novel | ナノ

嘘吐きちゃんは、花を吐く


『うそつき!』

いつからかそう呼ばれるようになった。その呼び方は嫌だった。でもホントの事は言えないから、嘘を吐いて騙してきた。
そんな私をみんなは悪い子だって蔑んだ。どうして?人間みんな嘘を吐くのに、どうして私だけ悪い子扱い?許さない。だから嘘を吐いて、人を騙してきた。そう繰り返しているうちに、私は嘘吐きちゃんと呼ばれるようになって…

「嘘しか吐けなくなってしまいましたー、てか?あほくさ。」

明かりのついていない部屋の中。一人の少女が肩につかない程度の長さの黒髪を乱雑に掻きながら顔を歪めてケッと毒を吐く。目つきは元々良くないが、目元の濃い隈のせいもありその悪さが増している。

「私が嘘吐きちゃんって呼ばれるのが名前が宇曽 月夜(ウソ ツキヤ)だからってのは五億歩譲って分かるとしても、こんな胡散臭いのと一緒くたにしないでくんないかなぁ。」

不満しかありませんという顔でぶつぶつと文句を垂れ流しながら携帯の画面を見る。そこに映されているのは街の裏サイトと呼ばれるものだ。知る人ぞ知る、といういかにもなサイト。
大人への愚痴、子供に対する文句、同級生への嫌味、先輩後輩への不満などなど日常的な当たり障りのないものから、イジメやイタズラに関する事を暗号式で話し合っていたり、都市伝説、七不思議などなど…その中で少女、月夜が見ているのは都市伝説『嘘吐きちゃん』のページだ。

なんでも元は正直だった少女が、1人の青年に恋をしたのだがその想いを拗らさせて嘘を吐く。青年には嘘を見破られることもなく見限られ、嘘しか吐けなくなり、いつしか一人になる。そして少女は己の不幸を当たり散らす様に様々な人に嘘を吐いて誑かす、というもの。違和感だらけの話だ。
都市伝説などと呼ばれても当てになるものなど少ない。否、殆ど無いに等しいだろう。ただその都市伝説が有名なのは、嘘吐きちゃんに出会ったとされる場所には必ず何かしらの花が落ちている。だから信憑性がある…だ、そうで。

そんなページを見ながら月夜が思いっきり顔を顰めて文句を言っているのは、この嘘吐きちゃんが自分だと学校でからかわれているからだ。ただネタとされているのならまだしも、されている嫌がらせの内容が所謂イジメと似たり寄ったりなものだから不満しかない。こんな根も葉もないものせいでイジメられているなど傷付く前に苛立ちしかない。理不尽すぐる。

「そもそも生まれて十七年間、恋なんざしたことない化石予備軍だわ!ヴァーカっ!」

イラつきのあまりつい大声が出てしまう。

これは何か。生まれてこの方初恋もまだな私への嫌味かなにかか?誑かされるーとかいって離れっけど嘘吐きちゃんが人誑かすのって恋した青年に見限られた腹癒せだろ?恋をしたことがあるの前提に設定されるのなんなの?嫌味か?十七歳は初恋済ませて当然の年齢ですーってか?余計なお世話だ恋人いるやつみんな爆発すればいいのに。

突っ込むところはそこで良いのか、とその言葉を聞いたものがいれば言うだろう。だがツッコミ出来る者は不在だった。
すると突如、バンッと大きな音を立てて月夜の部屋の扉が開かれた。明かりのついていない部屋に廊下の光が差し込まれる。扉を見てみれば、逆光で顔が見えなくても分かるほど苛立っている様子で仁王立ちしている一つ下の弟、月無(ツキナ)がいた。姉の月夜と違って目元に隈は無いはずなのに目つきが頗る悪い。標準くらいの月夜をとっくに越した身長も相まって迫力もかなりあるの。が、月夜にはどれも大したものではなかった。ただその弟の登場によって不機嫌メーターが最高潮になってそれが顔に出たくらいだろう。

「うっせぇぞ姉貴!」

「お前の方がうるせぇわ弟!」

「今何時だと思ってんだよ!」

「夜の十時ですがそれがなにかー?」

「こんな夜中に大声出してんじゃねぇ!」

「そりゃあお子様に対してえろうスンマセンでしたねぇ!わぁったからとっとと部屋から出てけ!」

「次騒いだらぶっ潰す!」

「やれるもんならやってみろ!」

ベーっと舌を突き出して月夜が挑発する。月無は舌打ちをしてまたバンッと大きく音を立てて扉を閉める。その扉を睨みながら月夜も舌打ちを一つする。

「かわいくねぇ弟だ…。」

昔は私の後ろをちょこちょこついてきていてあんなに懐いていたのに…と小芝居を打ってから溜息を零し、携帯の電源を落とす。これ以上何かをするという気も萎えたのでそのまま携帯は充電器に繋げてベッドにダイブ。ふかふかなベッドから匂うお日様の香りを肺にいっぱい入れてから毛布を頭まで被り、そのまま意識を手放した。





「ウっソツーキちゃん。」

次の日。いつも通りに起きて登校し、ガラリと教室の扉を開けるとニヤニヤといやらしい顔でお出迎えされる。相手は同じクラスの嫌がらせのリーダー女子だ。朝イチに出会ったその相手に、会いたくない相手にあった、と隠しもせず思いっきり顔を顰める。すると相手のリーダー女子も不機嫌そうに顔を顰め、すねを蹴ってきた。いって。

「生意気なんだよ…ま、今日も楽しもーね嘘吐きちゃん。」

そう楽しそうに吐き捨てれば、キャハハと高い笑い声を上げながら教室の中へ戻っていく。それを呆れた目で見ながら月夜は窓際後ろの自分の席に行く。席には綺麗な菊の花が花瓶にささっていた。机の中には燃えるゴミが詰まっている。中にあるゴミは即行ゴミ箱にぶち込み、花は後ろのロッカーの上に置く。花に罪はない。
そうしてやっと座れる状態になった席に腰を落ち着かせ、カバンを机の横にかけてホームルームが始まる時間までぼんやりと時計を見つめている。
教室の中ではこちらまで聞こえる声量で陰口を言っているようだ。興味が無いので右から左に流す。すると消しゴムが頭に当たった。もちろん無視。めんどくさい。もはや抵抗や抗議どころか、話すのすら億劫だ。
そうこうしている内にホームルーム、授業が終わり昼休みに突入。席を立つと何かしらやられる可能性があるので出来るだけ立たないようにする。だが今日はお呼び出しされてしまった。ついて行きたくないが、行かなかったらそれも面倒臭いので嫌々ついていく。今までのパターンからして行先はプール裏にある小さなスペースだろう。本当に滅多なことが無い限り生徒や教師、事務員含めて全く人が来ない場所。そこで見えないところへの暴行。ああ、面倒臭い。
と、そこに行く途中に月無が友達と談笑しながらこちらへ歩いてくるのが見えた。自分に向けたことのないほど楽しそうな様子の月無に、月夜は小さな痛みを感じる。あんな顔できるのか…と知らない弟の顔を見つめていれば、すれ違う直前に月無も月夜に気付いて一瞬目が合った。と思えばすぐに逸らされる。

(ケッ、顔も見たくねぇってか。薄情な弟だ!可愛くねぇ!)

