杏里ちゃんを含めた七人で食卓を囲む。
隣の部屋で父さんと母さんが「やっぱり女の子がいると華やかでいい」なんて会話をしている。本当にその通り。超和むし。
杏里ちゃんがいるからか、こいつらも極めて大人しい。いつもなら奪い合いになる唐揚げの山も減るスピードが遅い。
あー…十四松と唐揚げを譲り合っている杏里ちゃんを見ているだけで白米三杯は食える。
結局譲っちゃうのかよ。天使かよおい。
「一松くんさっきからご飯ばっかり食べてるね。お米好きなの?」
「まあね」
「えーそうだったの?一松」
「知らなかったなぁ」
にやにやしながらおそ松兄さんとチョロ松兄さんが口を挟んでくる。うっせぇ。
「おかわり!」
「あ、私よそうよ。お茶碗貸して」
「ありがとう!」
十四松が杏里ちゃんに茶碗を渡している。
いくら杏里ちゃんが炊飯器に近いとこにいるからってさぁ…杏里ちゃん客だよ?普通よそわせる?なんか夫婦みたいだし…面白くない。
「一松兄さん、考えてること顔に出てるから」
トド松がそっと耳打ちをしてくる。余計なお世話。
だけど杏里ちゃんには悟られたくないから一応取り繕う。
こうやって何でもないようにこの場にいるけど、実はさっきの廊下でのやり取りでけっこうなダメージを喰らっている。
杏里ちゃんの前で下世話な会話したのもそうだけど、玄関先で唐突に俺がニートであることをバラされたと思ったから。
杏里ちゃんに向き合って俺からきちんと白状しようと思っていたのに、あんなに急激に爆弾落とされたらたまったもんじゃない。
さぞかしショックを受けて完全に軽蔑しただろうと思った。俺終了のお知らせ。
だけど杏里ちゃんは、家に来る前に既に母さんから聞かされていたらしい。
そして俺の前でいつものように笑ってくれた。
何でなんだろう。
俺は自分のことを取り繕うので精一杯で、杏里ちゃんが何を考えて俺を受け入れてくれているのか、まだよく分かっていないことに気が付いた。
そこも、多分ちゃんと向き合わなくちゃいけないところ。
怖いけど。
俺は杏里ちゃんに嫌われるのが何より怖い。これはもう、認めざるを得ない。
それ程に杏里ちゃんの存在が大きくなっている。
俺の目の前でおそ松兄さんにあーんを迫られている杏里ちゃんを失いたくない。
…………あ?
「…何してんのおそ松兄さん」
「こういうの夢だったんだよー女の子とあーんってやるの」
「無視していいよ杏里ちゃん」
「え…」
「あーひでー!そんなこと言うならお前の床下にある秘密を」
布巾を口に突っ込んだ。
ほんとこいつ油断ならねぇ…!平気で人の精神を削りに来やがる!
「え…!?一松くん!?」
「今のはおそ松兄さんが悪いよ〜」
「おそ松兄さんって学習しないの?あえてしてるの?馬鹿なの?」
「ぐえぇ…ちょっとふざけただけじゃんマジになんないでよ…」
布巾を吐き出したおそ松兄さんがげんなりしている。ざまあみろ。
「床下の秘密って何?」
純粋無垢の杏里ちゃんが澄んだ瞳で聞いてくるので米をのどに詰まらせた。
あああクソ野郎がクソ発言しやがったせいでクソがぁぁぁ…!!
「い、いや杏里ちゃん気にしないでいいよ」
慌ててフォローに入るぐらいなら最初から言うんじゃねぇよ奇跡の馬鹿が!!
「オーラで殺されそうだねおそ松兄さん…」
「え、あの…内緒で猫でも飼ってるのかなって思ったんだけど…」
「ブフッまあ猫には変わりないね…!」
何笑ってんだ殺すぞクソ末弟!!釣られて笑ってんじゃねぇぞシコ電三郎!!!
