Seaside lovers
「見えてきたよ!」
煌めく碧と、揺れる光の狭間を指差して、詩羽は声を上げた。
「こら詩羽、危ないだろ」
電車の窓から顔を出そうとする詩羽の肩を、引き寄せて連れ戻す。
「ご、ごめ…ん」
詩羽は目を見開いて、顔を赤らめていた。
くしゃ、と髪を撫でてやれば、顔を見られないようにか、頭をぽすりと俺の肩に預けて。
「分かればよろしい」
くす、と詩羽が笑う。ようやく緊張がほぐれてきたようだ。
久しぶりの俺たちのデートは、舞台を海辺へと移そうとしていた。
こくりこくり、舟を漕ぎ始めた詩羽の横顔を見ながら思い出すのは、一か月ほど前のことだった。
☆
唐突に呼び出しがあった。俺の大学の授業後。
「コーヒー一つ」
「あ、私紅茶で」
そんな注文にも、もう随分慣れてきた。いつものセット。
「それで? わざわざこんな呼び出し方をしたっていうことは」
「えへへ……」
バレバレだ、と思ったが、何も言わずに俺は運ばれてきたコーヒーに手を伸ばした。
「あのね! これ、当たったから一緒に行ってほしいの!」
目の前に差し出されたのは、ペア旅行の招待券だった。
「いつ?」
「いいの?」
「いいも何も……」
他のやつと行かせる訳にはいかないだろ。
そこまで言えたら苦労しないのかも知れない。言葉にできずに飲みこんだ。
俺の表情から何を感じたのか、詩羽の表情が目に見えて華やいでいく。
「あっ、ありがとう!」
「どういたしまして」
キラキラとした瞳に、何も考えずに感覚で出したYesの返答は間違っていなかったのだと感じる。
たまにはこういうのも、良いのかもしれない。
☆
行き先はエメラルドグリーンの海。
電車を乗り継いで、日差しを受けながら少し歩いて。
散策をして博物館を見て回ったり、気が向いたら買い物をして。
「なにそれ、可笑しい〜!」
日差しに照らされて、お腹を抱えて笑う詩羽の笑顔がまた輝いた。
「あ、これ美味しそう」
「買うか?」
「悩むな〜」
冗談交じりに近況報告をしながら、観光をして。
今日の一番の戦果は地酒入りのアイス。いい風味だった。
そんな感想しか出てこない自分と対照的な存在が、やはり詩羽で。
詩羽だったらどんな表現をするのだろう。ついそんなことを考えている自分に驚く。目の前の幸せそうな顔を見つめて、やはり好きだ、と思った。
☆
電車で寝たからだろうか。彼女はずいぶん元気そうだ。
宿に着いて荷物を置くと、目の前の海に散歩に行こうという話になった。
「見てて!」
「あれ、詩羽?」
駆け出した詩羽を捕まえる余裕もなく、海岸で詩羽が踊り出す。
『夏色えがおでー!』
輝いている、そう思った。
光を受けて、詩羽は自ら輝きを放っている。
砂に足をとられてもたつくこともあるけれど、これだけ踊れれば誰にも引けを取らないだろう。
それがきっと、詩羽の『楽しい』気持ちの根元であり、
俺が好きな彼女の一部分だ。
頷いて、空へと跳ぶ。
空へと音を響かせる。
くるりと一回転した詩羽と目が合う。
「っ!」
真っ赤になった詩羽が浜辺に倒れる。
すんでのところで滑り込んで抱きとめて。
なんだか可笑しくて、楽しくて、ひとしきり二人で笑った。
☆
なんて幸せなんだろう。
朝起きたら天爛がいる。
「ん〜……」
「おはよ」
眠そうな天爛が声をかけてくれる。
「おはよ〜」
その声に応えれば、天爛はふわ、と笑った。
家にいる、緊張感のある中では有り得なかった優しい朝。
「起きて、詩羽。ご飯行こう」
「んー、起こしてー」
柄にもなく甘えれば、
「まだ眠いのか?」
ぽふ、と上から天爛が降ってきた。重みが存在を主張している。首筋に癖っ毛が当たってなんだかくすぐったい。
「て、天爛っ」
「んーー?」
途端に恥ずかしくなった私を見て楽しむかのような天爛。その瞳がなんだか温かくて、嬉しくて、そっと天爛の背中に両腕を回した。
「あったかい……また寝ちゃいそう」
「そりゃ大変だ」
笑いながら上体を起こした天爛に引っ張られ、ようやく私も半分布団から出た。