同じように月夜も顔ごと月無から背けながら、嫌がらせしてくるメンバーのあとをまたついていく。そして予想通りプール裏のスペースに着けば、行われる暴行の数々。内容は省略。
そして昼休みが終わればまた午後の授業を受け、放課後になる。ああ、これで面倒臭い時間が終わった。自由な時間だぜ!いえい!
ウキウキと荷物をカバンにぶち込み、早足に教室を去り靴を履き替えて、上履きをカバンの中にしまって街に出る。さて、いつも通り集会場にでもいって猫と戯れよう。集会場に向かって足を進める。もちろん学校のやつにはバレないようにグルリと回って。バレてたまるもんか。そこは私にとって唯一の癒しの場所なんだから。



そんなこんなで、猫集会場到着。来るまでの道はかなり入り組んでいるので中々ここまでたどり着く人はいない。故に人気が少なく、猫にもってこいの場所。私のお気に入りの場所だ。
にゃあにゃあ、と甘えた声で近寄ってくる猫達に頬が緩む。ああ、可愛い。猫マジ天使。最高。
しゃがみこんで顎下を優しい手付きで撫でてやる。ゴロゴロと喉を鳴らして上機嫌だ。そのまま背中を滑るように撫でる。とろりと半目になって耳が前にピンと立っている。リラックスしている証拠だ。ああもう、猫ってなんでこんなに可愛いのだろう。

「…甘えて、生きてく為に生まれたのかなぁ。」

ぽつり、と力なく呟いた言葉は思ったりよりも自分の胸に刺さった。羨ましいと思っている自分がいる。甘えたいと思っているからなのだろうか。私も可愛ければ誰かに媚びて甘えて、それを許してくれる人がいたりしたのかなぁ。なんて。

「ばかみたい…。」

自嘲の笑みを浮かべながら悪態を吐く。今更そんなことをいえる年齢ではなくなってしまった。十七歳。高校二年生。甘えてなんて言える年齢でもない。そもそも相手すらいなかった。
あれ、それどころか固定の誰かと長く一緒にいて心が休まった時なんて、最近はもっぱらなかったのでは?それどころかまともな会話をした事すらだいぶ前では?最後はいつだった?確か、そうだ。小学六年生の時の夏、月無と自由研究をした。ここに来て、猫について一緒に調べたのだ。
どの仕草をした時は、どんな時なのか。どんな感情なのか。猫を観察して、時には触れてみて一緒に調べた。その時に月無が引っ掻かれて泣いたのを必死に宥めた。そしてそのまま泣き疲れた月無をおぶって帰ったんだ。それがきっかけで月無は猫が苦手になってしまっていたっけ。
それからここに来るのは私だけになって、それがきっかけなのか月無と会話するのが減っていった。中学に入学してからは他人と関わるのが増え、名前をからかわれ、それが嫌になって話すのが怖くなった。自然と口数が減り、段々人と関わることが面倒くさくなった。今ではまともに話すのは家族ぐらいで、それでも挨拶と最低限の言葉のやりとりだけだ。あ、あと月無との喧嘩みたいなの。
はぁ、と溜息を吐いても返してくれるのは猫達の甘える声だけだ。ごめんね、と謝りながら先程とは違う黒猫に手を伸ばす。その手に頭を擦り付けてくる様子は微笑ましく思うが、拭えない虚無感を誤魔化すことは出来なかった。
そういえば、とその黒猫を見る。この子はかなりの常連で、確か月無に一番懐いていた猫だ。月無が来なくなって暫くは探すように鳴きっぱなしだった。今では前と同じように甘えてきてくれるようになった。

「…ごめんな。」

月無は、多分、もう来ないだろうから。私はあいつのお姉ちゃんだからな。代わりに、謝っておくよ。
…この理由付けも、ただの言い訳にしか過ぎないんだけど。





どれだけの時間が経ったか。気付けば空は茜色と呼ぶには暗い色に染まっていて、見上げればカラスが並んで飛んでいた。集会場に備えられた電球は暗くなると自然と灯るもので、淡い光で集会場を照らしている。もういい時間だ。そろそろ帰らなくちゃ、親がうるさくなる。
まだ甘えてくる猫達にまた明日、と挨拶をしてから立ち上がる。

ひらり。

「…え?」

その時、一枚の花弁が落ちた。淡いピンク色の、小さな花弁だ。辺りを見回しても花なんてない。

ひらり。

まただ。また落ちた。今度は赤い花弁。この花弁はどこから落ちてきているのだろうか。見たところ花も木もない。否、それどころか月夜は視界の下にある花弁を見ている。月夜の上から、落ちてきていない。

ひらり。

今度は白い花弁。そういえば、この花弁の形を見たことがある気がする。かなりメジャーな花。何だっただろうか。なにか、思い出せそうで…あ。

「カーネーションだ。」

その瞬間、激しい嘔吐感を感じて口元を手で抑える。けれどそれは意味が無く、胃から込み上がるものは口から吐き出る。しかし出てきたのは想像していたものとは違い、原型を残した綺麗な白いカーネーションだった。

「え、花…?っ、うえっ。」

何が何だかわからないまま、また襲ってくる嘔吐感。抗うことも出来ずに吐き出していく。何度も吐くと体力も持っていかれてしまい、膝をついてしまう。それでも止まらない吐き気は意識を段々朦朧とさせていった。なんとか状況を理解するために薄らと開けた目に飛び込んできた光景は、月夜を見てどこか不安気に鳴いている猫達と、膝元にある色とりどりの花。
どれだけそうしていたか。 やっと落ち着いた頃には月夜の下には花で溢れかえっていた。分かる範囲で花の種類を判断していくと、カーネーションの他にも七輪の赤い薔薇、フリージアや白と黄色のストック、サルビアなどがある。共通点は分からないがこれらの花全てが今、己が吐き出したものなのだと言うことだけは理解した。
花を吐くなんてもの、聞いたこと…あった。

「…花吐き病…?」

正式名称、嘔吐中枢花被性疾患。通称花吐き病。片想いを拗らせると発病する病だ。確か、吐いた花に触れると感染する。そして片想いが実ったら白い百合を吐いて完治し、実らなかったら死んでしまう病。だがこれは二次創作とか、そういうものだろう。そういうのに詳しくて良かった、とどこかお気楽に考える自分にいやいやと首を振りながら、月夜は一番の疑問を口にする。

