seaside lovers
Seaside lovers

「見えてきたよ!」
煌めく碧と、揺れる光の狭間を指差して、詩羽は声を上げた。
「こら詩羽、危ないだろ」
電車の窓から顔を出そうとする詩羽の肩を、引き寄せて連れ戻す。
「ご、ごめ…ん」
詩羽は目を見開いて、顔を赤らめていた。
くしゃ、と髪を撫でてやれば、顔を見られないようにか、頭をぽすりと俺の肩に預けて。
「分かればよろしい」
くす、と詩羽が笑う。ようやく緊張がほぐれてきたようだ。
久しぶりの俺たちのデートは、舞台を海辺へと移そうとしていた。

こくりこくり、舟を漕ぎ始めた詩羽の横顔を見ながら思い出すのは、一か月ほど前のことだった。



唐突に呼び出しがあった。俺の大学の授業後。
「コーヒー一つ」
「あ、私紅茶で」
そんな注文にも、もう随分慣れてきた。いつものセット。
「それで? わざわざこんな呼び出し方をしたっていうことは」
「えへへ……」
バレバレだ、と思ったが、何も言わずに俺は運ばれてきたコーヒーに手を伸ばした。
「あのね! これ、当たったから一緒に行ってほしいの!」

目の前に差し出されたのは、ペア旅行の招待券だった。

「いつ?」
「いいの?」
「いいも何も……」
他のやつと行かせる訳にはいかないだろ。
そこまで言えたら苦労しないのかも知れない。言葉にできずに飲みこんだ。

俺の表情から何を感じたのか、詩羽の表情が目に見えて華やいでいく。
「あっ、ありがとう!」
「どういたしまして」

キラキラとした瞳に、何も考えずに感覚で出したYesの返答は間違っていなかったのだと感じる。
たまにはこういうのも、良いのかもしれない。



行き先はエメラルドグリーンの海。
電車を乗り継いで、日差しを受けながら少し歩いて。
散策をして博物館を見て回ったり、気が向いたら買い物をして。

「なにそれ、可笑しい〜!」
日差しに照らされて、お腹を抱えて笑う詩羽の笑顔がまた輝いた。
「あ、これ美味しそう」
「買うか?」
「悩むな〜」
冗談交じりに近況報告をしながら、観光をして。
今日の一番の戦果は地酒入りのアイス。いい風味だった。
そんな感想しか出てこない自分と対照的な存在が、やはり詩羽で。
詩羽だったらどんな表現をするのだろう。ついそんなことを考えている自分に驚く。目の前の幸せそうな顔を見つめて、やはり好きだ、と思った。



電車で寝たからだろうか。彼女はずいぶん元気そうだ。
宿に着いて荷物を置くと、目の前の海に散歩に行こうという話になった。

「見てて!」
「あれ、詩羽?」

駆け出した詩羽を捕まえる余裕もなく、海岸で詩羽が踊り出す。
『夏色えがおでー!』

輝いている、そう思った。
光を受けて、詩羽は自ら輝きを放っている。

砂に足をとられてもたつくこともあるけれど、これだけ踊れれば誰にも引けを取らないだろう。
それがきっと、詩羽の『楽しい』気持ちの根元であり、
俺が好きな彼女の一部分だ。

頷いて、空へと跳ぶ。
空へと音を響かせる。

くるりと一回転した詩羽と目が合う。
「っ!」
真っ赤になった詩羽が浜辺に倒れる。
すんでのところで滑り込んで抱きとめて。

なんだか可笑しくて、楽しくて、ひとしきり二人で笑った。



なんて幸せなんだろう。
朝起きたら天爛がいる。
「ん〜……」
「おはよ」
眠そうな天爛が声をかけてくれる。
「おはよ〜」
その声に応えれば、天爛はふわ、と笑った。
家にいる、緊張感のある中では有り得なかった優しい朝。
「起きて、詩羽。ご飯行こう」
「んー、起こしてー」
柄にもなく甘えれば、
「まだ眠いのか?」
ぽふ、と上から天爛が降ってきた。重みが存在を主張している。首筋に癖っ毛が当たってなんだかくすぐったい。
「て、天爛っ」
「んーー?」
途端に恥ずかしくなった私を見て楽しむかのような天爛。その瞳がなんだか温かくて、嬉しくて、そっと天爛の背中に両腕を回した。
「あったかい……また寝ちゃいそう」
「そりゃ大変だ」
笑いながら上体を起こした天爛に引っ張られ、ようやく私も半分布団から出た。
彼の前では、少女でいられる。どれだけ時間を重ねても、ずっと。

