだ声で彼は言った。目をキラキラさせたままのまるで嘘偽りのない笑顔にざぁっと身体中から血の気がひく。何の知識もない、友人の1人もいない私ですら人の心を持たず極悪非道と耳にするあの魔王が今目の前にいるだなんて。

「名前なんてーの?」

「なまえと言います」

「なまえ、今日から俺の召使いな!」

ただの口減らしで捨てられたと思っていたのに。生贄どころか召使いにされてしまうなんて思いもしなかった。さっそく「腹減った!」とご飯を要求する彼、いや魔王様に意識が遠のきそうになった。



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