「…誰に片想いしてるってんだよ…。」

忌々しそうにその花弁を睨みつけながら吐き捨てる。生まれてこの方、恋はしたことがない。それとも気付いてないのだろうか。その可能性を考えて、首を横に振る。ないわ。ないない。まずするような相手がいない。まともに会話もしない、話し相手を見すらしない、そもそも深く関わろうとしない。この三拍子を揃えてる私が片想い?ないわー。

「意味わっかんねぇー…。」

とりあえず、と花を寄せる。幸いにも猫たちは怪しいと判断したのか近寄ろうとはしなかった。動物にも感染するのかは分からないが、用心に越したことは無い。
一枚残らず一つの場所に集めてからどうしようかと悩む。燃やすのが一番なのだろうが、生憎と月夜の手元に火種となるものは無い。街に出て少し行った先のコンビニに行こうか。いや、その間にもしも誰かが来て触れてしまったら…なんて考えるだけで胃が痛い。自分が原因で誰かを苦しめるかもしれないとか、無理。あっお腹痛くなってきた。
兎に角、この花をどうするか…悩んでいると不意にジャリ、と砂を踏む音が聞こえる。振り向くと、金髪の厳つい雰囲気な青年がそこにいた。身長は月夜よりも高く、下手したら月無よりも高いかもしれない。

「ひっ。」

そんな青年の突然の登場につい怯えた声が漏れ、体が震える。他人と一体一で対峙するなんてのは記憶の中でも遠い過去にしかない。まともに話せるか…とまで考えて、月夜の冷静な部分が己の状況をもう一度分析する。そして処理が終わると同時に、ドッと汗が溢れ出る。大量の花を必死に集めている女子高校生(制服姿なので容易にバレる)なんておかしくないか?きっと、というか絶対おかしい。だが状況を説明しようにもコミュ障を発揮させてしまえば会話すらままならない。そもそも説明出来るほど月夜も自分の状況を詳しく理解していない。あ、詰んだ。
脳内で一人慌てふためいているが、体は固まって青年を凝視しているだけだ。そうしていると、青年が一歩一歩距離を詰め始めた。本格的に月夜の頭の中で二人の月夜がお別れの挨拶を交わし合い出す。ぐっばい私、短い人生だった。来世に期待しようぜ。
ジャリ、と砂を踏んで青年は月夜と一歩分の距離を開けて止まり、月夜を凝視している。さあ、何を言われる。どんな言葉でも死刑宣告だろうから甘んじて受け入れるぞ。決して口には出さずに強い覚悟を見せる(もちろん相手からしたら全く分からないだろう)が、それを表に反映できず体はただ震えるだけだ。

「お前、誰だ?」

「ひ、ぁ、あの…っ。」

声をかけられてもまともな返答ができない。誰って言われて答えて良いのか。否、駄目だ。知らない人に答える義理なんかねぇ!と脳内で強気になっても無理があった。もう一人の月夜がむりだ、さっさと帰りたいと己に訴える。
すると青年の視線が月夜の後ろに固定された。何だろうと思って視線の先を追うと、白いカーネーション。自分が先程吐いたものだ。やべぇ忘れてた。そんで見られた。
するとまた砂を踏む音が聞こえた。今度は、自分のすぐ前から。慌てて見てみれば青年は月夜の目の前に立ち、上から覗き込むようにして月夜が必死こいて集めた花を見つめていた。今度こそ詰んだ。完全に詰んだ。この青年の中で自分の印象は確実に変な子確定だ。死刑宣告を待つ囚人如く何を言われるのか待つ。ゆっくりと青年は口を開いて…

「嘘吐きちゃん?」

即、右ストレートを青年の鳩尾に決めてやった。手加減はしなかった。ぐっじょぶ私。

「ぐはっ…ぇ、ちょ…、…ひっど…っ。」

「うっさい。お前に嘘吐きちゃんと呼ばれる筋合いは無い。」

地雷をぶち抜いた相手への慈悲も絶賛売り切れ中だ。

「だ、てっ…花…吐いたみたい、だ、から…。」

鳩尾を抑えてぷるぷると震えながら花を指さす。確かにこれは吐いたものだけど…あ?

「なんでそれで私が嘘吐きちゃんになんの?」

「………。」

途端にピタリと震えていた体が止まったかと思えば、顔ごと逸らした。なんでだオイ。

「…怒らないと約束するか…?」

「怒られる可能性がある事なのか?」

「……………まぁ…。」

あるのか。
だがここで渋られても困るのは月夜だ。恐る恐る聞いてきている様子から青年も反省というか、とにかく申し訳ないと思っている様ではあったあったし…。

「…分かったから、内容はよ。」

ハァ、と溜息を吐いてから先を促す。まだうじうじしている青年に若干イラァとするが、我慢だ。ガマン。だからさっさと言え。

「……………その…特徴が、似てた…から…。」

「?何と?」

「………嘘吐きちゃん、と…。」

「はい?どゆこと?」

「あー…その…都市伝説には、続きがあったんだよ…。」

「つづき?」

曰く、都市伝説の嘘吐きちゃんは過程は正しいが、己の不幸を当たり散らしてはいないし、人を誑かしてはいない。
嘘しか言えなくなってしまった嘘吐きちゃんはその嘘で助けを求め、救われることを望んでいる。また、片想いを拗らせているせいで花吐き病も患っていた。故に、嘘吐きちゃんが現れた場所に何かしらの花が落ちているのはそのせいだ、と。

「設定もりもりだな…で、あの花を吐いた私が嘘吐きちゃんじゃないかって?でも、割と無理があるんじゃないのか?」

「学校で嘘吐きちゃんって呼ばれてたし、そこに花があるから…つい…。」

「…えっ、待って。え?なんで学校のこと知ってんの?」

「まあ、入って、見てたし…。」

「…不法侵入…?」

「霊にも適用されるのか?それ。」

「はい?」

待って今なんて言ったこの青年は。霊?れい?レイ???

「ぇ、なんで侵入して…?」

「嘘吐きちゃんの母校がそこだったから。」

「…え?えぇ??おっけーちょい待とう。うん、整理しよう。」

まず、嘘吐きちゃんは花吐き病を患っていた。そして救われることを望んでいる。そんで私、月夜はつい先程花吐き病を発病した。で、やって来たこの青年は嘘吐きちゃんに詳しい霊。

「てか待って、なんで嘘吐きちゃんについてそんな詳しいの?」

「…嘘吐きちゃんの都市伝説に出てくる青年ってのが俺で、嘘吐きちゃんを探している時に見つけたとしか。」

「待って??」

追加。この青年は嘘吐きちゃんが好きな相手でした。マジかよおい。

「…ちなみに、なんで探してんの?」

「………。」

男がだんまりですかー、そうですかー。

「みみっちいからさっさと言えや!」

「こっ、後悔してるからっ!」

「それはつまり嘘吐きちゃんが好きってことでFA?!」

「はいっ!」

つまり拗らせた両片想いの二人によって私は振り回されてた…否、振り回されているという事か?!

