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ゴールデンチケット2


「…ごめん…あの…俺、ああいうの言われたことなかったから…パニックに…」
「ううん、私も慣れないことしちゃってごめんね」
「杏里ちゃんは悪くない…」

椅子の上に正座し弁解させてもらっている現在。
頼んだ烏龍茶の氷がすっかり溶けている。
それにしても、万全を期して振り回されに来たのにその斜め上で来るとかさすが杏里ちゃん。普通にご褒美だったし。
さて、本題に戻ろう。
血まみれを免れた紙の券を杏里ちゃんの前に差し出す。

「あの、ところで、さっきの話…」
「あ、うん…本当にいいの?」
「よろしくお願いします」

テーブルすれすれまで頭を垂れて懇願すると杏里ちゃんは「わかった」と言ってくれた。やった。

「よし、一松くんの願いを叶えるために頑張るね!」
「うん。まずは?」
「そうだなぁ…改めてわがままって言われると…」
「何でも言って」
「んん…」

オレンジジュースを飲みながら考えている杏里ちゃんを見ながら烏龍茶を一口。
あーあのストローになりたい。もしくは今杏里ちゃんの指先についた水滴。

「じゃあ、えっと、この後水族館行きたい」
「………ん?」
「ん?え、何か違った?」
「いや…え?それわがままじゃなくない?」
「予定してなかったことだから、一応私のわがままかなって思ったんだけど…」
「わがままって言ったら三秒以内にバーゲンダッツ買ってこなきゃ死ぬとか、金くれなきゃお喋りしないとか、ライブの客寄せしてグッズ買って売り上げに貢献しろ雑魚共とかそんなんでしょ」
「わがままのレベルがめちゃくちゃ高くないかな…!?」
「え…そう?これが普通だと思ってた」

俺と杏里ちゃんの『わがまま』の認識にズレがあるようだ。
今まで女の子のわがままってこれぐらいしか聞いたことなかったから知らなかった。
あ、一名女の子じゃなかった。改めて記憶から抹消しておく。
でも杏里ちゃんの言ったことも別にわがままじゃなくないか?
デートの途中で予定してない寄り道とかよくあることだし。
もしかしてそれをわがままだと思ってたのか杏里ちゃん…?
え無欲すぎない?杏里ちゃんの前世、尼さんとか修道女じゃないの?
そりゃ俺みたいなクズにも救いの手を差し伸べてくれるわけだわ。

「一松くん何で拝んでるの?」
「…眩しくて…」
「やっぱりシェード下ろしてもらおっか。あの、すみません」

店員が来て窓のシェードとやらを下ろしていった。
杏里ちゃんはまた考え込んでいる。
わがままを言うってそんなに難しいことだったのか。

「そっかぁ…一松くんの言う『わがまま』のレベルってなると、うーん…何がいいのかなぁ」
「とりあえず俺を振り回してくれればいいよ」
「一松くんは振り回されたいの?」
「うん」
「ふふっ、そうなんだ。じゃあえっと……でもやっぱり水族館には行きたいな」
「水槽の魚買い占めてとかは?」
「うーん、買い占めたところでお世話とかできないしなあ…ねえ一松くん、とりあえず水族館行かない?」
「御意」



というわけで、杏里ちゃんの目当ての水族館に来た。
最近出来たハタ坊の水族館である。
しかしチケット売り場に着いてみれば長蛇の列。最後尾に二時間待ちの旗が立っている。

「わあ、混んでたかぁ。平日だからすぐ入れるかと思ったんだけど、みんな考えることは同じだね」
「みたいだね。こんなに人気あるなんて知らなかった」

ここは前に、兄弟で招待されて来たことがあった。なのでもう珍しくもなかったけど、世間ではものすごく話題になってたらしい。
そういや何か色々最先端とか言ってたような言ってなかったような。

「一つ一つの水槽がすごく凝ってて、まるで芸術作品なんだって。ショーも完成度高いみたいだよ」
「へえ…」
「んー、でも二時間かぁ…長いな」
「そうだね。結構な時間」
「…また今度にしようかな。二時間あれば猫ちゃんたちと遊べるもんね」

