「ねえ、パリー?お願いがあるのお」
邸の広々とした一室に置かれた、一人で寝るには大き過ぎるベッド。
そんなベッドに転がったまま、水色の長い髪の美少女ーーモフセン家の令嬢、ロフサーネがやたら間延びした甘え声を出す。
「パリー」と呼ばれた快活そうな少女は、すかさずベッドに駆け寄る。
「何ですか?ロフサーネさま」
「実は薔薇水が切れてしまったのよねえ。悪いんだけどいつものお店で調達して来てくれない?」
此処は、王族のスィン・アル・フィル家が居城を構えるアルブルーズ王国の最大都市、シャンデーヴァより少し離れたトゥラジの街。
ロフサーネが言う「いつもの店」とは、このトゥラジから歩けば数時間程掛かるシャンデーヴァの街中にある。
「はい!行きます!」
笑顔で即答し、ばたばたと邸を出ていくパリーを、ロフサーネはにやにやしながら見送った。
客引きをする「魔法の絨毯使い」を見つけて声を掛ける。今回は初老の男性だった。
「どちらまで?」
「アルブルーズ城までお願いします!」
パリーが言うと、「あいよ」と頷いた絨毯使いがコンコンと持っていた杖で絨毯越しに地面を軽く叩く。
程なくして絨毯は浮かび上がり、あっという間にトゥラジの街が小さくなってゆく。
流れる風を全身で感じ、パリーは気持ち良さそうに目を細めた。
(今日も会えるかな?)
胸の高鳴りを抑えるように、深呼吸をする。
「城には、何の用で行くんだい?」
絨毯使いの男性がパリーに声を掛ける。
「あ、えっと…お城の近くにあるお店に買い出しに行くんです。知ってます?アルブルーズ城の薔薇園!そのバラを使った薔薇水の販売所があるんです。美容にいいんですよ〜」
ほう、と絨毯使いが頷いた。
「それは良いこと聞いたな。うちのカミさんにも買ってやるかな……おっと、着いたよ。アルブルーズ城だ」
眼前に巨大な城が現れたーーいつ見ても圧倒されるほど荘厳で美しい。
絨毯使いに料金を支払い、礼をして城の前へと降り立った。
「えーっと……」
人混みの中、キョロキョロと辺りを見回す。
正門に目を向けると、「お目当て」の人物の姿が。
「アズラクさん!!アズラクさーん!」
きゃあきゃあと叫び手を振るパリーの姿を確認して、「アズラク」と呼ばれた少年が笑顔を向ける。
中性的な顔立ちの美少年ーー濃い緑の長くさらりと伸びた髪を頭の高い位置で結い上げている。
アズラクは、アルブルーズ城の衛兵の1人だった。
「こんにちは、パリー殿。今日もお買い物ですか?」
にこやかにアズラクが聞く。
「こんにちは!えへ、そうです。あの、名物の薔薇水を…」
「ああ。いつものお店ですね」
「はい!あたしのご主人様がどうしてもと仰るので……。でも本当に品質が良いみたいで、さすがアルブルーズ城で栽培してる薔薇ですねえ…何でもファラフ姫様がお世話なさっているとか?凄いですねえ」
「ええ。私も姫君に誘われて薔薇園に何度か入らせて頂いたことはありますが、それはもう熱心に育てていて……」
「……姫君」
「え?」
風の噂によれば、このアズラクと、スィン・アル・フィル家のファラフ姫は腹違いの姉弟であるらしいーー。ファラフの方は正当な王妃との間に産まれた子供だが、アズラクの方は王と、その「愛人」と噂される女の間に出来た子供なのだと。
なんともスキャンダラスな話だが、パリーは真相を尋ねる気にはなれなかった。こうしてアズラクがアルブルーズ城の衛兵を務めているのも、何か様々な事情があってのことだと思われるが……。
「あっ、えーと…そう、ファラフ姫様ってどんなお方なんですか?あたし、昔に一度だけしか見たことなくって…」
「ああ。なんと言うか、そうですね…とても恥ずかしがり屋な方ですね」
「え、そうなんですかあ」
「控えめで、あまり表に出たがらなくて。薔薇の世話をしてる時が一番落ち着いて幸せなのだといつも仰っています。私もたまに薔薇園の方へ入らせてもらうことがあるのですが、姫君の薔薇を愛しそうに見つめるお姿が印象的で…」
「優しいお姫様なんですねえ」
ええ、と頷くアズラクは嬉しそうだった。
この様子を見ている限り、姉との確執は特に無さそうだ。
「パリー殿の主は、モフセン家のご令嬢でしたか。どんな方ですか?」
「ええ、ロフサーネさま。女のあたしが言うのも何ですけど美人で頭が良くてナイスバディでそれはもうパーフェクトなお方です!…ものすごい気まぐれなのが玉に瑕ですけど〜。でも、あたしのことは凄くかわいがってくれます!」
「仲が良いんですね。何よりです」
「小さい時から一緒に居ますし最早家族みたいな存在かもです…あたしのこと、誰より理解してくれて」
「羨ましいです」
ふっ、とアズラクが切なそうな表情を見せた。
「羨ましいって、えと…アズラクさんにはそういう方がいらっしゃらないのですか…?」
「あ、いや…」
口篭るアズラクを、パリーは追求しなかった。
「な、なんか変なこと聞いてごめんなさい!そうだ、この前またあの"カイス"を見かけたんです!」