「めんっどくせぇなぁ二人揃って!」

「ご、ごめん…?と、ころでさ。」

「なに?!」

「そ、の…て、手伝って、ほしいなぁ…なんて…。」

「………あぁぁぁ、もうっ!!」

なんで私が霊の恋愛事情に関わらねばならんのだ!人間でも嫌だ!馬に蹴られたくねぇ!!

そう叫ぶのを抑えるようにガシガシと髪を乱雑に掻く月夜。猫達が月夜を遠巻きに見ている。青年は呆然と月夜を見ている。なんだこれ、カオス。



「お、落ち着いたか…?」

「うぃっす。」

なんとか落ち着いた月夜は、今は青年と向き合って座っている。ちなみに月夜が吐いた花は集会場の隅に埋められた。
にゃぁー、と擦り寄る猫を優しく撫でると落ち着く。これがアニマルセラピーか。最高。青年も優しい手つきで猫を撫でている。撫で方からして猫を撫でることに手慣れている。きっと猫好きだ。ならば関わることに問題はなさそうだ。猫好きに悪い奴はいない。
そして本題の今後について話そう…と、なったが。

「嘘吐きちゃん見つけて和解すれば全部丸く収まるんじゃね?」

「ま、まぁ…一応、そういう事ではあるけど…。」

「…え、まさか未だに渋ってる?」

「いやだって、今更言ってどうなるって話だろ…一度見限っちゃったし…殺されたらどうしよ…。」

「いや今もう霊だからね?死んじゃってるからね?」

「いやそうだけど…。」

「結局は嫌われんのが怖いだけだろ。後悔してるってんなら当たって砕けろよ。」

「砕ける前提?!」

「そのつもりで行けってこと。」

そうなんだけど…とグチグチ言う青年に溜息を吐く。なんで霊の恋愛相談にのってんだ自分は。
そのとき、「あ」と青年が声を零した。なんだろうかと視線を向けてみると、こちらをじっと凝視している。え、なに。

「お前は、告白したりしないのか?」

「生憎だけど!生まれてこの方恋したことなんかないわ!くそがっ!」

「え、でも、花吐き病って確か、片想いを拗らせて発病するんじゃ…?」

「知るかぁ!私のが知りてぇわ!誰だよ相手ぇ!!」

「…なんか、ごめんな…?」

「ガチの哀れみなんざいらねぇ!!」

泣き叫びてぇ!恋をするのが当たり前みたいなコレはなんなんだ!恋をしないと負け組みてぇなこれは何なんだ!!

「あ、もしかしたら友愛とかそーゆーのじゃ…?」

「へ?」

閃いた、とばかりに言う青年。どこか得意気。しかし、そういうのも対象になるのだろうか。友愛…。
…友達と呼べる様なやつすら頭に浮かばない。あるぇ、私こんなにガチぼっちだっけ。ハハ。とりあえず話は進めよう。

「…なんで、そうなんの。」

「いやだって、意外と事実とそういう話は違ったりするだろ…俺も、霊だけど足あるし。」

「事実は小説より奇なり、てか?」

てなると誰だよ。恋は違う。友達と呼ばれるやつもいない。てことは誰だ。家族か?家族愛?花吐き病が発病するくらいの?えー…??

「…ていや、違うそうじゃない。まずはそっちの恋愛事情だよ。嘘吐きちゃんをどう見つけるかだよ。」

逸れそうになった話を、頭を振りながら戻す。私のことよりもこっちを優先せねば私が帰れない。この状態で帰ってしまったら後々何があるか分からない。更なる面倒事など御免だ。だったらぱっぱと片付けよう。
まず、嘘吐きちゃんにどうやって出会うかだ。その為には嘘吐きちゃんについて知る必要がありそうだが…とりあえず、一番詳しそうな目の前の青年に聞いてみることにする。

「ねえ、嘘吐きちゃんについてなんかないの?好き嫌いとか、なんかそんな。」

「あー…猫が好き。あとは…あんま関わってなかったし、よく知らねぇや…。」

「猫好きなのはなんで分かったん?」

「よく、笑顔で猫撫でてたから…。」

「へぇ…あ、そういえば嘘吐きちゃんってどんな子なの?髪型とか。」

「…髪は、肩につかない程度…年は確か十七歳で、身長は標準くらい。目は…目つきがあまり良くない、かな…?」

「じゃああとはー…あ。なんか、現れた時の共通点とかは?」

「いや、特には…あ、夜ってことくらい?」

「夜?」

二人揃って空を見上げてみると、茜色はどっかいってしまいどっぷりと黒に塗りつぶされている。よくよく見ればいくつか星も見えた。集会場は電球のお陰で幾分か明るいが、街へ出るための道の先を見てみれば真っ暗で何も見えない。かなり時間が経ってしまっていたのが分かる。タイミングはぴったりかもしれない。
あ、てか帰ったら説教コースじゃん、コレ。うわぁ。

「…時間的には、現れるかも…?」

「どうだろ…場所の特定も出来てないし…。」

「んー、ここでちょっと待ってみて、あとは人気のない場所ぶらついてみる?」

ゲームとかでは主人公が色々歩き回ることでイベントが発生して事件解決に繋がるのかもしれないが、生憎月夜は行動派ではない。果報は寝て待て。とりあえず待ってみる派だ。

「…門限は?」

「とっくに過ぎてるからもう今更でしょ…。」

と言いながらも、目は調理をされるのを待つ魚の目だ。怒られるのはやっぱり堪えるので早めに来てほしい。青年はどこか心配そうに見ている気がするが気にしてられない。その時。

にゃぁー。

突然、一匹の猫が鳴き出した。それに感化されたように周りの猫達も鳴き出す。段々大きくなってきたその鳴き声は猫の大合唱のようだが、同時に必死に何かを教えるようにも思えた。
いつもと様子のおかしいそれに慌てる。こんな猫達の様子を月夜は知らない。

「猫?なに、どしたん?」

宥めようと一番近くにいた、月無に一番懐いていた黒猫の背中を優しく撫でる。けれど黒猫は鳴くのを止めない。それどころか段々となにかに怯えるように尻込みしていき、毛も逆立ってくる。確実に怯え、警戒しているその様子に不審に思う。
ほかの猫達を見ても同じようにみんな警戒していた。猫達が見つめている先にはこの集会場から街へ出る唯一の道。もう暗くなってしまっていて見えないそこに向けて猫たちはひっきりなしに鳴き、中にはフーッと本格的に威嚇しているものもいる。
背筋にじわりじわりと汗が浮き出るのを感じながら、猫達と同じ方向を見つめ、すぐに動けるように腰を上げて構える。言いようのない緊張感と嫌な予感が集会場の空間を包む。青年もすぐ動けるよう構えながら道を見る。
数秒ほどそうしていると、ひたり、ひたりという静かだがしっかりとした足音が耳に届く。一体何がくる。それは対処できるものか。上手く切り抜けられるか。わからない。今までに経験したことがないほどの緊張感によって呼吸が浅くなっていく。

