「治くん治くん、かん字じょーずにかける?きれい?」
治の元にひょこっと現れたなまえの腕の中には漢字のドリルが握りしめられている。夏休みが終わり二学期に入ってからというものの、いつも持ち歩くようになった可愛らしい動物の描かれたそれ。
「うーん、読めへんことないけど綺麗ではないなぁ」
「だれがいちばんじょーず?」
「あー、…やっぱ北さんやなぁ」
この間までは九九に夢中なようだっだが、国語の授業で習いだしてからはめっきり漢字に熱中してる。元より読書好きなこともあり簡単な漢字の読み書きは出来ていたが、こうして授業でやるようになってキレイに書けるようにもっぱら練習中らしい。
家ではいつも勉強をみてくれる治が北の名前を出した。バレー部の達筆と言えば誰に聞いても北が一番だと名前を上げるだろう。「わかったー」と元気よく返事をすると北の元へとかけてく様子を見ると、北に挨拶するだけで恥ずかしがって照れてた日が懐かしく感じる。
「信介くん!」
「なんや?」
「かん字、じょーずにかけへんから見てほしいねん」
「ええよ、見してみ」
ボールを磨く北の元へと辿り着くとちょんちょんと服の裾を引っ張る。ボールから目を離した北はなまえに気づくと後輩達には中々見せないような顔でふわりと微笑んだ。侑あたりなら二度見してしまうような優しげな表情の北になまえも嬉しそうにニコニコしながら漢字ドリルを差し出す。
「赤と耳がむずかしいねん。どうしたらじょーずにかける?」
「毎日の練習やな」
一緒に漢字ドリルを覗き込みながらなまえが少し困ったように眉を下げながら尋ねるとキッパリとした正論が返ってくる。相手が子どもであろうともそこは変わらない北だが、なまえにとってもいつもの対応なので特に臆する様子は見られない。誰もが恐れる正論パンチもなまえにとっては物知りな信介くんと普通に受け止めてるらしい。素直って素晴らしいものである。
「おー、でもちゃんとやってるやん。えらいなぁ」
「でもな、せんせーみたいにきれいくできへんねん。やからおてがみまだかけへんくて…」
ペラペラとドリルをめくれば練習するために空欄であった場所は、なまえが書いたであろう拙い字で全て埋まっている。北が褒めるとなまえは一瞬嬉しそうに笑うがすぐに自信なさげにボソボソと話しだした。
「…手紙の字を綺麗に書けるようになるんも大事やけどな、心を込めて書くのも大事やねんで」
「相手のことを想って心を込めて丁寧に、丁寧に書いたらその文字に神さんが宿るねん。」
「かみさま?」
その様子を見た北は漢字ドリルを閉じてなまえの目を見ながらゆっくりと話し出した。北の言葉にキョトンとした顔でなまえは聞き返す。
「そおや。文字の神さんはな書いた人の気持ちを伝える手伝いをしてくれんねん。神さんが宿った手紙はなもらった相手はすごく嬉しいねんで」
「なまえのおてがみも、かみさまきてくれるかなぁ」
「せやなぁ、こんだけ練習しとるなまえが書けば来てくれると思うで」
「じゃあ、いまからがんばってかく!信介くんありがとぉ」
「ええよ。がんばり」
いつだったか祖母が教えてくれたことをなまえに伝える。祖母のように優しく伝えれたか分からないしまだ幼いなまえが全てを理解出来たかは分からないが、先程の自信なさげな顔じゃなくいつもの元気いっぱいの顔。それを見てどうやら上手くアドバイスできたのだと北は安心した。
___
「練くん、路くん!!」
「ん?」
「どーしたー?」
「かん字ならったの!やからいっぱいれんしゅーしてん」
