夢小説「La mia utopia」 | ナノ


▼ 26

故郷の味というものがある。
もしくはお袋の味と言ってもいい。

私は今、日本食に飢えていた。





 時を遡ること少し。ニョッキを作るべく、じゃがいもを大量に茹でまくっている際、これが肉じゃがだったらなぁ、とつい考えてしまった。

 醤油と砂糖、みりんや酒の組み合わせからなる日本食の数々の中で、肉じゃがというのは各家庭で大きく味付けや具材が異なる。私が好んで食べていたのは豚肉の切り落としを少しだけ使った、ほとんど野菜と糸こんにゃくで構成されたものだ。もちろん、一般的な肉じゃがも美味しいけれど、なにより野菜が好きだった私にとっては、どんなものよりも断然美味しい一品だった。
しかし友人は「牛肉を使ってない肉じゃがは肉じゃがではない」とまで言い張り、また別の友人は鶏肉のものしか食べたことがないと言う。他にもキヌサヤが入ってるか否かとか、人参の切り方はどうとか、そういういろんな差があって家庭の色を出している。白熱した議論に発展することは想像に難しくないだろう。

 さて、ここイタリアの田舎では、アジアンフードショップが少ない。その中でも日本食品となれば一層手に入れることは難しく、運良く見つけても、今の生活状況で気軽に購入できるものではなかった。それがわかっているからこそ、今のいままで意識しないように気をつけていたのに。それなのに。
 私は目の前に鎮座するジャガイモに恨み辛みをぶつけるが如く、拳を叩き込んでいった。

「……名前?だ、大丈夫かい?何か手伝おうか?」
「え?」

パッと顔をあげると、キッチン入り口から半分隠れてこちらを伺うペッシと目が合う。手元のボウルにはみるも無惨な姿のじゃがいもがあり、怖がらせてしまったかなと少し申し訳なく思った。

「いえ、ストレス発散みたいなものですよ。でも手伝ってくれたら、嬉しいです」
「じゃ、じゃあ俺やるよ!何をすればいい?」

 何度か料理の手伝いをして慣れてきたのか、ペッシはウキウキと腕まくりをして手を洗い始めた。衛生観念が低い欧州であっても、調理前の手洗いは必須。集団での食中毒ほど怖いものはない。
 手についたじゃがいもをボウルへ綺麗に戻してから、私は彼に譲る。

「この蒸したじゃがいもをしっかり潰して欲しいんです」
「これが何になるんだ?」
「ニョッキです」

作り方は至ってシンプル。じゃがいもと強力粉と塩を混ぜて茹でるだけ。冷凍保存も可能なので、一気に作れるだけ作っておこうという算段だ。

「ニョッキか〜、じゃあ今夜はクリーム系なんだな」

ニコニコと上機嫌に潰し始めたペッシ。しかしそこへたまたま水を取りに来たらしいギアッチョが、ものすごい勢いでこちらへ首を回し、異議を唱えた。

「はぁ?ニョッキといえばジェノベーゼだろ」
「クリームスープだよ!」
「ジェノベーゼだ!」

クリームかジェノベーゼかで言い争い始めてしまった2人。もちろん手はお留守番なので、さっきよりジャガイモが潰れていくことはない。とはいえ、その気持ちはわからなくもないので、これも育ちの差だなぁと思って黙って野次馬に徹していた。
そこへ言い争う声に寄ってきたプロシュートが現れる。ペッシとギアッチョが2択を迫ると、なんと彼はあろうことか「トマトソースだろ」と言い始めた。
そこからアジト全体に話が広がるのは早い。
ソルベはチーズ、ジェラートはミートソース、ホルマジオはアラビアータ、イルーゾォはほうれん草クリーム、メローネはブフ・ブルギニョンの付け合わせだと言い張り、リゾットはそもそもじゃがいもではなくかぼちゃで作られたニョッキだったという。
全員が全員違うソースや味をいうものだから、私は今日のご飯はどの味にしたら喧嘩にならないかに注視する羽目になった。

結局、私はスパイスのいくつかを掛け合わせたカレー風味にし、全員が「美味しいけど、これは違う」と睨んでくる品を提供してしまった。
ニョッキはイタリア人にとっての肉じゃがみたいなものだったのかもしれない、と私はまた肉じゃがへの気持ちを思い出してしまい、そっとため息をついた。

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