ひたり。

暗闇から姿を現したのは、先程青年が述べた髪型と合致する少女だった。俯いているせいで前髪に隠されている顔はどんな表情をしているのか分からない。月夜が着ている制服と同じそれや、スカートから伸びている裸足はどこか薄汚れている。全体的に今すぐにでも折れてしまうんじゃないかというほど細身だ。アンバランスでおどろおどろしいその少女の様子に、ゴクリと無意識に唾を飲んでじっくり観察する。

──ネェ。

空気が震えて届いた音は、恐らく少女から発せられた声だろう。けれどどこか人間味のない、無機質的な声は不気味さを際立てる。猫達はその声のせいなのかは定かでは無いが、ピタリと鳴くのを止める。けれど正気でいられる訳でもないようでふるふると体が震え、小さな体をさらに小さく縮こまらせている。月夜もふるふると体が震えてしまうが、それを無視して少女の動向を伺う。
同時に、この少女が『嘘吐きちゃん』なのではという憶測も立てる。先程青年が述べた髪型、背格好は合致している。けれど本当にこの少女が嘘吐きちゃんかという決定的な確証はない。青年が告げた特徴の少女はもしかしたら世の中に大勢いるかもしれない。こんな雰囲気を漂わせているのだからこの少女だという線が濃いのは否めないが、もしもそれで違いましたーなんて展開は笑えない。そう自分に言い聞かせることで頭の中に冷静な部分を留まらせ、必死に体の震えを抑えさせる。落ち着け、落ち着け私。
月夜がなんとか自分を落ち着かせようと四苦八苦している中、少女はその折れそうな腕を持ちたげて月夜を指さしながらゆっくりと告げる。

──ムコウにいこうヨ。

それを言い終わったタイミングで少女は顔を上げた。そのお陰で見えた表情は、小さな笑みを浮かべていて少し不気味な印象を受けてしまう。おどろおどろしい雰囲気と、少女の目つきが少し良くないことも影響しているかもしれない。
兎にも角にも、顔の特徴も青年のいう特徴に当て嵌る。ほぼ間違いなく嘘吐きちゃんだろう。望んだ相手に会えた嬉しさが一瞬月夜を襲うが、現状はそれを態度に表す事を許す状態ではなかった。
嘘吐きちゃんは、嘘吐きだ。嘘なんてのは、事実をほんの少し曲げて伝えることで簡単に嘘と呼ばれるものになってしまう。伝えられる言葉の中から本音を探るなんてこと、果たして出来るのだろうか。どれが彼女が伝えたい事なのだろうか。分からないから、何も答えられない。
打開策が浮かばず、クルクルと月夜の思考が回るだけだ。どうするべきなのかと迷っていると、ジャリ、と砂をふむ音がすぐ隣からした。眼球をなんとか動かして見てみれば、青年が大きく目を見開きながら嘘吐きちゃんを見つめていた。一歩一歩近付いていく。まるでずっと会えていなかった人に出会えたような顔。この場合、比喩ではないが。

「ナオ。」

静かに発せられた青年の言葉は、集会場を静かにさせた。ナオ。嘘吐きちゃんの本当の名前だろうか。呼びかけられた嘘吐きちゃんは先程と変わらない笑みを浮かべたまま青年を見つめている。青年は嘘吐きちゃんが返事をするのを待っている。月夜は、ただそれを見つめるしか出来ない。
数秒。数分。体感的にはかなり長い時間その状態でいた。見つめ合う二人と、それを見守る月夜。どう動くか見つめていると、嘘吐きちゃんの口の端から黄色い何かが見える。なんだろうかと見つめていると、それは嘘吐きちゃんの口から零れ落ちた。
ぽとり。落ちたそれは花だった。黄色い花。その花を月夜は知っていた。最初に月夜が吐いた花だ。名前は…

「…カーネーション。」

ぽつりと月夜が花名を呟いたのとほぼ同時に嘘吐きちゃんが口元を手で抑えて膝から崩れ落ちた。手の隙間から零れている苦しげな声音から、花を吐くのだと容易に分かった。なんせ時間が経ってしまっているとはいえ、月夜も同じように吐いたのだ。あれの苦しさを知っている。気付けば青年と月夜は嘘吐きちゃんに駆け寄って背中を摩ったりなどしていた。危なくない存在という保証は未だ無いが、その苦しさを知っておきながら放っておくほど非情にもなれなかった。
吐き出した花を見ると、黄色のカーネーション以外にピンク色の花もあった。花の中央には少し複雑な模様のようになっているそれは不気味にも思えた。その花名は月夜は分からなかった。嘘吐きちゃんはただただその二種を吐き出している。漏れる嗚咽は苦しそうで、背中を摩っている青年もそんな嘘吐きちゃんの様子を見て自分の事のように不安気な表情だ。どうすればいい。どうすれば。

『おねえちゃん。』

ふ、と。何故かよぎった過去の記憶。酷いインフルエンザにかかった弟を看病していた時の記憶だ。その時嘔吐が止まらなくて月無はとても苦しそうにしていた。そんな月無に、私は何をしていた…?手探りでその時を思い出す。そうだ、たしか私は…。
嘘吐きちゃんの背中を摩る手を肩に移動させ、もう片方の手を嘘吐きちゃんの頬に当てる。涙が止まらないのだろう。その頬はすごく濡れていた。優しく、ゆっくりと頬を撫でる。

「大丈夫…大丈夫、だよ。」

幼い月夜は、止まらない吐き気と戦う月無にいつもつきっきりでこうしていた。大丈夫だと伝える事で、ほんの少しでも気を楽に出来ると思って。そんな月夜の撫でる手にいつも月無は甘えるように擦り寄っていた。もう遠い過去ではあるが、月無はいつも月夜の手は安心する手だと笑顔で言っていた。
懐かしい思い出を思い出しながら月夜は撫でる手を止めない。すると月夜のそれを青年も真似しだした。頬に触れるのではなく、小さな嘘吐きちゃんの体を守るように優しく抱きしめながら「大丈夫」と告げる。

「大丈夫。大丈夫。」

「大丈夫。だいじょーぶ。」

ゆっくり、ゆっくりと。
どれ位そうしていたか。段々と嘘吐きちゃんの呼吸も安定してきた頃には、三人の周りはピンクの名前のわからない花と黄色いカーネーションの二種で溢れかえっていた。これだけの量の花を吐いていて大丈夫なのだろうか…と不安になって嘘吐きちゃんを見る。
先程まで感じていたおどろおどろしい雰囲気も何も無い、普通の少女だった。ただ目だけは正気を感じられないほど濁っていた。吐いて疲れたのかぼんやりと花を見つめている嘘吐きちゃんに、青年はまた「ナオ」と呼びかける。するとゆっくりと顔を上げて、嘘吐きちゃんは真正面から青年と向き合った。正気を感じられないほど濁った目はみるみるうちに水の膜を張る。

──マサキさん…?

