静宵が言った通り、陛下と紫薇様、宵魅もあたし達が戻って来るのを待ってくれていた。

「紅兄様、麗月姉様!お早う御座います!さあ、こちらのお席にどうぞ」

「メイ...」

「宵魅、お早う」

宵魅が爽やかな笑顔で席に案内してくれる。普段から溌剌とした宵魅の声が今日は特に弾んでいる。宵紅がふっと笑って宵魅の頭を撫でると、宵魅は少し赤くなってはにかんだ顔を見せた。その様子を見ている宵里が羨ましそうにしていた。

宵紅の左隣に宵里が座り、あたしは宵紅の右隣に座った。

「紅。麗月と2人で庭園を見て来たのか。今日は良い天気で、気持ちが良かったであろう」

陛下がにこにこと声を掛けてくる。

「ああ…そうだな」

「うふふ。麗月ちゃんが紅を連れ出してくれたの?」

紫薇様も笑顔だ。

「あ…、ええと、前からあたしが誘っていたんですけど、今日になって宵紅の方から声をかけてくれたんです」

「まあ〜、そうなの。紅、あなた…何か、心境の変化があったのかしら」

宵紅が小さく頷いた。

「……昨日の夜、麗月と色々話をした。その時麗月は俺に、もう外に出ることを恐れなくていいと言って励ましてくれた。俺は臆病者で、今迄ずっと逃げてばかりだったけど、もうこれ以上逃げ続けるのはやめようと思えた。その勇気を、麗月がくれたんだ…」

そう言いながら宵紅が終始あたしを見つめてくるので、あたしは思わず俯いてしまった。また顔が真っ赤になってしまってるんじゃないかと、少し恥ずかしくなったから。あたしが昨夜言ったこと、宵紅はそんな風に思ってくれたんだ…

「あっ、あたしは、そんな大した事は…」

「いいえ、麗月。ありがとうね。アタシはアナタがずぅっと諦めずにフェイに声を掛けてくれてたのを見てた。兄でるアタシが情けない話だけど、この子の事、アナタに頼ってしまっていたわ…。フェイもありがとう。勇気を振り絞って、あの部屋から出て来てくれて」

静宵の目が少し潤んでいた。宵紅は首を振る。

「ずっと皆に申し訳なかった。司家の人間として、俺は何一つ相応しい振る舞いも出来ていなくて。こんな俺でも許されるのなら、もう一度迎え入れて欲しい…」

宵紅の懇願に、陛下が答える。

「紅。迎え入れるも何も、最初からお前は司家の一員ではないか。私達の大切な家族だよ。私が不甲斐ないせいで、辛い思いをさせてすまなかったな…」

「親父は何も悪くない!俺が勝手に捻くれて、引き篭ってしまっただけだ」

「そう言ってくれるのか、紅よ」

「あらあらまあまあ、陛下ったら。涙だけでなく、洟まで垂れていましてよ。こちらでお拭きになって下さいまし」

紫薇様が笑って、陛下に手巾を差し出した。

「そう言うそなたこそ泣いておるではないか」

「涙も出てしまいますわ」

よく見たら宵里も宵魅も皆目に涙をためていて、あたしも貰い泣きしてしまった。

「それで、その…」

宵紅が遠慮がちに口を開く。

「どうしたの?フェイ」

「…ずっと止めていた槍術や弓の鍛錬、再開しようと思っているんだが」

「それは本当でございますか!?紅兄様!!」

宵魅が興奮して立ち上がった。あまりに勢いが良かったので椅子がそのまま後ろに倒れてしまったほどだ。

「もっ、も、申し訳ありません…!」

宵魅が真っ赤になってしまい、部屋は笑い声に溢れた。

「それは良い事ですわ、紅。一番あなたの帰りを待っていたのは魅かしらねぇ?ウフフ」

紫薇様の言葉に、宵魅が俯く。耳まで真っ赤になる勢いだ。

「フェイ兄さまぁ。じゃあ、それが終わったらその次は私にお勉強を教えてくださらない?分からないところがいっぱいあるの。私がフェイ兄さまの部屋に行くからぁ、ねっ。いいでしょ?お願い!」

宵里が甘えた声で宵紅の腕を組む。

「勉強?俺が教える事なんて…」

「だって兄さまが先生だったら私、頑張れるもの!約束だからね、絶対よ!」

宵里は半ば強引に約束を取り付けた。宵魅も一緒になってその後もずっと絶え間なく宵紅に話し掛けている。

「もう、あの子たち仕方が無いわねえ。騒がしくてごめんなさいね麗月。リーだけじゃなく、普段は落ち着いてるメイまであんな風になっちゃうなんてね」

「全然っ。二人がはしゃいじゃうのも無理無いわ」

きょうだいっていいな。
ふと、李花のことが頭によぎった。あの子はどうしているんだろう。ティニティアで幸せに暮らせているのかしら。早く手紙を出さなくちゃいけないわ。

「麗月ちゃん」

「は、はいっ!」

不意に紫薇様に呼ばれて、あたしは慌てて返事をした。

「紅のこと、本当にありがとう。わたくしも陛下も、本当に感謝していますわ」

「麗月が紅の妻になってくれて良かった。私達は心からそう思っているよ。これからも紅のことを支えてやって欲しい」

「へ、陛下。紫薇様。そんな…お礼だなんて恐れ多いです。でもあの、あたしも…宵紅の妻になれて良かったって思ってます!」

「まあ〜、麗月ちゃんったら」

紫薇様、静宵とそっくりの笑い方だ。やっぱり親子ね…。陛下はうんうんと嬉しそうな顔で頷いてくれている。

和やかな朝食の時間が終わり、宵紅はと言うと、宵魅と一緒に鍛錬場へと向かった。髪の毛を後ろでひとつに結び、鍛錬用の服装に着替えている。あたしや宵里もついて行って様子を伺っていた。