杏里ちゃんが俺を見上げる。
笑って表情を取り繕ろうとしてるけど俺には分かる。残念がってる時と同じ眉の下がり方。
いやいや、今日は杏里ちゃんのわがまま聞く日ってこと忘れてるでしょ。お任せ下さい。
ちょっと待ってて、と断ってスマホを取り出す。
アドレス帳の中から滅多に使わない番号を探し出し、すぐに繋ぐ。

『はーいだじょー』
「あもしもしハタ坊?俺。一松」
『連絡くれるなんてうれしいじょ〜!何か用だじょ?』
「今ハタ坊の水族館来てんだけど、人多くてすぐ入れそうにないんだよね…何とかしてもらえない?」
『いいじょー!友達は特別だじょ!ちょっと待つじょー』

何か指示してるっぽい声がして、『そこで待ってるじょ』と言って電話は切れた。

「一松くん、今のって…」
「昔の知り合い。ここで待っててって」
「…あ!おそ松くんが言ってたっけ。ここの社長さんと一松くんたちって、本当に知り合いなんだ…!」
「まあね。前もすぐ入れてくれたし、大丈夫だと思う」
「えっ…でも、いいのかな…」
「お待たせいたしました、ミスターフラッグのご友人ですね?」

前に見たことのある容姿のいい金髪の部下の男が一人、俺達の前に颯爽と現れた。
お辞儀をしたそいつの頭上の旗がそよいでいる。

「ミスターフラッグより、すぐに館内へお通しせよとのことです。特別入口はあちらですのでご案内致します。どうぞ」
「どーも」
「ほ、ほんとに…!?でもあの、私たちまだチケット買ってなくて」
「とんでもない。ミスターフラッグのご友人からお金を頂くわけには参りませんので」
「私、お友達ってわけじゃないんだけど…」

ひそひそと話しかけてくる杏里ちゃんに「友達の友達は友達でしょ」とささやき返す。
無意識にか俺の服の裾を握っている杏里ちゃんを促し、通常入口とは別のところにある『関係者入口』と書かれたドアから中へ通された。
男に従ってエントランスホールからもう一つのドアを抜けると、明らかにそういう『関係者』専用っぽいきらびやかな照明と大理石の廊下が続いている。
点々と何かの銅像も置かれてるけど、それほんとに必要か?
ともかく持つべきものは金持ちの知人だ。
VIP待遇でやすやすと水族館に入ることができた。無料で。
廊下の窓からは庶民達がまだぼんやりと並んでいるのが見える。お先でーす。

それにしても。
杏里ちゃんがずっと案内役の男を見つめてるのが気になる。さっき出会ってからずっと。
そりゃ俺より格段にイケメンですからしょうがないですけど……待ってこんなとこで心変わりとかされたら死ぬ。
やきもきしている間に突き当たりのドアへ辿り着いた。
男が開けた向こうは、最初の水槽のある大広間。
水中のような淡い青の光が壁や床にゆらめいている。

「それではどうぞ、幻想的な世界をお楽しみ下さい」
「あ、ありがとうございました!」

杏里ちゃんが熱心に見つめているのに全く動じてねぇの腹立つ。
動じられても腹立つけど。

「…ハタ坊によろしく伝えといて」

若干睨む俺の視線も爽やかに受け流して男は戻っていった。
杏里ちゃんは水槽ではなく、男の後ろ姿を見ている。
ちょっとマジで待って。こんなとこで終了の兆しとか。
いやしょうがないですけど。当然の世の摂理ですけど。
社会のゴミが彼女持ちだなんて、しかも杏里ちゃんだし。
身に余るステータスですけど。分かってる。でもそんな。

「ねえ一松くん」
「わわ別れたくない」
「え?」
「え?」
「あの…さっきの人」
「うっ」
「痛くないのかな、旗…」
「………」

なるほどね。そっちね。
だよね分かってました。杏里ちゃんと俺みたいな普通の世界で育ってきた人間には奇抜すぎるよねあいつら。

「あれが忠誠の証らしいよ」
「わああ…そうなんだ、初めて生で見たかも」
「それよりほら、こっち見たかったんじゃないの」

裾をつままれたまま体を反転させる。
広い円形の室内の中心に、天井まである大きな円柱型の水槽。
照明で金や銀に光るひれを揺らして、群れた魚が薄暗く青い空間を彩る。
その水中の宝石の中を悠々と舞う大きい魚達。
自分の立っているところが海の底のように思えてくる。
わあ、と一気にテンションの上がる杏里ちゃんの顔に、ふわふわと揺らめく泡の影。