人間味は変わらず感じられない声で嘘吐きちゃん…基、ナオが問えばマサキと呼ばれた青年はナオを抱きしめた。

「ナオ…ごめん、気付けなくてごめん。ちゃんと伝えられなくてごめん。お前が好きだったくせに…弱い俺は、伝える事を怖がって…ずっと、苦しめてしまってごめんっ。」

謝罪と告白が混じったマサキの言葉に、ナオは耐えられないとばかりに目に張った水を零してしまう。けれどその表情は苦痛に歪まれてはおらず、寧ろ嬉しさでいっぱいと言わんばかりだ。ごめんと繰り返すマサキの背中に、ナオは恐る恐ると自分の手を回して抱き締め返す。

──マサキさん…やっと、あえた…。

うれしい、と小さく言ったナオの表情は恋が成就した事に喜ぶ少女の顔だ。

「ごめん、ずっと一人にしてしまって…。」

──いいんです…こうして、あえたのだから…。

「憎まれても、おかしくない…優柔不断な俺のせいで、俺のせいで…。」

──ちがいますよ、マサキさん。アナタのせいではありません…だから、くるしまないで…。

ナオのその言葉に、マサキは涙を流す。なんと心優しい少女なのだ…と。月夜から見てもその光景は頬が緩む和やかなものだった。

──ネェ、これからは、イッショにいてくれますか…?

「ああ、ああ。もちろん。一緒にいよう。ずっと、ずっと一緒に。」

離さないとばかりに強く抱きしめるマサキ。ナオは苦しいだろうに、それでも笑顔で抱きしめ返す。

──もっと、だきしめて…ずっと、イッショです。

その言葉と同時に、ぽろりとまたナオの口から花が零れた。見ればその花は先程まで吐いていたのとは違う。刺々しい小さなピンクの花。確か、アザミという花だったか。
その花を月夜がしげしげと見ていると、突然二人の体が淡い光に包まれる。月夜は一瞬何が起きたと慌てたが、すぐに時間が来たのだと悟った。

「いくのか?」

「うん…そろそろ、時間だ。」

「そ。まぁ、言うのも変だろうけど…気ぃ付けて。」

「ありがとう、月夜。」

──サヨナラ、つきやさん。

これで嘘吐きちゃんという都市伝説も無くなるだろう。二人も互いの恋が成就し、ハッピーエンド。
夜に溶けるように消えていく二人を見つめていると、ナオが月夜の名前を呼んだ。

「なに?ナオさん?」

ナオがゆっくりと口を開く。

──ウソツキちゃんは、あなたじゃないよ。

その言葉を聞き終えると同時に、二人は光となって消えていった。



さて、これで大団円。一件落着だろう。月夜は満足気に大きく頷いてから伸びをする。
ところで今は何時なのだろうかと携帯で確認してみると二十二時になっていた。次にメールボックスを見てみると両親からのメールが大量に送られていた。内容はどこにいるのか、というもの。電話の着信ボックスを見てみてもメールと同じくらいの量の両親からの着信がある。こりゃあ帰ったら説教すら生温いかもしれない…と想像してぶるりと震える。とにかくまずは連絡してこれから帰ることを伝えなければ。着信ボックスからどちらにするか悩んで、母の方の電話番号をかけようとした時。

「ンの、バカ姉貴っ!」

「びゃぁっ?!」

突然後ろから聞こえた大声。しかも内容と声から相手が誰なのか容易に分かる。分かるのだが、信じられない。バッと振り返ると、何やら光が月夜の視界を襲う。その眩しさに目を細めながら見ると光の原因は懐中電灯だった。そしてそれを持っている人物は、やっぱり信じられない人物だった。
頬にはどれだけ動いたんだと聞きたいほど汗が流れており、肩で荒く息をしている。深く刻まれた眉間の皺と釣り上がった目。その形相は子供に見せたら十人中十人みんなが泣き出すのが確定なほど見せられない怖さだ。思わず月夜も「ひっ」と声が漏れた。その形相のまま人物…月無は懐中電灯はつけたまま大股で近寄れば月夜の腕を掴む。強いその力に一瞬顔を顰めるが、抵抗は出来なかった。事情が事情でも、悪いのは月夜だと月夜自身が理解していたからだ。

「こんな時間まで何してやがった!」

「え、あ、ね、ねこ!触って、て…!」

「だからって、時間考えろ!ここ来るまでの道は夜になると本格的に暗くなるって知ってるだろ!」

「む、夢中になってたら、その…き、気付いたら、そう、寝てて…!」

「ン、の…バッカ!バカ姉貴っ!!」

「ひっ。」

物凄い剣幕で怒られる。あっやばい。結構クる。じわりと目に涙が浮かぶのが自分でわかり、慌てて拭おうと掴まれていない方の腕で擦る。するとその手すら月無に掴まれてしまった。
やめろオイ。離せ。弟の前で泣くなんて醜態を晒そうとすんな。
これだけの抗議なら許されるだろうと口を開くが、告げられた月無の言葉に何も言えなくなってしまう。

「心配、した…。」

弱々しい声でいう月無は、最近はデフォだったいけ好かない態度でも喧嘩腰でもなく、月夜を慕ってくれていた弟の月無の姿だ。
顔を見れば、不安で、怖くてたまらなかったという顔。手も震えていて、しっかり掴んでいたはずの月夜の腕は今ではただ触れているだけに近いほど力が込められていない。その顔を見てしまったら月夜は何も言えなくなってしまう。昔からこの顔に弱いのだ、私は。

「…悪かったよ…。」

そ、と月無の手から右腕だけ離れ、その手で月無の頬を優しく撫でる。すり、とその手に甘えるように擦り寄る仕草は猫のようだ。
そういえば、猫が擦り付けてくるのは信頼している証、自分の匂いをつける為の行為だとどこかで聞いた。それを思い出してしまえば、今こうして擦り寄っている弟もそうなのかと若干ご都合的妄想を膨らませながら、月無が満足するまで撫で続けた。



十分にも満たない時間で月無は自分の行動を自覚し、顔が赤くなった。つい幼い頃と同じ様にやってしまった。自分の行動にかなりの羞恥心を感じながら、その手から離れる。

「ん?もう、いいのか?」

いつもはニマニマとあくどい顔で聞く癖に、こういう時は姉の顔をする月夜に向けて月無は気まずそうに目を逸らす。月夜が月無の弟な部分に弱いように、月無もまた月夜の姉である部分に弱いのだ。
とりあえずもういいと言う事と、帰宅を急かす言葉をかけようとして不意に足元に目が止まる。足元にはピンクと黄色の花が沢山あった。