「「いただきます」」
いかにも旅館の朝ごはん、といった感じのお膳が私たちの前にそれぞれ置かれている。
ご飯、みそ汁、お漬物、焼いた干物、海苔。この海苔がいかにも〜って感じだ。
「んー……目が覚める」
飲み物はセルフサービスだったから、いつも通り天爛はコーヒーだ。私は紅茶にした。
「それで、今日はどうしようか」
「せっかく海に来たから……」
「入るか?」
「へ?……うん、そうしようか!」

唐突な天爛の言葉に、相当驚かされたけれど。
私たちは用意してきていた水着を持って、目の前のビーチへと繰り出した。

「ポニーテールとシュシュ!」
選び抜いた水着、束ねた長い髪、水玉のシュシュ。
「おおー」
目を見開いた天爛の前で、くるりと一回転する。

小さな夢を叶えていく。彼と二人で、一つずつ。
出会う前は夢を見ることすら許されなかったけれど。
彼は許してくれる、許して、甘えさせてくれる。
嬉しくて嬉しくて、まるで夢みたいだ。
気付いた時にはもうどきどきが止まらなくなっている。まるで魔法だ。

勢いに任せて駆け出す。
天爛も歌の通りにシャツをまくっていたから、悪戯のように裾を前で結んだ。
彼の薄いシャツがはためいて、私達の夏が始まった。

全力で、この夏を輝くために。



「へへっ、ついて来るー?」
「うた、は、はやっ」
「伊達に鍛えてないよ〜」
笑いながら駆け出す詩羽。ついて行くことなんてできっこない、俺は万年インドア生活なのだ。
それでも、詩羽は時々俺を振り返っては器用に飛び跳ねて待っていてくれた。
追いついたと思って飛びつけば、海中に逃げられて俺は水面に一直線だ。能力の違いを見せつけられながらの追いかけっこ。
でも楽しい。
らしくなく本気になって、一瞬見えた足を掴んだ一瞬後、詩羽が海に倒れ込む。
「っ!!! しょっぱい〜〜〜!」
顔を上げた詩羽が叫んだ。
「ごめん、はは」
「本気になったねー?」
「なったなった」
ここは素直にならないと詩羽が本気を出してしまう。降参だ。
「もー、かわいいんだから」
「子供っぽくて?」
「ううん、私に本気でいてくれて」
……一瞬で熱くなった耳を、見られませんように。



「綺麗だね」
髪の行方を風に任せて、詩羽は浜辺に座り込んだ。
「よかった、天爛と一緒に来られて」
「そうだな」
温かい言葉が嬉しくて、俺も隣に座った。
お互い決して素直じゃない。恥ずかしいから。
それでもこういう特別な時には、無性に伝えたくなる。

あなたが大切なこと。
どんな些細なところも魅力的なこと。

まるで、
きらきらと輝く、海のようだということ。

けれど、その輝きは、言葉に詰め込むのは難しい。
きらきらは、全部まとめて夜空に上げたいけれど、現実は難しい。

だから、寄り添う。ゆったりとした時間を一緒に過ごす。
この想いが伝わればいいなと思って、
二人、同時に相手に寄りかかった。



「それじゃ、またね!」
手には濡れた水着の入ったビニールバック。
帰りの電車はお互い疲れてくたくたで、ぐっすり眠ってしまったのもいい思い出だ。
詩羽は髪が気になるのか、しきりに手櫛で梳いていたが、ぽんぽん、と頭を撫でてやるとそれも収まった。

「ああ」
またね、は、いつも俺に力をくれる。
次があるという、確証。それが嬉しい。
それが、詩羽の望みだというなら尚更だ。
それでも、
きっと過ぎった不安は、同じものではないだろうか。

一瞬で駆け抜ける詩羽も、腕さえ掴んでしまえばこちらのものだ。
「……ちゃんと、好きだよ。……またな」
一瞬呆けた詩羽は、俺の方を見上げて、見事に頬を染めてみせた。
「う、うん、……好き、大好き!」
花開くように、笑顔になる。
この笑顔が、一番の彼女の魅力だ。

駆けていった彼女を見送って、俺も帰路について。
電車に乗って届いていたメッセージを確認すると、一行だけ。

『反則だよー、私の王子様』


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