睨んだら黙ったが俺は今自然発火しそうだ。杏里ちゃんの前で無様な姿は晒したくない。とりあえず杏里ちゃんが帰ったら全員ぶちのめす。
「フッ…秘密は誰しもあるものだ、暴かないでやってくれ」
マジでカラ松の空気の読みっぷり何なんだよ神かよ逆に後でぶちのめす。
発火しそうなのも治まった。ギリギリ回避。
「あ…そうだよね。ごめんね一松くん」
「…ううん」
「助かったね!家が火事になるとこだったよ!」
「火事…?」
「何でもない!ケーキめっちゃうまいね!」
「ふふふ、ありがとう」
「あっお前いつの間に!フルーツタルトじゃないからいいけど」
十四松がいち早く杏里ちゃんのバイト先のケーキを頬張っている。
俺もさっさとケーキ食おう。
そんで杏里ちゃんの帰りを送らせてもらうついでにさっきの話の続きをしよう。こいつらが付いて来なければの話だけど。
と思ってる間にチョロ松兄さんがケーキの箱を持ってきた。
それだけじゃなく、お子様ランチに刺さっているような爪楊枝の旗も五本分持っている。旗には俺たちの色の松がそれぞれに描かれていた。
「はいみんな選んで。この旗刺して」
「何この旗」
「醜く取り合ってせっかくのケーキを潰すよりは平和的だろ。何度ちゃぶ台ひっくり返して台無しにしてきたか…」
「あー、まあねー。僕ら学習しないよね〜」
「フッ、戦争は悲しみしか残さないものだ…分かっているのになぜ、俺達は繰り返してしまうのか…?」
「バカだからじゃない?」
「ふふふっ…あ、私バイト先でたまに食べれるし、みんな先に選んでね」
「えっケーキ屋ってケーキ食えんの!?」
「うん、でもたまにだよ。ロスが出た時とか」
「俺もケーキ屋でバイトしよっかなー」
「次にお前は『ケーキ屋が来い』と言う…」
「ケーキ屋が来い!……ハッ!?」
「あはははははっ」
杏里ちゃんがすっげぇ笑ってる。可愛い…もうケーキとか何でもいい。
じっと見てる間にみんなケーキを選び終えていた。もう食ってる。
「一松くん選ばないの?」
杏里ちゃんの言葉に誘われて箱の中を見る。
ショートケーキとフルーツタルトが一個ずつ。後は俺らだけか。もう旗いらねーじゃん。
「杏里ちゃんはどっちがいいの」
「どっちでもいいよ」
「んじゃおすすめの方教えて」
「んー…フルーツタルトかな」
「フルーツタルトね」
ショートケーキを取ってそのままかぶりつく。杏里ちゃんがやられたって顔してる。くくっ。
「うわ何あれ超紳士なんだけど」
「一松の奴、いつの間にあんなスマートなやり方を…!」
「フッ…流石はマイブラザー」
完全に存在を忘れてた外野がうるさい。気を利かして二人にさせてくれるとか…童貞共にそこまでの察知能力はねーな。
黙々と食って指を舐めてたら肩をつんつんとつつかれた。
笑顔の杏里ちゃんが両手でタルトを持って顔の前に掲げている。
「一松くん、ありがとう」
はい可愛いいいいいいいいい!!!!!!!!フルーツタルトとの相性最高かボケ殺すぞカラ松!!!!!!!!
「んぐぅっ」
「一松兄さん落ち着いて水飲んで」
「杏里ちゃんフルーツ好きなんだ?」
「うん。桃が一番好きなんだー」
「んぐふっ」
「一松ほら水持ってきたから」
桃好きとか可愛すぎかよ!!!!!!!!!!!桃農園営んでやろうか!!!!!!!!!!
死ぬわこれ死ぬチョロ松兄さんが萌え死ぬとかよく言っててはぁ?とか思ってたけどこれだ俺の死因:萌え死
差し出された水を一気に飲み干す。社会のクズが現世に戻ってきましたよ。
「え、一松くん大丈夫?苦しそう…」
「いえっ、何でもないんで」
杏里ちゃんのせいで死にかけたとは言えない。そろそろ耐性つけねぇとマジでやばいなこれ…
俺が息を整えてる間に杏里ちゃんはタルトを食べ終わったらしく帰り支度をしていた。
「本当にごちそうさまでした。私、そろそろ帰るね。もう夜も遅いし」
「送ってく」
「え、あ…ありがとう一松くん」
「俺も行くー!」
「僕もー!」
「わっしょーい!」
ほらなこうなる。
まあいいや、今度の水曜に会うし…
ため息をついた時、杏里ちゃんの荷物の影に隠れた紙袋が目に入った。
「杏里ちゃんあれ何」
「え?あっ忘れてた!あのね、これみんなに渡そうと思って買ってきたんだ。良かったらみんなで食べて?」
「なになにー?」
紙袋の中から出てきたのは、ケーキの箱のロゴと同じ物が印刷されてる大きめの箱。
「これ焼き菓子の詰め合わせ。トド松くんおいしいって言ってたから…うちの猫を預かってもらってたお礼も含めて」
「これ僕の好きなやつだ!」
「杏里ちゃんってすげーいい人だね!」
「ひゃっほう!食べていい?食べていい?」
「長男落ち着けよ!ありがとう杏里さん、父さんと母さんにもちゃんと渡しておくよ」
「うん、お願いします」
何かを言いそうになっていたカラ松の目の前を切るようにして、箱の中からクッキーを一枚取った。
それを皮切りにして、焼き菓子にみんなが群がりだす。
父さんと母さんに挨拶をする杏里ちゃんの隣に立って、しれっと一緒に家を出た。
良かったあの紙袋見つけて。
「一松くんはみんなと食べなくて良かったの?」
「もうもらったし」
袋を破って食べる。甘っ。
「今日は月が綺麗だねー」
杏里ちゃんが空を見上げた。確かに地上の電灯に負けないぐらいの明るさな気がする。
「…そうだね。今日のは特に」
「ねー。そうだ、話ってなあに?」
「待って今食べてるから」
「けっこう大きいでしょそのクッキー」
「うん。だから待って」
クッキーのせいにした。
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