「なんだ、この花。」

「んえっ?!あ、えーっと…なんか、気付いたらこうなってたんだよなー!いやぁ、誰がやったんだろうなぁ!」

アハハ、と空元気宜しくな態とらしい笑顔を見せる月夜に、何かしら知っているという事は容易に分かった。だが誤魔化すような事をわざわざ追求するのもなんだし…と思い何も聞きませんよという態度のまま月無は下の花を見る。

「…チグリジアに、黄色いカーネーション…あ、アザミもあんのか。」

「えっ、このピンクのってチグリジアってゆーの?」

「おー…あんまメジャーとも言い難いし、知らなくてもおかしくはねーよ。」

「へぇ…つか弟、お前花なんかに詳しかったのか。初耳だぞ。」

「図書室の本に花言葉図鑑ってのがあって、たまたま見たの覚えてただけ。」

「ああ、お前が毎年両親の誕生日に花送ってたな!」

「…ンなのいいから、帰ろうぜ。」

「ああ、それもそ…うあ?」

「あ?」

やっと帰れる、と思った矢先に月夜からなんとも間抜けな声が零れた。何なんだと月無が振り向くとぺたりと座り込んでいる月夜の姿。まさか。

「…腰、抜けた…。」

ぽつりと告げられた言葉に月無は顔を手で覆う。何故…と考えても、月夜には心当たりしか無かった。先程までの出来事は冷静に振り返れば怪奇現象だ。加えて、それが起こる前に自分は花吐き病を発病して吐いていたのだ。体力も消耗している。加えて自分は貧弱だ。そりゃ力も出ないわ。
だが月無はそんな怪奇現象や摩訶不思議な出来事を予想できるはずもなく、やはり何かあったのではないかと顔には出ずとも慌ててしまう。とりあえず今は帰るのが先決だろう。だが月夜は歩ける状態ではない。となれば…。
ハァー、と重苦しい溜息を吐いてから月無は月夜に背を向けてしゃがみこむ。

「?なんだ?」

「…おぶるから、乗れ。」

「んなっ、弟なおぶられるなんて…で、出来るか!」

「けど、早く帰んなきゃだろ。母さん、カンカンだぞ。」

「うぐ。」

これ以上時間を費やしてしまえば母になんて言われるかわからない。今でもかなりやばいのに。
母の説教を考えてしまえば、素直におぶられるしかなるまい。ぶつぶつと「私が姉なのに」だ「こんなこと…」だの言いながら月夜は月無におぶられる事を選んだ。月夜が首に腕を回してきたのを確認してから月無は立ち上がり、月夜をしっかりとおぶり直してから集会場から抜ける道へ歩き出す。

ミャァーオ…。

低い猫の鳴き声が聞こえる。月夜が振り返ると、ジィっとただ月夜を見つめる猫達。その目がいつもの甘える時のようなものではなく、冷たいもののように感じた。それが何なのか分からないまま月夜は小さく手を振ってまた月無の首に腕を回した。
集会場から街へ抜ける道は本当に真っ暗だった。今日は月も出ていないので月無が持ってきた懐中電灯だけが頼りになる明かりだった。暫く無言だったが、それに耐えきれなくなった月夜は月無へ話しかけた。

「なあ、弟。なんで私があそこにいると分かったんだ?」

「ガキの頃、姉貴大抵あそこにいってたから。姉貴猫好きだし、たまに制服に猫の毛付いてたし。今でもいってるんだってすぐ分かる。」

「…よく見てんのな。」

「まぁ、家族だし。」

その家族に向けて最近冷たいのはどこのどいつだ、と頭で思うも、今の状況を考えるとそれを言う気も萎える。この弟は一応、自分のことを姉だと思ってくれている。そう考えると胸が暖かくなったし。

「…でも、猫、苦手になったんじゃなかったか?」

「ンな事言ってられねぇだろ。」

…つまり、自分の苦手なのがいっぱいいると分かっていながら私を探しに来た…と?なんだコイツ、誰だこのイケメン。くそ、嫌味の一つ言ってやろうと思ったのに…!
何となく気まずくて何も言えなくなる。けれど無言というのもいたたまれないので、何か別の話題になるものはないかと探る。ふと、自分やナオが吐いた花を思い出した。

「なあ弟よ。」

「なんだよ…。」

「お前、花言葉ってのどのくらい覚えてんの?」

「あー?まあ、ある程度は…?」

「フリージアの花言葉は?」

「えーと…あどけなさ、純潔…あと、親愛の情だったか。色によってもなんか色々あったけど、全体的なのはこんな感じだったはず。」

「ストック。色は白と黄色。」

「永遠の美、愛情の絆…求愛もだったかな。白はおもいやりと密かな恋。黄色は…なんだ、さびしい恋、とか、そんな?」

「サルビア。」

「家族愛。いい家庭。あとは、尊敬もそうだ。」

「七輪の薔薇。赤。」

「まー、赤い薔薇は有名だな。愛情とか、愛してますとか。七輪だと確か、密かな愛…だったっけ。薔薇は本数でも変わるんだよなぁ。」

「めんどくさいな。あとは…カーネーションは?色は白、ピンク、赤、黄色。」

「そんなもんだろ…って多いわ。全般は無垢で深い愛。でー…白?が、純粋な愛とか、私の愛は生きてます…だったか。ピンクは女の愛、熱愛。赤は母への愛…あと、英語であなたに会いたくてたまらないってのもあったな。」

「英語とかあんのかよ。花言葉。」

「まーな。あと…なんだっけか。」

「黄色。」

「そうそう。黄色はあんま良くねぇんだよなぁ。」

「え、そうなのか?」

「そ、軽蔑ってーの。英語では失望しましたとか、拒絶とか。」

「え。」

瞬間、月夜は冷水を頭からぶっかけられたように感じた。体が強ばる。目の前が一瞬真っ白になった。強すぎるその衝撃に月夜は言葉を失った。
そんな月夜に月無は不自然に思って「姉貴?」と呼ぶ。ハッと戻ってきた月夜は、まだ整理のつかない頭で残り二つの花の花言葉をきく。

「…さっき、お前も見た…チグリジアと、アザミは…?」

「あー、チグリジアは助けてとか、愛してとかそんなの。アザミは…。」

頭の中で警報がなる。聞くな。気付くな。理解するな。何かが崩れる予感がした。イケナイことなのではないかと思った。気付いてはいけない事に気付く気がした。けれど静止の言葉をかけることはできず、聞いてしまった。

「厳格や独立っていう良さそうなのもあんだけど、報復とか、触るなっていうのもあるんだよ。英語では人間嫌いってのもあったぞ。」

報復。
その二文字が深く突き刺さった。
アザミの花はナオが最後に吐いた花だ。花言葉がそれということは、ナオなマサキを許していなかったのか?そう疑問を持ったと同時に先程までの出来事が全てフラッシュバックされた。思えば、違和感が多い。

『花吐き病は恋が成就した時、白い百合を吐いて完治する』

ナオが最後に吐いたのはアザミの花だ。白い百合じゃない。
恋は成就しなかった?けれどマサキはナオを想っていたし、ナオも…想っていたのか?もしかしたらとっくに愛想がついていたのでは?ナオが死んでしまったのは、生前に成就しなかったから、花吐き病が死因だったのか…?

