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クリスマス前日譚4


普通の労働と言うものがこんなにも体力を消費するものだとは夢にも思わなかった。
いつも以上に重く垂れてくる瞼の隙間から、すっかり見慣れた洋菓子の陳列を眺める。
今日のバイトが終わるまであと十五分。残すは一日だけ。明日のバイトで全てが終わり、ようやく元通り杏里ちゃんに会えるようになる。
毎日意外と何事もなくバイトの時間は過ぎていったが、家に帰ってから疲れが一気に出てきて気が付くと朝になっている。この繰り返しの日々だった。
そのせいで猫達に構う時間は減るし杏里ちゃんへのメールを返しそびれてしまっているし杏里ちゃんの写真を眺める時間すらままならない。
杏里ちゃんと猫という俺の人生における二大癒しに触れられずに何が労働か。国民三大義務?知らないね。イブが過ぎたら元の闇沼クソ底辺に戻って死ぬまで怠惰に生きる。
そう誓い今日までよくやってきた。普段自分を褒めることなど皆無だけど、これに関してはわりと誇っていい気がしている。
ガラスケースを拭いていると客が来て、注文されたケーキを箱詰めした。保冷剤も入れて値段を伝え、金をもらってお釣りを返す。
季節柄ひっきりなしに人が訪れるが、明日は予約が入っているクリスマスケーキの引き取りにもっと大量の人が押し寄せるだろう。
時計がやっと七時を差す。
あー疲れた。終わった。
鏡見てないけど多分顔死んでる。
「今日の分」と渡された給料の封筒を受け取り、頭を下げて店を出た。
給料はだいぶ貯まった。杏里ちゃんへの手袋も余裕で買える。
あ…そうだ、今から買いに行こうか。まだ店やってるよな。
何色の手袋にしようか考えていたけれど杏里ちゃんは何色でも似合うから未だに決めかねている。
当然俺にはセンスなんてないし、一応十四松に杏里ちゃんに似合う色聞いてみたら黄色とか言うし。
トド松なんかは彼女ができたらピンクの物身に付けてほしいとか言うけど、俺は紫の物を自分からはあげる気にならない。自己顕示欲と独占欲丸出しって感じで。
とりあえず身内の意見は当てにならない。上三人の意見は聞く気にもなれない。
俺が杏里ちゃんにいいと思うのは白だけどそれを押し付けていいものか。杏里ちゃんだったら何でも喜んでくれそうだけどそれに甘えていいのか?
クソ、分かんねぇ。とりあえず店行くか。駅前なら色々店あんだろ。
そう思い足を駅の方角へ向けていた時だった。
車道を挟んで向こうの通りに杏里ちゃんの姿を見かけた。
久しぶりの生杏里ちゃんだ。思わず立ち止まって目で追った。バイト帰りだろうか。ああ遠目からでも可愛い。
ぼーっと見送っていると杏里ちゃんは喫茶店の中へ入っていった。俺は灯りに引き寄せられた蛾のようにふらふらと横断歩道を渡り、杏里ちゃんの入っていった喫茶店へ近付いた。
こっそりと窓際から杏里ちゃんの様子を伺おうとしたら、すぐ近くの席に杏里ちゃんがいた。慌てて身を隠す。
しかし今、別の人間の顔も見えた気がする。非常に見慣れた人間の顔が。
もう一度中を覗いたら、杏里ちゃんに向かい合って座るおそ松兄さんがいた。
は?何で?何してんの二人で?
一旦気持ちを整理するため窓の下に座り込んだ。
どうして杏里ちゃんとおそ松兄さんがこんな垢抜けた喫茶店なんかで会う必要がある?全く思いつかない。
おそ松兄さんがこんなとこ自分で来るわけないから、杏里ちゃんが指定したんだろう。杏里ちゃんがおそ松兄さんを呼び出したのか?何の為に?
また窓から中を盗み見る。
杏里ちゃんとおそ松兄さんが顔を寄せ合ってスマホを見ていた。
…何か楽しそうなんだけど…ムカつく…
俺がこんなに死にそうになりながら長時間労働を行っているというのに、奴はお洒落な店でお洒落なコーヒーを飲みながらお洒落な杏里ちゃんとリア充しやがって…
体育座りで炎を纏っていたら喫茶店から二人が出てきた。
声をかけようか無言で後をつけようか考えていると、杏里ちゃんをイブのデートに誘うクズの台詞が聞こえたので即行で割って入った。

