never let me go14
人の声が聞こえた。うっすらと目を開くと、美しい男がこちらをのぞき込んでいた。彼は子供からも懐かれそうなほど、親しみのある笑みを浮かべると、指先をこちらへ伸ばした。ぐっと押し開かれたのはまぶただった。
「……ない? な……で、……ちがう」
青ではない、と聞きとれて、マリウスは起き上がろうとした。彼は、マリウスの持っていた財布から取り出したであろう運転免許証を凝視していた。男が彼に何か言い、彼は少し考える素振りをしてから、手にしていたものを男へと投げた。
「裸眼だ。こいつはマリウス・ホワイトじゃない」
汗が吹きでた。体を動かそうとしても、動かない。だが、拘束はされていなかった。ひどい眠気と体の重さにマリウスはまた目を閉じようとした。
「あぁ、半分覚醒してるね」
彼はそう言い、マリウスの間近に来た。甘い香りが広がる。
「まだ寝てていい。次に覚醒した時は、きっとずっと眠っていたいって思うから」
大きな手がまぶたを覆うように被さった。
マリウスは、マリウス・ホワイトという名前ではなかった。施設から逃げたマリウスは、本名ではいつか誰かに知られ、施設か父親のように病院へ入れられると考えた。
だから、運転免許証を取得する前に、体で稼いだ金のほとんどを使って、身分証を買った。同じマリウスという名前の身分証を渡された時、マリウスは生まれ変わった気がした。もちろん、元のマリウスに何があったか気になったものの、身分証を売るということは、彼自身も何かしら事情があったにちがいない。
身分証にあった写真と同じ色に髪を染め、カラーコンタクトを入れた後、運転免許証を取得した。そして、州を越えてから、身分証を紛失したと偽り、マリウスは新しく写真を撮りなおした。
運転免許証の写真も、撮りなおしたはずだ。ホワイトを知る人間でなければ、彼がブロンドにブルーの瞳だったと分かるはずがなかった。ホワイトが何をしたのかは分からないが、マリウスは自分がホワイトではないと断言した彼なら、すぐに話を理解してくれると思った。
どれくらい眠ってしまったのかと考える前に、また意識が落ちていく。それは一瞬に思えたが、日にちで数えるとすでに数日は経過しているようだった。
今度は自然な目覚めではなく、乱暴に体を揺すられた。最初に覚醒した時と同じ部屋だ。マリウスはソファにだらしなく体をあずけている状態で、やはり拘束はされていなかった。
連れ去られた時と同じ格好をしているマリウスは、首に巻いていたマフラーへ触れた。この世界に詳しいわけではないが、この屋敷に属する人間がどういう類のものか知っていた。ニケの言葉に動揺し、逃げ出した時のようにはいかないだろう。
不意に料理長のことを思い、今頃、彼がどんなに心配しているかを想像した。人ちがいという誤解を説明して早く帰らなければならない。
マリウスが姿勢をただそうと動くと、向かいのソファに座る美しい男が声をかけてきた。
「マリウス・カヴィオス、同じ名前の身分証を手に入れられたのは、君が幸運だったか、それとも、金を積んだか」
彼は笑みを浮かべた。
「あるいは両方なんだろう」
明るいブラウンの瞳が、値踏みするようにマリウス射た。
「君は確かに美しいけど、ディミトリの目に留まるほどか?」
誰かに同意を求めたわけではないようで、彼は小さく息を吐いた。あの、と声をかけると、彼は目を丸くした。だが、返された彼の言葉に、マリウスも驚いた。
「俺に話しかけるなんて、大胆だね。尻を突き出す時も、そんな感じ?」
からかっているわけではないことは、彼の瞳を見たら分かった。本名を突きとめたということは、つまり、マリウスの過去も調べ上げたことに他ならない。 |