never let me go1 | ナノ





never let me go1

 売れ残りだから、と二百グラムで切った後、あまっていた牛肉のミンチを上乗せしてくれた店主に、マリウスは笑みを浮かべた。礼を言い、店じまいを始めている奥の従業員にもあいさつをしてから、カートを押す。特に食べたいものはないが、明日は仕事が休みで、家から出ることもないため、カートの中は自然と物が増えた。
 レジの手前では、やはり売れ残りのパンが少し安くなっていた。マリウスは一つだけ残っているバゲットを手に取ろうと伸ばす。
「あ」
 同じく手を伸ばした男性客を見上げ、すぐに視線を落としたマリウスは気まずさからカートを押してレジへ向かった。長身の男はマリウスを抜かし、紙袋ごと半分にちぎったバゲットをカートへ入れる。
「あ、あの」
 彼は左の脇にラビオリの缶詰を抱えていた。彼の買い物はその缶詰とバゲットだけのようだ。
「バゲット代は俺が」
 マリウスの前に行き、先に会計を始めた彼は、レジにいる店員へそう伝えた。マリウスはカートの中の物をベルトコンベアへ置いてから、出て行こうとする彼を呼びとめる。ダークブラウンの瞳は特別な色ではないが、彼の瞳には冷徹な面が見えて、一瞬たじろいだ。
「あの、バゲット、ありがとうございます」
 呼びとめられた用が済んだと知り、彼は何も言わずまた駐車場のほうへ歩いていく。これ以上、追いかけるのもおかしい。マリウスは片田舎の街のスーパーには不釣合いな彼から視線を外し、会計をするため、中へ戻った。
「どうせなら、うしろの客の会計は俺が、のほうがインパクトがあるわよね」
 レジにいる顔見知りの店員が、戻ってきたマリウスから現金を受け取りながら笑う。マリウスは苦笑した。
「そんなことする義理はないよ」
「まぁね、でも、あの人、きっとお金持ちよ」
 どうして分かるのか、と尋ねる前に、彼女が続ける。
「財布も、コートも、それに靴も、一流ブランドのものだったわ」
 ブランド名まで教えてくれたが、マリウスは知らなかった。そういう高価なものを持つ人でも、缶詰のラビオリを食べるのか、と考え、小さく笑った。持参していた大きなエコバッグへ購入したものを詰め込んでいく。
 外は少し雪がちらついていた。街灯の光できらきらと舞いながら降る雪は、きれいではかなく、幻想的だった。
 駐車場に停めた古い国産車に乗り込む。来年の車検には通らないかもしれない、と頭の中は収入と支出という生きていく上で重要といえるテーマへと変わった。
 マリウスは児童養護施設の調理師として働いている。十八の時に何とか得た仕事は、施設内の清掃員だった。契約している施設を回る仕事を真面目にこなすマリウスに、今の施設の園長が調理場の仕事を紹介してくれた。

 街の中心地から車でニ十分ほどの場所は、老朽化の進んだ建物が多い。マリウスはきしむ階段を上がり、アパートの五階を目指す。いつものように左手で荷物を抱え、右手で鍵を回し、照明をつける。入ってすぐにキッチンがあり、テーブルの向こうにはソファベッドが置いてある。エコバッグをいったんテーブルの上に置き、狭い廊下でコートを脱いだ。コートのポケットに入れたままにしているキーホルダーを電話の隣へ並べる。
 携帯電話を持つようになってから、家の電話は使用していない。インターネットの基本使用料と一緒になっており、解約するにも費用がいると聞いて、そのままにしていた。去年、ようやく取得できた調理師免許のおかげで、年収は少し上がったが、贅沢が許される生活ではない。


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