「とりあえずてめぇの墓はてめぇで掘れ」
「本当にすいませんでした…」
「あ、あの…一松くん」

この声も久しぶりに聞く。こんなに可愛かったっけ?
赤パーカーを掴んでいた手も緩み、おそ松兄さんは「首が…」と言いながら俺から離れていった。

「あのね、おそ松くんには相談に乗ってもらってて…」
「そーそー!むしろお前らの仲を取り持ってやったんだけど俺!」
「…取り持つ?」

意味分かんない。

「あのなぁ、お前がこそこそバイトなんかするから杏里ちゃん心配してたんだぞ」
「えっ」
「あっ…お、おそ松くん…!」

狼狽える俺と慌てる杏里ちゃん。
何でバイトしてること知ってんの?確かにメールに返事できないままになってたけど、おそ松兄さんに相談するくらい心配かけてたなんて…

「…ご、ごめん、杏里ちゃん…」
「う、ううん!私こそごめん…!」
「そういうわけだから、バイトすんならお兄ちゃんたちにもちゃんと言って?色々秘密にされると寂しくて死ぬからさぁ」
「…何でバイトしてるって分かったの」
「今日朝からお前つけてたから」
「…」

気付かなかったことに若干腹が立つ。

「おそ松くんに教えてもらったけど、一松くんケーキ屋で働いてるんだね。私と一緒だ」
「うん…」
「何でケーキ屋選んだの?一松がケーキ屋ってイメージないんだけど」
「…前、一回だけ話したことのある女の子に教えてもらった」
「女の子ぉ!?何でお前だけそんな女の子と縁あるわけ!?紹介してよよろしくお願いします!」
「いや、その子の名前とか連絡先知らないし…杏里ちゃんの大学の子としか」

声をかけられた経緯を話すと、杏里ちゃんはどことなく明るい顔になったように見えた。おそ松兄さんは「俺も大学行こっかな〜」と思ってもないことをほざいていた。

「あーあ、一松がいつの間にかワンランク上の人間に…」
「明日で辞めるけど」
「さすが俺たちの一松!」

親指を立てた長男は「そんじゃ俺もう帰るね〜」と手をひらひらさせながら帰っていった。

「一松くんは帰らないの?」
「あ…うん、ちょっと寄るとこが…」
「…途中まで、一緒にいてもいい、かな」
「うん」

そりゃもう是非。願ってもない。
「ありがとう」と言った杏里ちゃんは無意識なのかまた手を擦り合わせている。早く手袋あげたい。
駅前まで来たところでちょっと買い物に行くからと言うと、「私もついてっていい?」と聞かれたので躊躇なく頷いた、が、少し困ったことになった。
予定だとこっそりプレゼントを買って驚かせるつもりだったのに、このままでは俺の企みがバレてしまう。
いや、考えようによっちゃ杏里ちゃんの好みを探りつつ買い物ができるかもしれない。そうするか。
クリスマスの装飾でチカチカしているでかいデパートに入った。

「何か買い物?」
「うんまあ…杏里ちゃんって普段どこで服とか買ってんの」
「うーん、ここだったら二階にあるお店を回るかな」
「ふーん」

よし二階だ。
エスカレーターで二階に上がると女性向けの店がずらりと並んでいた。こんなにあんのか…

「杏里ちゃんってどこの服好きなの」
「よく買うのはあのお店だよ」
「ふーん」

決定だ。あの店に手袋があればいいけど。
店に足を踏み入れると、杏里ちゃんが持ってそうな服が並んでいる。さて、手袋はどこだ…

「あれ、一松くんの買い物はいいの?」
「あ、後で…」
「そっか。わ、これ可愛いー」
「どれ」

素早く視線を向けると杏里ちゃんは棚の下に揃えられた靴を見ていた。
しまった杏里ちゃんは靴が欲しかったのか…!?