北に言われてから体育館の2階ギャラリーでひたすら漢字の練習をしていたことは同じく体育館でバレーの練習をしていたバレー部は既に知っていた。なまえが遊びに行かずにギャラリーにいる日であれば可愛らしい応援する声が聞こえてくるのだが、今日はそれがなかったので何事かと部員達の方が気が気でなかったらしい。稲荷崎バレー部ではいつの間にかなまえがいることが当たり前になっているのだ。
侑に至っては好プレーしたのに関わらず漢字ドリルに夢中のなまえに「…漢字ドリル許さへんぞ」とドリル相手に敵意剥き出しの様子だった。
「流石なまえやなぁ!」
「練習したん見せてくれるんか?」
休憩が始まった赤木と大耳の元へと嬉しそうにかけるなまえに合わせるようにしゃがみ込む2人ももちろんそのことを知っていた。北に見せたように見せてくれると思ってた2人の前になまえは漢字ドリルではなく、可愛らしいヤギのイラストが書かれた便箋を差し出す。
「おてがみかいてん!」
そう言ってにっこり笑う。先程のなまえのように驚いてキョトンとしながらも赤木と大耳はその手紙を受け取った。
赤木みちなりくんへ
いつもやさしくしてくれて、おはなししてくれてありがとう
これからもなかよくおともだちしてね
みちくん大すき!!
大耳れんくんへ
いつもなまえのこと、たかいたかいしてくれてありがとう
あしたもなかよくおともだちしてね
れんくんだーいすき!
有名な童謡のように白ヤギと黒ヤギの描かれた手紙。それを開けると拙い字ではあるがなまえの気持ちがたくさん込められていて心がじんわりとあたたかくなる。
「ありがとうな。むっちゃ嬉しいわ」
「ありがとう。今度返事書くわ」
「えへへ、どういたしまして!」
きっと習った漢字が赤木と大耳の名前だと気づいて手紙を書きたかったのだろう。それでいつもなら応援するバレーの練習にも目をくれず、漢字を書き続けていたのだとその様子を見てた部員達が気づく。
「ええなぁ。俺も欲しい」
「漢字書けるようなったら書いてくれるんやな」
羨ましそうに手紙を覗き込んだレギュラー陣に赤木と大耳は誇らしげに微笑む。簡単な漢字で得したと思うのはテストで名前を書く時以来だと思った。
「あ、じゃあ俺来年だ。ちなみに宮は小3で習うみたいだよ」
「宮やとツムとかぶるやん。名前の方は?」
「治は…4年だって」
「まだ先やなぁ」
スマホをいじる角名がさっそく自分の苗字がいつ習うのか検索する。便利な世の中になったようで「小学生 漢字」と検索すればすぐに各学年で習う漢字の一覧表が出てきた。
「俺は!?」
「侑…の字は小学校で習わないって」
「ハァーン!?なんっっでやねん!!」
治の次に侑と入力して検索をかければ、「 侑 小学校で習わない漢字です」と出てきた画面を見せると侑は「不公平や」と怒り始める。
「…俺もや」
「アランくんもか!じゃあ尾は捨ててしまえばええやん」
「おっ!アランくんは白アランに改名やな!」
「捨てられるかい!!苗字が白やと見た目とややこしなるやろがい!」
角名と同じように自分の名前を検索し始めたメンバー陣の中、尾白が侑同様に「尾」と言う字が小学校で習わないことを知りガクンと項垂れる。すると先程までプンスカしてた侑は面白いものを見つけた顔に変わる。それに治も加わり、完全に尾白をいじるのを楽しんでいる。
「あと、はい!大見こーちも!」
「!?棚からぼた餅」
部員となまえのやりとりを可愛らしいなぁと思ってた監督とコーチの大人陣だが、まさかもらえると思ってない大見までもが手紙を貰えて年甲斐もなくはしゃぐ様子になまえは神様が来てくれたんやなぁと嬉しそうに笑う。そしてこっそりと黒須監督がスマホで自分の名前を検索し、侑や尾白のように習わない漢字と知って肩を落とすことになる。
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