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「ただいまですー」
「…お帰り」
「にゃーぁ」

ドアを開けると、玄関で体育座りをしていた松野さん。
そして松野さんに抱えられるようにして、頭と小さな前足を松野さんの膝頭にそろえ、くつろいだ様子のメガネをかけた猫がいた。

「わ、わ、わあぁー!」

鞄が肩からずり落ちるのも構わず、思わず四つんばいになって、小さなお客さんを目の前で眺める。

「かっわいいー…!」

仕事の疲れが吹き飛ぶ愛らしさだ。
私が近づいても、猫は怯えた様子も引く様子もなく、メガネの奥からおっとりとした目を向けてくれた。
ふわふわした毛並みと優しい丸みのある体。これは癒される。

「はぁぁ…この子松野さんの猫ですか?」
「いや、野良猫。エスパーニャンコって名前」
「可愛いですねぇ…」

前足で顔をこすっているのをしばらくうっとり見つめ、そういえば靴を脱いでいなかったと気づく。
思わぬ来訪者に大人げもなくはしゃいでしまった。松野さんの目の前なのに。
ちょっと恥ずかしくなり、何事もなかったように体をゆっくり起こし、パンプスを丁寧なしぐさで脱ぐ。
しかし松野さんは特に私を気にかけず、猫…エスパーニャンコの背中を撫でていた。元々ののんびりした雰囲気がもっと間延びしたような、なんだか眠たくなる空気が出ていた。

「今さらだけど、ここペットOKだった?」

部屋へ向かう私の後を一緒について来ながら松野さんが聞く。

「ああ、大丈夫ですよ」
「前、連れて来てもいいって言ってたから…」
「はい。楽しみにしてました」
「…だってさ」

松野さんが話しかけると、エスパーニャンコが「にゃあ」と答える。

「松野さんの言葉がわかってるみたいですね」
「こいつは賢いから」
「にゃぁお」
「いいお返事ですねえ。可愛い…」

部屋には前回と同じくご飯が用意されていて、私の感動したあの猫むすびもあった。

「またこれ作ってくれたんですね!」
「…これぐらいしかできないからね…」
「いやいや、この一手間が案外できないものなんですよ」

これを楽しみにしていたのだ。
鞄と上着を適当にその辺に置き、テーブルからラップに包まれた猫むすびを一個手に取る。

「…あっ、この子だけメガネしてるじゃないですか!」
「こいつモデルにしたから」
「わぁぁぁ可愛いー!すごいですね松野さん、こんな可愛いの作れちゃうなんて」

松野さんの抱くエスパーニャンコの顔の横に、エスパーニャンコむすびを並べてみる。
そっくりだ。松野さんは器用なのに違いない。
お腹は空いているものの、エスパーニャンコむすびをエスパーニャンコの見てる前でかぶりつくのが悪い気がして、並べて写真を撮るにとどめた。
松野さんの腕から床へ飛び下りたエスパーニャンコにそのままカメラを向けていく。すばやく動画モードに変えるのを忘れずに。
ぷりぷりしたおしりを振りながら部屋を歩く、その後ろについてまわる。

「わー家に猫がいる」
「…猫、好きなの」
「好きですよ」
「飼わないの」
「一人暮らしですから、何かあった時に構ってあげられないかもしれないですし」
「…」

爪とぎも粗相もしない、おりこうさんのエスパーニャンコは家を気に入ってくれていたようだ。座布団の上で何度か足をふみふみしたあと、くるりと体を丸めて寝た。

「この子、ご飯食べたんですか?」
「さっき、猫缶食べた」
「ああ…見たかったな…」
「それはオプションでどうぞ」
「松野さん、商売上手ですね。…あ、松野さんは?」
「何が」
「ご飯、何か食べました?」
「いや、家帰ってから…」
「ついでだから一緒に食べませんか」
「えっ」

いくつかあるおにぎりの一つをかざして見せる。

「どうでしょう」
「あ…いや、」

断るつもりだったらしい松野さんのお腹が鳴ったのが聞こえた。

「……」
「……」
「…か、帰る」
「帰る流れなんですか」

今のは一緒に食べる流れではなかったのか。松野さんって独特だな。

「オプション料金払いますよ」
「………む、むり」
「えっ」
「女子と…女子と二人だけの部屋で、一緒にご飯、食べるとか…無理…」
「これまでも二人だけでいたんですが…」

松野さんは「ちょっとの時間なら耐えれる」と視線を床に落とした。
エスパーニャンコを抱いていた手は、自分の体を抱きしめるように軽く交差させている。
思い出せばたしかに、今まで松野さんは私の帰宅後に長居はしていなかった。

「松野さんて、女性苦手でしたっけ」
「苦手というか…緊張して…」
「急に出てきませんでしたかその緊張」
「…お腹鳴ったのが引き金になって…いいい意識したら緊張してきた…」
「エスパーニャンコを見て落ち着きましょう、いったん」

自分のテリトリーとして認定したらしい座布団の上で、警戒心もなくくつろぐエスパーニャンコを見ているうち、松野さんは落ち着きと平常心を取り戻した。

「猫…そう俺は猫…留守番してただけの猫…」

平常心ではないかもしれない。
何やら自分に暗示をかけていた。

「松野さんは忠猫さんですからね」
「…うん」
「今日もありがとうございました。先に渡しておきます」

猫のポチ袋にお金を入れる。
「かつおぶしとかのほうが良かったですか?」と聞きながら渡すと、「そこは人間扱いで」と返ってきた。平常心になったようだ。
しかし帰宅の意思は固かった松野さんを玄関まで見送る。
エスパーニャンコも松野さんが帰る気配を察して、サンダルをつっかける足元に寄ってきていた。

「今日はエスパーニャンコがいて良かったですね」

名残惜しく小さな体を撫でていると、「次からこいつが来たほうがいいんじゃない」と低いテンションで言われる。

「この子も嬉しいですけど、私は松野さんに来てほしいです」
「いいよフォローは」
「一緒にご飯食べれないじゃないですか」
「…すいませんね動揺して。見てのとおり童貞なもんで…」
「それはわかりませんでしたが…いつか夕飯もご一緒できたらと思ってます」
「…」
「ほんとです」

松野さんはたぶん、ちょっとネガティブな人だ。
悪い印象はないですよと伝えるために、ごはんを一緒に食べましょうと強調しておいた。きっと私のほうは嫌われてはいないはずだから。
ドアノブに手をかけた松野さんが私を振り返る。

「…物好きだね」

その口はほんのわずか笑っていた。

「またよろしくお願いします」
「次も呼んでくれるなら」

松野さんの開けたドアからエスパーニャンコが先にすり抜けていく。この子もまた来てくれるだろうか。

「……あ、そうだ」

ドアの向こう、閉まる寸前で松野さんが独り言のように言い放った。

「雑誌、忘れてきた」

じゃ、と完全に閉まったドアの前で最後の言葉の意味を考える。

「…え?」

部屋に戻って探してみると、座布団の下に前とは違う漫画雑誌が置かれていた。
これ、追いかけて届けたほうがいいんだろうか。今ならまだ間に合うけれど。
でも『忘れた』と言いながらそのまま帰ってしまったのが気になる。
もしかして。
ぱらぱらとめくると、期待したとおりまた松野さんの落書きがあった。
キャラクターのセリフの集計と、やたらと上手い劇画タッチの猫が。
赤ペンで大きな花丸と『じょうずですね。私も似顔絵をかいてほしいです。』とコメントをつけておいた。
私の反応が見たくてわざと置いていったのだろうか。案外素直な人でもある、と思った。


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