サミアがキャラバンの一員として過ごした初めての一日が、ようやく終わろうとしていた。
ずっと走り回っていたような気がする。
離れ屋敷で暮していた時には味わうことのなかった疲労感がサミアの体にどっと押し寄せた。しかしそれは、何故か彼女にとっては心地良いものに感じられていた。
「サミア。今日は疲れたろう?来なよ」
ナスリーンに手招きをされる。その向こうで既に多くの女性陣が待ち構えていた。
サミアが不思議そうな顔を見せると、ナスリーンがサミアの肩を抱き笑った。
「皆で風呂行こう!公衆浴場」
「お、お風呂…?」
皆で連れ立って行く先は、マヌジャニアの街なかにある公衆浴場だった。既に多くの利用客で賑わっている。
「公衆浴場が無い街なんかに行った時はさ、川に入って身体を洗うんだけど、その点この街は風呂が有るからいいよねー」
「そうそうー!やっぱりさー、あったかいお湯に浸かりたいしー」
お喋りをしながらさっさと服を脱いでいくナスリーン達の横で、サミアは裸を見られるのは恥ずかしいらしくなかなか服を脱ごうとしない。
「サミア!何してんのー?早く行こうよ」
「うん、で、でも…」
「さっさと脱がないとリリが脱がすよ!」
例の手つきでじわじわとサミアを追い詰めるリリ。
「わ、分かったわ、自分で脱ぐから…」
観念したサミアも服を脱ぎはじめた。
「うっわー!やっぱりおっぱいでかーい!」
「キャー!」
またしてもリリから胸を直接鷲掴みにされ、サミアは悲鳴をあげた。
「こら、嫌がってんだろ!?セクハラするな!バカだねー」
ぱしんとナスリーンがリリの頭を叩く。
「いたーい!でもすごい!ちょー柔らかい!サミアのおっぱい!キャハハ!」
「うるさいな!さっさと身体洗って風呂に浸かりな!」
「あーもー分かったってばー!」
ナスリーンの一喝でようやくリリが身体を洗い始める。そしてパタパタと浴槽へと向かい、「はぁー」と一息ついていた。
「オッサンかよ。ったくもう、落ち着きのない奴だなー。サミア、ごめんね」
「へ、平気よ」
「あんたも身体洗ったら」
ナスリーンに促され、身体の汚れを落としたあとに多くの客が浸かる大きな浴槽へと向かった。
温かな湯は、一日の疲れを解してくれる。
「あー、気持ちいいねー」
「うんっ、とっても」
大勢で同じ風呂に浸かる…というのは、サミアにとってはなんとも不思議な体験であった。
昨日まではずっと一人ぼっちで生きてきたのに、今は多くの人達と行動を共にしている。
「(父様や母様が知ったらどう思うだろう…)」
そんなことをつい考えてしまい、ばしゃばしゃと顔を洗った。
「どうかしたの?」
サミアの突然の行動を、ナスリーンが不思議そうに眺めていた。
「な、なんでもないわ。ところで、明日の夜にマヌジャニアを発つって話だったけど…」
「ああ。隊長も言ってたけど、キャラバンの移動は日が落ちて涼しくなってからすんの。それまでは仮眠をとって、起きたら荷物纏めて撤収さ」
「そっか。次に行く街がどんな所なのか楽しみだわ」
外の世界を知るのがこんなにも胸躍るものだとは思わなかったーーと、自然とサミアは笑顔になっていた。
「お、いいねー。顔が明るくなってきたんじゃない?サミア」
「そ、そうかな…」
「あんたの友達…セナイだっけ?早く会えるといいよね」
「うん…私のことを覚えてるか、分からないけど」
「きっと覚えてるさ。思い出話も、後であたし達に聞かせてよ」
「ええ」
「よし、んじゃー、もう少しゆっくりしたら出よう。ところでリリは何処に行ったんだか」
辺りを見回してもリリの姿は無い。
すると、扉の外から声がした。