「すごく綺麗…!」
「そうだね」

水族館にいる杏里ちゃんがこんなに儚げで綺麗だなんて知らなかった。もっと早く連れてくるべきだった。
裾を掴まれていた手が少し緩んだのを寂しく思いつつ水槽に向かって歩き出すと、杏里ちゃんも魚に目を奪われたままちょこちょこと後を付いてくる。
煮干しに釣られる親友達の姿が重なってちょっと笑った。

「…え、何?」
「いや、何でも」
「一松くん今笑ってたよー」
「気のせいじゃない?」
「口元まだにやけてるもん。あ、わかった。ニャンコちゃんたちのこと考えてた?」
「半分正解。半分外れ」
「ふふっ、ニャンコちゃんのこと考えてたのはほんとなんだ。後の半分は?」
「さあ何でしょう」
「何だろう?十四松くんのことかな」
「は?今あいつらの記憶封印してたんだけど。思い出させないで」
「あははっ!でも確かに、猫ちゃんたちにも見せてあげたいよね、これ」

杏里ちゃんってほんと鈍感だよね。
俺はいつでも、猫と同じくらい杏里ちゃんのこと考えてる。
杏里ちゃんもそうだったらいいのに。
魚群より杏里ちゃんの方を横目で見ていたら、行列に耐えた他の客がぽつぽつと増えてきた。
そいつらが水槽の前に居座る前に自分の体で空間を確保し、杏里ちゃんを入れてあげる。

「あ、ありがとう、一松くん」
「うん」

今日は杏里ちゃんの奴隷なのでこのぐらいたやすい。
念願の水族館での時間を過ごす杏里ちゃんを守る。それが今の俺の使命。
ふと周りを見ると俺と同じような男が何人もいる。
一緒にいる女の子と手を繋いだり肩を抱いたり。
はっ、もしかして水族館ってデートスポットなわけ…?
もう一度注意深く周りを観察した。
家族連れよりカップルが断然多い。ところ構わずリア充感出してる奴らがそこかしこにいる。
し、知らなかった…ただ魚見るだけの場所かと…
やべぇ急に緊張してきた……
でも確かに魚眺めてる杏里ちゃんは雰囲気違って新たな魅力発見だったし…
なるほどな、彼女のそういう姿が見たいから連れて来るわけねお前ら。よく分かる。

「ねえ、あのエイ可愛い」
「可愛い?」
「うん、裏のとこ顔みたいになってる」
「ああ…ほんとだ、可愛い」
「ねー。笑ってるね」
「うん。杏里ちゃんに似てる」
「え、似てるかなぁ」
「口がふにゃってしてるところ」
「半目っぽいから一松くんじゃない?」
「杏里ちゃんだね」
「一松くんだよー」

この一見中身のない会話。
もし無関係のカップルの会話なら間違いなく舌打ちしている。
しかし当事者になってみると驚くほど楽しいし癒されるし杏里ちゃんが可愛いし最高だ。水族館最高。
ハタ坊、お前いいもの造ったよ。

広間は狭い水中トンネルへと続いている。
昼間の海中を再現したという明るい波の揺らめきの中へ、人が続々と入っていく。

「わ、次ウミガメがいるんだって!楽しみー!」
「ふ、はしゃぎすぎ…」
「うっ、笑われた…だってウミガメなんてテレビでしか見たことないもん」
「はいはい。良かったねぇウミガメさんが見れて」
「あっ子供扱いされてる!」
「はぐれないように、…ほら」

付き合ってそこそこ経つのに、未だに恋人らしいスキンシップには慣れない。
自分から強引に手を繋ぎにいくのだってよっぽどじゃないとできないから、こうして手を差し出すだけ。
もし嫌だって言われたらどうしようって内心はひどく怯えている。
長年童貞だった罪は重い。いや今も童貞だけど。
それともう一つ。

「…えへへ、言う前にわがまま一つ叶っちゃった」

ぎゅっと握り返される手。
いつでも杏里ちゃんの反応に心臓がギュッとなるから、緊張してそれ以上のことなんか余計にできなくなる。
やっぱ童貞のせいか?クソ喰らえ。


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