彼の前では、少女でいられる。どれだけ時間を重ねても、ずっと。
「「いただきます」」
いかにも旅館の朝ごはん、といった感じのお膳が私たちの前にそれぞれ置かれている。
ご飯、みそ汁、お漬物、焼いた干物、海苔。この海苔がいかにも〜って感じだ。
「んー……目が覚める」
飲み物はセルフサービスだったから、いつも通り天爛はコーヒーだ。私は紅茶にした。
「それで、今日はどうしようか」
「せっかく海に来たから……」
「入るか?」
「へ?……うん、そうしようか!」
唐突な天爛の言葉に、相当驚かされたけれど。
私たちは用意してきていた水着を持って、目の前のビーチへと繰り出した。
「ポニーテールとシュシュ!」
選び抜いた水着、束ねた長い髪、水玉のシュシュ。
「おおー」
目を見開いた天爛の前で、くるりと一回転する。
小さな夢を叶えていく。彼と二人で、一つずつ。
出会う前は夢を見ることすら許されなかったけれど。
彼は許してくれる、許して、甘えさせてくれる。
嬉しくて嬉しくて、まるで夢みたいだ。
気付いた時にはもうどきどきが止まらなくなっている。まるで魔法だ。
勢いに任せて駆け出す。
天爛も歌の通りにシャツをまくっていたから、悪戯のように裾を前で結んだ。
彼の薄いシャツがはためいて、私達の夏が始まった。
全力で、この夏を輝くために。
☆
「へへっ、ついて来るー?」
「うた、は、はやっ」
「伊達に鍛えてないよ〜」
笑いながら駆け出す詩羽。ついて行くことなんてできっこない、俺は万年インドア生活なのだ。
それでも、詩羽は時々俺を振り返っては器用に飛び跳ねて待っていてくれた。
追いついたと思って飛びつけば、海中に逃げられて俺は水面に一直線だ。能力の違いを見せつけられながらの追いかけっこ。
でも楽しい。
らしくなく本気になって、一瞬見えた足を掴んだ一瞬後、詩羽が海に倒れ込む。
「っ!!! しょっぱい〜〜〜!」
顔を上げた詩羽が叫んだ。
「ごめん、はは」
「本気になったねー?」
「なったなった」
ここは素直にならないと詩羽が本気を出してしまう。降参だ。
「もー、かわいいんだから」
「子供っぽくて?」
「ううん、私に本気でいてくれて」
……一瞬で熱くなった耳を、見られませんように。
☆
「綺麗だね」
髪の行方を風に任せて、詩羽は浜辺に座り込んだ。
「よかった、天爛と一緒に来られて」
「そうだな」
温かい言葉が嬉しくて、俺も隣に座った。
お互い決して素直じゃない。恥ずかしいから。
それでもこういう特別な時には、無性に伝えたくなる。
あなたが大切なこと。
どんな些細なところも魅力的なこと。
まるで、
きらきらと輝く、海のようだということ。
けれど、その輝きは、言葉に詰め込むのは難しい。
きらきらは、全部まとめて夜空に上げたいけれど、現実は難しい。
だから、寄り添う。ゆったりとした時間を一緒に過ごす。
この想いが伝わればいいなと思って、
二人、同時に相手に寄りかかった。
☆
「それじゃ、またね!」
手には濡れた水着の入ったビニールバック。
帰りの電車はお互い疲れてくたくたで、ぐっすり眠ってしまったのもいい思い出だ。
詩羽は髪が気になるのか、しきりに手櫛で梳いていたが、ぽんぽん、と頭を撫でてやるとそれも収まった。
「ああ」
またね、は、いつも俺に力をくれる。
次があるという、確証。それが嬉しい。
それが、詩羽の望みだというなら尚更だ。
それでも、
きっと過ぎった不安は、同じものではないだろうか。
一瞬で駆け抜ける詩羽も、腕さえ掴んでしまえばこちらのものだ。
「……ちゃんと、好きだよ。……またな」
一瞬呆けた詩羽は、俺の方を見上げて、見事に頬を染めてみせた。
「う、うん、……好き、大好き!」
花開くように、笑顔になる。
この笑顔が、一番の彼女の魅力だ。
駆けていった彼女を見送って、俺も帰路について。
電車に乗って届いていたメッセージを確認すると、一行だけ。
『反則だよー、私の王子様』