「ナスリーンー!サミアー!いつまで浸かってんのー!?リリ、とっくに出たんだけどー!早く帰ろうよー!」
ナスリーンが呆れてため息をつく。
「カラスの行水かよ!ほんっと、落ち着きがないんだから!」
サミアはその様子を見てくすくすと笑っていた。
その一方でーー
キャラバンの隊長・ベフラングはアザリー邸へと赴いていた。
その隣には、オーランの姿もあった。
「のう、ベフラングよ…、くれぐれも、余計なことは口にするでないぞ」
「へいへい、分かってるさ」
そんなベフラングの気のない返事に、オーランは小さく溜息をつく。
そうこうしている内に、カーレッド・アザリーとその妻マレイカがやって来た。
「貴殿が、キャラバンの隊長か…」
「ああ。領主さん、短い間だったが露店やテントを張る場所を提供してもらって有難うよ」
「わざわざ挨拶に?…それにしても、随分と騒がしい連中ですな、キャラバンというのは」
何処か棘のある言い方に、ベフラングはニヤリとする。
「うちは爺さん婆さんからガキまで預かっているんでな。賑やかでいいもんだぜ?特に子供は。あんたにも子供が居るんだろ?」
その質問に、ベフラングの隣のオーランが思わず慌て出す。
「ええ…娘が、"一人"ね」
カーレッドは平然とそう口にした。
「一人?俺は二人居ると聞いていたが?」
「…私の娘は一人だけだ」
あくまでそう主張するカーレッドの奥で、マレイカがわなわなと身体を震わせていた。
「…あなた、私達の娘はサミアとタージ…、!」
マレイカがそこまで言ったところで、カーレッドが拳を振り上げた。
また殴られる、と思わず目を瞑るマレイカだったがーー、何も起こらない。
目を開けると、ベフラングがカーレッドの腕を掴み制止していた。
ギリギリと音が聞こえそうな程に強く握られた腕。
カーレッドはたまらず苦悶の表情を浮かべた。
「な、何のつもりだ貴様…!」
「それはこっちの台詞だぜ、領主さんよ。そいつはあんたの奥さんじゃねえのかい?自分の妻に手ぇ上げる旦那なんざクソ過ぎるだろうよ」
声は落ち着いているものの、ベフラングの瞳は怒りに満ちていた。そのあまりの迫力に、思わずカーレッドは怯む。
「き、貴様に何の関係がある!離せ!」
何とかベフラングの手から逃れたカーレッド。
「貴様のような粗暴で野蛮な人間なぞ、早くこの街から出て行けっ!目障りだ!」
「はっ。笑わせるねえ、その言葉はそっくりそのままお前さんに投げ返してやりたいぜ。ーー妻と子どもは大切にな、領主さんよ」
「黙れ!さっさと消え失せろ!」
そんな捨て台詞を吐き、逃げる様に去って行った。
マレイカはベフラングに頭を下げ、カーレッドを追った。
「やれやれ」
「やれやれ、じゃないわい!儂の言葉を聞いておったのかお前はっ!」
オーランが持っていた杖でベフラングの背中を小突いた。
「痛えっ!あれくらい良いじゃねえか。まるでサミアを最初から居なかったもののように言いやがって、許せねえぜ」
「お前の意見はもっともじゃが…」
「腑抜けたな、爺さんよ。昔はあれだけ血気盛んだった癖に」
「やかましい。そう怒ってばかりでは血管が切れてすぐにあの世行きじゃわい!あの奥さんを助けたのは褒めてやるが」
「…つまりあれがサミアのお袋さんか。あの様子だとお袋さんの方はサミアを好きで放置してた訳ではねえようだな」
「そりゃそうじゃろうて。腹を痛めて産んだ子じゃ、申し訳ないと感じておるだろうよ」
「……。そろそろ帰るか、オーラン爺」
アザリー邸から出ると、二人はそのままキャラバンのテントへと戻った。
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