不安げな瞳



「異界…かあ…」





グアドサラムにある、長い階段の先に続く異界の入り口。
階段の下からそれを見上げたナマエは、ぼんやりと一言そう呟いた。





「行かんのか」





俺はそう尋ねた。

異界。それは言葉を交わせると言うわけでは無いが、死者の姿を映し出す世界だ。

以前の旅では覗くことも無かったから、ナマエは「見てみたい」と真っ先に食いつくものだと思っていた。

ナマエは頷いた。





「うん。アーロン、行かないんでしょ?」

「未来の道を決めるために過去の力を借りる…。異界とはそんな場所だ。性に合わん」

「ふーん。まあ確かに、縛られるのはよくないかな?」

「気になるなら行ってくればいい。なに、別に恐ろしい場所では無いさ」

「うーん。でも、リュックもいかないんだって。思い出は優しいから甘えちゃダメってさ」

「…そうか」

「振り返ること自体は悪い事だと思わないけどね。過去があるから、今があるわけだし。でもふたりの話聞いてたら、まあいっかな〜って気分になっちゃったから。いいや」





ナマエはそう笑って、もう一人残っているリュックの元に駆けて行った。
なんでも仲間に加わったばかりだから、色々と話してみたいそうだ。

俺はそんな無邪気な背を見ながら、その場に漂う独特な空気に息をついた。

異界…。
俺がそこに足を踏み入れない理由は、ナマエに話した理由だけではない。

正直、限りなく異界に近いこの場所にいるのは気分が優れない。

異界は本来、俺があるべき場所…。
俺は…異界の住人だ。

しかし、まだ…いくわけにはいかない。
生者の振りは骨が折れるが、まだ…。





「ナマエはさ、結婚とか考える?」

「いや別に…。リュックは考えるの?」





その時、そんな会話が耳に入った。
ナマエとリュックだ。





「うん。スピラはシンがいるから、好きな人が出来たら、すぐ結婚しちゃう人多いんだよ」

「あー…なるほど」

「あたしも多分そーするよ」

「そっか…」





結婚を身近だと語るリュックに、実感の沸いていない様子のナマエ。

スピラでは、あいつらの年頃での結婚もそう珍しい事では無い。

しかし、俺が10年過ごした、あのザナルカンドは違った。
となればナマエの世界でも、あいつの歳で結婚というものを考えるのは…まだ実感がないものなのかもしれない。





「結婚か…。でも、やっぱ…好きな人とするもんだよなー」






そう言ったナマエの言葉に、ぼんやりと考える。

お前も、いつかはするのだろう。
隣に立つのは、お前が一番穏やかに微笑む相手は…一体どんな奴なのだろうな。

少し、笑う。
馬鹿馬鹿しいが…羨ましくないと言えば、嘘になるのだろう。

…見て見たい気もするな。
想い人の隣で真白い衣に身を包むお前は、さぞかし綺麗だろう…。





「ねーね、じゃあさ。ナマエは元の世界に好きな人とかいた?」

「へ?」

「恋人とかさー!どうどう?」





気が付くと、あいつらの会話の内容とテンションはころりと一変していた。

…賑やかな奴らだ。
声を高くして笑うその声に、ふう…と息をついた。

しかしそんな会話の中で一か所、耳に残ったものがあった。





「そうだなぁ、例えば、そのネックレスとか!」

「ネックレスー…?」

「そ!実は好きな人からのプレゼントなのーとかさー?」

「へっ?」





…ネックレス…。
そういえば、ナマエの首元には鎖が見えた。

しかし服の関係から、その飾りは中に隠れてしまっていた。

リュックは鎖を引き、胸元からその飾りを取り出す。
その時、ちらりと…見覚えのある赤が見えた。




「…!」





思わず目を見張った。

あの、赤は…。

そう大きな石ではない。
だから、離れたここからでは確証を持っては言えない。

しかし、その色には見覚えがあった。
それは…10年前の、あの旅の中の…遠い記憶だ。





「お待たせしました!シーモア老師に返事をしに行きます」





するとその時ちょうど異界から戻ってきたユウナの声が聞こえた。

答えは出せたのか。

また、ユウナ以外の面々も異界で出せた答えもあったらしく、どの顔もどことなく入る前とは変わっている印象を受けた。
なんにせよ、何か収穫があったならそれでいいだろう。

…ああ、やっとこの場を離れられるな。
俺は心の中で、小さくそんな安堵を吐いた。

しかし、その直後だった。





「ジスカル様!?」

「おお…ジスカル様」





その場を去ろうとしたその時、突然異界の入り口の方で人々のざわめく声が聞こえた。

振り向くと入り口には、死んだと言われていたシーモアの父、ジスカルの姿が浮かんでいた。

そしてそれを見た瞬間、俺は幻光虫が纏わりつき、体が引きずり込まれそうになる感覚を覚えた。





「ユウナ、送ってやれ」





俺はユウナをそう促した。
ユウナは頷き、ジスカルに歩み寄っていく。

しかし直後、俺は立っている事すら辛くなるほど身の苦しさを感じ始めていた。





「…ぐっ…」





声を抑え、必死になって耐える。

皆がジスカルに目を奪われているのが不幸中の幸いか。

…まずい…。

身を保つのが辛い。
苦しく、少しでも気を抜けば崩れ落ちそうだ…。





「アーロン…どうしたの…?」





その時、小さな声が落ちてきた。
…ナマエの声…。

ゆっくり見上げれば、そこには唯一俺の様子に気が付き、こちらを見つめるナマエの姿があった。

恐らく、俺の様子が尋常では無いのは明らかだろう。
ナマエの瞳は、不安げに揺れていた。





「何でもない…平気だ」

「でも…」





俺は平然を装うように返した。
しかし、まったく装えてなどいないだろう。

…むしろ余計に煽ったか…。
ナマエの不安の色は、欠片とて減ってはいない。

だが、今の俺にはそれをどうにかできる余裕が無かった。





「気にするな!…話は後だ。ここを出るぞ」





思わず、強めの声が出た。
俺はそのまま何とか立ち上がり、一足先にその場を後にする。

もう出なければ、限界だった。

しかし…ちゃんと、見えていた。
俺が強めの口調を発した時、ナマエの肩がかすかに揺れたのを…。





「………。」





今まで、あんな顔をさせたことがあっただろうか…。

ナマエは何も悪くない。
…すまない事をした。

息苦しい…。
胸の奥が、苦しかった。



To be continued

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