『猫が好き』
『猫を撫でてる時は笑顔だった』
『嘘吐きちゃんの母校』

猫が撫でさせるという事は、相手に対してそれなりに警戒心は解いているからだ。そしてナオは私と同じ高校だ。ナオとマサキが何年前の学生なのかは分からないが、この辺りは都市化に向けた工事が長年に渡りされてきたので、猫を触れるような場所はあそこしかない。
なのに、あんなに警戒されているのはおかしくないか?霊だから、か?
あれ、そういえば、最後の、私を見る猫の目は…。

『花言葉』

嘘吐きちゃんが唯一本音を伝える方法なのだろう。吐く花は、きっと嘘を吐かない純粋な思いの花だろう。
あれ、そういえば、私が吐いた花の花言葉はどれも愛に関するものだった。中身には、確か…。
ああ、気付いてしまった。私が恋した相手を。けれどこれは許されない。許される相手じゃない。無謀だ。まるで私にお似合いなものだ。けれどそれは叶わないもの。…ナオがマサキに恋をした時も、こんな感情で占められたのだろうか。呼吸が出来なくなりそうなほど、息苦しくなった。こんなの、苦し過ぎる。
…あ、れ?そうだ。吐く花は、嘘を吐かない…吐く、花、は…?なら、言葉は…?

『嘘吐きちゃんは、嘘しか吐けない』

その一文を頭に浮かべた瞬間、吐き気がこみ上がる。思わず口元を手で抑える。体が震える。月無が声をかけている気がするが、何も答えられない。

ナオが言っていた言葉は全て嘘だった。

もしかしたら治っていたかもしれないと淡い期待が浮かぶが、瞬時にそれを否定するものを思い出した。吐き出した花は、嘘を吐かない。
という事は、嬉しいと言ったのも、一緒だと言ったのも、あの言葉全て…

『ウソツキちゃんは、あなたじゃないよ』

「あ」

背中に、いる。

──ツ ギ ハ 、オ マ エ ダ 。

勿忘草の花が口から零れ落ちた。










「宇曾さんのとこの娘さん、いなくなったんですって。」

「最後に娘さんに会ったのは弟くんなんだけどね、お姉ちゃんがいなくなってからはおかしいみたいなの。」

「あら、そうなの?しっかりしてるように見えるけど…。」

「なんでも、いつも夜にどこかに行ってるらしいのよ。花を持って。そして違う花を持って帰ってきてるんだけど、必ずヒヤシンスがあるんですって。」

「ああ、だから最近あんなにお花が増えていたのね…どれも綺麗よねぇ。」

「でしょう?それで前に綺麗ね、て声をかけたらなんて言ったと思う?」

「何かしら?」

「姉ですから、だって。花を通してお姉ちゃんを見ているみたいでねぇ…。」

「そんなに…弟くん、お姉ちゃんにとくに懐いていたもの、ショックも大きいわよね…。」



「ねえ、聞いた?嘘吐きちゃんの話。」

「聞いた。人を誑かしてるんじゃなくて、自分の代わりを探してるんだってね。」

「しかも、その嘘吐きちゃんってこの学校の生徒だったみたいだよ。」

「へぇ…そういえば、先輩の中で一人、行方不明になった女子がいるんだって。」

「苛められてた人だよね。嘘吐きちゃんにされちゃったのかな?」

「最近は嘘吐きちゃんの話、聞かなくなったけどね。会ったっていう情報もゼロだよ。」

「居なくなっちゃったのかな。」

「そういえば最近、『花吐きちゃん』ってのがいるんだけど、知ってる?」

「あ、新しい都市伝説だよね!」

「なに?それ。」

「街の裏道の先に猫が集会している場所があるんだけどね、夜になるとそこで大丈夫って言いながら花を吐いている女の子が現れるの。そんでその女の子に気に入られて花をあげると、女の子が吐いた花をくれるんだった。」

「吐いた花なんて貰ってどうするってんだろうね。」

「気持ち悪い。」

「そういや、前に花を持ってその猫の集会場に続く道へ入ってく人見たな。」

「そうなの?何してたの?」

「気になってついていったけど、猫と戯れてるだけだった。花は集会場の隅に置いてあったよ。」

「花吐きちゃんと関係してるの?」

「さあ?ずーっと猫と一緒にいただけで、飽きたから最後までは見てない。」

「ただの猫好きじゃない?」

「かもなー。」










ひらり。花弁が落ちる。

──大丈夫。

少女の口から花が零れ落ちる。

──だいじょうぶ。

少年は少女の頬を優しく撫でる。

「謝んないでよ、姉ちゃん。」

──だいじょうぶ。

「謝んないで。姉ちゃんは何も悪くないから。」

──わからないでしょ?

「もちろん分かるよ。姉弟なんだから。姉ちゃんのこと、分かるよ。姉ちゃんが、誰を好きなのか。」

──大丈夫。

「ごめんは、俺の方。まだ、応えられない俺がいる。だから、もうちょっと待って…大丈夫。居なくなったりは、絶対にしないから。」

──だいじょうぶ。

「ごめん、じゃないでしょ。」

──…ごめんね。

「ん、よく出来ました。そうだ、今日はイタリアンホワイトって花持ってきたんだ。そこにある白いヒマワリだよ。花言葉、知ってる?」

──知ってる。教えなくていいよ。

「あのね、あなたを想い続けますって言うの。」

──知ってたよ。

「だろうね、結構マイナーな方だろうし。知らないだろうなって思ってた。」

辻褄の合わない会話をする少年と少女。
時間はすっかり夜の時間。
それでもなお話し続ける。
けれど終わりの時間はやってくる。
数時間後。そろそろ帰らなければいけない時間。

「姉ちゃん。今日も、花、貰ってっていい?」

──だめ。

「ありがと。」

礼を言うと、少年は少女が吐いた花を集める。今日の花は紫のチューリップ、スターチス。そして必ずあるヒヤシンス。
落ちないように気を付けながら立ち上がる。空を見上げればもう真っ暗になっていた。

「そろそろ帰るな。お姉ちゃん。」

──………ありがとう。

コツンとおでこを合わせる。

「また、明日。な。」

こくり、と姉は頷いた。
弟は花を抱えて歩いた。

姉弟は、囚われている。



嘘吐きちゃんは花を吐く。


prev / next