「それ、欲しいの」
「え?うーん…可愛いけど、今もう玄関が靴でいっぱいだしなぁ…今は買うのやめとこうかなぁ」
「そう」

いや欲しいって言われたら俺が買うけど。
あ、手袋発見。棚に近寄る。
茶色と白とグレーと青。色が四種類もある上に微妙にデザインが違う物もある…どれがいいんだ。

「あ、手袋可愛いね」
「!可愛い?どれが?」
「そうだなぁ、この中だったらこれ!暖かそうだし」

杏里ちゃんが手に取ったのは白い手袋だった。一番デザインのシンプルなやつ。
俺もそれがいいって思ってた。
杏里ちゃんから手袋を受け取ると俺はそのままレジに向かった。
もう堂々と目の前で買ってやる。世の中のリア充共のように全くスマートなサプライズの仕方ではないけれど、杏里ちゃんが可愛いって言った物を一旦スルーするよりはいいんじゃないかと思った。

「えっ、あれ、一松くん?」
「これ下さい」
「え、わ、ごめんね私そんなつもりじゃ…!」
「俺があげたいから」
「…!」

プレゼント用に包んでもらった手袋を店の外で渡すと、さっきから無言になっていた杏里ちゃんは包みをぎゅっと抱き締めて、満面の笑みで「ありがとう」と言ってくれた。この瞬間の為に働いてた。良かった嫌だったとかじゃなくて。

「ほんとに嬉しい…ちょっと欲しいなって思ってたから」
「やっぱり」
「え、何で分かったの?」
「勘」
「ふふふ、一松くんすごいなぁ」
「…良かったら、今着けてみて」
「うん!ああでももったいない気もするな…!」

値札はレジで切ってもらっていたので抜かりはない。
白い手袋は杏里ちゃんによく似合っていた。
店を出てからもはしゃぐ杏里ちゃんは、駅前の本格的なイルミネーションの中に舞い降りた天使だった。

「すっごく暖かいよー!」
「そう。そりゃ良かった」
「ほら、手触りすごくいいの!」

杏里ちゃんから手を握ってきた。心臓が口から出そうになった。

「本当にありがとう。ずっと大事にするね」
「こここ光栄です」
「えへへ…あ、一松くんまだ時間ある?これ以上は明日のバイトに響くかな…」
「全然大丈夫」
「そう?あの、私もね、実は一松くんにクリスマスプレゼントがあるの」
「えっ」
「だから家まで来てもらえる?せっかくだから今日渡したいな」
「…うん」

空耳か?杏里ちゃんが俺にプレゼントを…?
信じられないまま杏里ちゃんのアパートへと向かった。
つか今までしてもらったことのお返しにと思って手袋あげたのに、これじゃまたプラマイゼロに…!ま、まだ金は残ってるからクリスマスに挽回しよう。

「一松くん、ちょっと待ってて。すぐ取ってくるね」
「あ、うん…」

アパートの前で待っていると、やがて杏里ちゃんが紫のリボンのついた紙袋を持って戻ってきた。

「はい、一松くん。早いけどメリークリスマス!」
「っ…あ、ありがとう」
「気に入ってもらえるといいけど…」
「墓まで持ってく」
「えへへ…私もお墓まで持ってく」

両頬を両手で包む杏里ちゃんを控えめに言ってぎゅってしたい。

「それじゃ、次会えるのは明後日だね」
「…うん」

けど思ったことと裏腹に体は動かず、杏里ちゃんの言葉に頷くだけでアパート前で別れた。
明後日か。あークソ明日バイト入れなきゃ良かった。杏里ちゃんにプレゼントあげたからもうモチベーション上がんねぇし。
杏里ちゃんからのプレゼント見てちょっとやる気あげるか。
道の途中で紙袋を丁寧に開く。その中には知らないブランド名の印刷された布袋。
緊張しながら紐を解くと、そこには紫の手袋があった。

「………」

……同じ、こと考えてたとか、ちゃんと色が紫だったとか、ていうか俺に手袋買っといて自分のはないって何だよとかそんなことを頭でぐるぐる考えていたら俺はいつの間にか杏里ちゃんの部屋の前に立っていた。チャイムも押していたらしく杏里ちゃんが出てくる。

「あれ?一松くんどうしたの?」
「忘れ物した」
「忘れ物?何だろ…」

少し後ろを振り返った杏里ちゃんを抱き締めた。柔らかいしいい匂いがした。
しばらくしてから変態の所業じゃねぇかと気付いたので恐る恐る体を離したが、杏里ちゃんは真っ赤になって俺の服を握ったままだった。しょうがないからまた抱き締めた。しょうがないだろ、これは。

…やっぱイブにバイトがあって良かった。明日どんな顔して会えばいいか分からない。


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