宵紅の姿を見た鍛錬場の人達が、ざわざわと騒ぎ出す。緊張しているのだろう、宵紅の表情が硬い。そんな時宵紅の前に一人、初老の男の人が歩み寄った。

「あの人は?」

あたしが尋ねると宵里が「宵魅に武術の指導をしてくれている師範」の人なのだと教えてくれた。名前は清切(セイセツ)さんと言い、以前は宵紅にも稽古をつけていたらしい。

「し、宵紅様、何故こちらに…?」

「……」

宵紅は暫く黙っていたが意を決したように息を大きくついて、やっと口を開いた。

「……左目を怪我してからずっと此処に来るのをやめていたが、また鍛錬を再開したい」

「何ですって」

「やっと、その決心がついたんだ。自分勝手な話ですまないが、俺にもう一度稽古をつけてくれないか…?頼む、清切。この通りだ」

宵紅が頭を下げると、後ろで見守っていた大勢の人達があっと息を呑む。

「頭を、頭を上げてください…宵紅様」

清切さんの声は震えていた。
宵紅がゆっくりと頭を上げる。

「この清切、ずっとこの日をお待ちしておりました…!」

清切さんの目には涙が溢れている。
宵紅に向かって清切さんが跪いて拱手をし、頭を下げたタイミングでその涙が地面に落ちて染みを作る。
宵紅が安堵の表情を見せた。

「有難う。また一から鍛え直してくれ」

「とんでもない!宵紅様なら直ぐに勘を取り戻すでしょう」

豪快に泣き笑いする清切さんの後ろで、様子を見守っていた人達も一斉に二人の元へ駆け寄る。

「宵紅様!戻ってきて下さったのですね」

「私共も待ち侘びておりましたぞ!」

「ああ、そうだ、槍や弓など新調致しましょう!」

わいわいと騒ぐ人達に囲まれて、宵紅は照れくさそうにしていた。少し離れて様子を見守っていた宵魅も笑顔だった。勿論、あたしと宵里も。





鍛錬を何時間か行ったあと、約束どおり宵紅は宵里の勉強を見てあげたらしい。
もう自分の部屋に戻っている頃だとは思うけど、今日は流石に疲れているだろうし、すぐ寝てしまいたいだろう。今日は宵紅の部屋に行くのはやめておこう…と思った時に来客があった。

「麗月様。失礼します」

部屋に来たのはルアンだった。

「どうしたの?あなたがあたしの部屋に来るなんて珍しいわね」

「ええ、宵紅様がお呼びです。話したいので部屋に来て欲しいと」

「えっ!?」

まさか宵紅からあたしを呼び出してくれるだなんて。

「でも今日は疲れているんじゃないかと思って…」

「いえ、麗月様さえ迷惑でなければ、是非来て欲しいと仰っていました。構いませんかね…?」

「も、勿論行くわ!」

「良かった!じゃあ、宵紅様のお部屋まで俺がご一緒します」

にっこりとルアンが笑顔を見せた。
侍女に声を掛け、ルアンと共に宵紅の部屋へ向かう。

「…麗月様、ありがとうございます。宵紅様のこと」

道すがら、ルアンがあたしに向かって礼をする。

「宵紅のこと?」

「はい。俺も子供の頃からずーっと司家に仕えていて、宵紅様のことは気がかりでした。だけど、俺の力ではどうする事も出来なかった。でも…麗月様のお陰で宵紅様が変わった。さっき、俺を呼び止めてくれたんで少し話したんですけどね…ああ、あの頃の宵紅様が戻ってきてくれたんだなって。本当に嬉しかった」

「そっか。あたし、頑張った甲斐があったわね」

「マジで凄いっス!諦めない姿勢って大事ですよね」

「…あっ。そう言えば、宵魅とはどうなの?何か進展は?」

「ちょっ!!声がデカいです!!なんも無いですよ、進展なんて…」

ルアンがしょんぼりした顔になる。

「でも、あたしはあなたを応援してるから。協力出来ることがあれば言ってね?」

「え、マジですか?すげー心強いっス」

そんな話をしていると、宵紅の部屋の前に到着した。

「それじゃ、俺はこれで失礼します」

「ありがとう!」

ルアンが礼をして立ち去るのを見届け、あたしは宵紅の部屋の戸を叩く。とてもドキドキする。すぐに宵紅が扉を開けてくれた。

「麗月」

出迎えてくれた宵紅は笑顔だ。それに、凄く優しい声…。笑ってあたしを迎えてくれるなんて初めてのことだ。

「あっ…今日は疲れてるだろうから行くのはやめようかなって思っていたんだけど。迷惑じゃなかったかしら?」

「とんでもない。お前が来てくれて嬉しい…。とりあえず中に入ってくれ」

「うん」

宵紅に促されるまま部屋へ入ると、机の上に何かの瓶が置いてあった。宵紅がその瓶を手に持つ。

「これは桂花酒だ。麗月が飲むだろうとジンが持って来てくれた」

「桂花酒…、あっ」

初めてシャンナムカに来た日、静宵が教えてくれたお酒だ。確か、丹桂の花を漬け込んで作ったものとかだったような。

「良かったら一緒に飲まないか?」

遠慮がちに宵紅が問い掛けてくる。

「ほ、ほんとにっ!?勿論よ!」

思いっきりはしゃいでしまった。一緒に晩酌するって、あたしがいつか叶えたいと思っていたことのひとつだったから……。
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