傘忘れに御注意あれ

(学パロ ※紫苑さんが通常運転)


ちっ、と思わず舌を鳴らした。


降るなんて聞いていない。今朝トーストをかじりながら横目で見ていたニュースでだって、言っていなかった筈だ。
しかし、見上げた先の分厚い雲は、ざあざあと大粒の雨を振り落としていた。


ちっ、と再度舌打ちをして、校舎の外へと足を踏み出す。
忽ち顔や肩に降りかかる雨粒に不快感を覚えたが、慣れてしまえば―‥新たに制服に染みが出来るのも分からなくなるくらいに濡れてしまえば、さして気にならないだろう。


走って帰る、なんて真似は、当然しない。
自宅まではそれなりに距離がある。どのみちずぶ濡れになる事だろう。ならば何も焦ることなく、いつも通り歩いて帰るに限る。


都合のいい事に、今自分は、特に濡れて困るようなものは所持していなかった。
鞄の中はほとんど空に近いし、心配するとすれば携帯電話くらいだが、そういえば今日は自宅の机で留守番していたのだっけ、と思い出す。


今日は金曜だ。
明日は休日であるから、まぁ、制服が乾かなくても問題は無いだろう。
そういう訳で、やはりおれは、叩き付けるように降る雨の中を、てくてくと歩いて帰るのであった。


住宅街の合間を縫うようにして続く、歩き慣れた小路を辿る。
時折出会す、傘を差した通行人や、横を通り過ぎて行く後輩だか先輩だかが、ちらちらと視線を寄越して来るのには、気付かぬふりをした。


(‥あ?)


夕飯は何にしようか、なんて事をぼんやりと考えながらしばらく歩いていると、ふと、前方に見慣れた後ろ姿が現れた。おや、と思わず首を傾げる。

通う学校の異なる互いが出会すのも珍しい事だが、それよりもその恰好に驚いたのだ。
おれと同じように傘を差さず、ずぶ濡れになったそいつは、これまたおれと同じように、のんびりと雨の中を歩いていた。
どうしたのだろう。あいつなら、折り畳み傘の一つや二つ、常備していそうなものだが。

土瀝青に溜まった泥水を跳ね上げぬように気を配りながら、小走りになってその背中に追い付く。


「紫苑」


ざあざあと喧しく降り注ぐ雨に、一瞬空耳だとでも思ったのだろうか。
少し間があってから、紫苑は足を止め此方を振り返った。

そうして、額に張り付く前髪を掻き上げておれの姿を認めるなり、その紫がかった黒い瞳を、まん丸く見開くのであった。


「―どうしたんだ、君!びしょ濡れじゃないか!傘は?」


出会い頭にきん、と耳に響く大声を出されて、思わず眉をしかめる。
反応が過剰である。自分だって同じ状態だということを、よもや忘れたわけではあるまい。


「持ってない」


「ええ?確か、きみの学校の近くにはコンビニがあったろう?そこで買えばよかったのに‥」


「態々買うのも面倒だったんだよ。そう言うあんただって、ずぶ濡れじゃないか」


「ぼくは、ほら。もうすぐそこだし。でも、君はまだここからも距離があるじゃないか?それなのに‥」


まだ何か説教が飛んで来そうなので、肩を竦めたおれは、すいと紫苑を通り越して再び歩き出す。
あっ、という間の抜けた声を背に、先程よりもずっと速いペースで帰路を進んだ。


「ちょっと、待ってくれよ」


ばしゃ、と水溜まりを踏みつける音が聞こえたのを、ああやっちまったな、と他人事のように思う。
名門私立校の上質な制服が、今ので泥まみれになった事だろう。
しかし当人はそんな事は気にも留めない様子で、ぱしゃぱしゃと駆けて隣に追い付いてくるのだった。

おい、おれのスラックスまで汚してくれるなよ、という意を込めて睨み付ける。
物言いたげに此方を見る眼と視線が絡んだ。


「なんだよ」


「‥なぁ、君。まさかずっと、その格好で歩いてきたのか?」


「そうだけど」


「‥‥」


何を言ってる。当り前だろう、という風に返してやると、紫苑は眉を寄せて何やら思案する素振りを見せた。

しっとりと濡れた髪も肌に張り付くシャツも、お互いそっくり同じ状態だというのに、まだ何か文句があるようだ。
もう面倒なので、無視を決め込み泥水を避けることに専念していたが、稍あってから名を呼ばれ、仕方なく視線を寄越す。


「‥だから、なに」


「うん。君、ぼくの家に寄って行かないかと思って」


「は?」


「家で雨宿りしていけばいい。君が来ると母さんも喜ぶ。何なら夕飯も」


一体どういう神経をしているのか、紫苑は断られるとはまるで思っていないようであった。
にこにこと微笑むその顔に、母親、と言われた人物を思い浮かべる。


彼女、そう、確か名は火藍といったか。この紫苑の母親という事で、ある程度の覚悟はしていたとは言え、初対面の第一声で『まぁ綺麗な子!』と頬を紅潮させて言われた時には、ああやはりかと肩を落としたものだ。
全く、よく似た親子なのである。

故に、二人揃われると厄介でならない。母子並んで、きらきらと輝く瞳で眺められた時には、背中がむず痒くて仕方なくなるのだ。決して嫌悪感を覚える訳ではないが、どちらかというと苦手な人種なのである。母子共々。


「傘を持ってくればよかった」


さてどうするか、と思い悩んでいると、隣から独り言にも近い呟きが転がってきた。
見ると、紫苑は不満そうに鈍色の空を見上げており、どうやら既に次の話題に入っている様子である。

待てよ、まさか、おれが行くことはもう決定事項なのか。
勝手に決めるなときつく睨み付けても、気が付きもしないこの鈍感は、はあとため息を吐いて一人勝手に話を進めるのだった。(こいつ、実は確信犯なんじゃないのか。)


「君と出会すんだったら、折り畳み傘を持ってくればよかったよ。そうしたら君と、相合傘が出来たのに。」


「なんだって?」


「ああ、いつもは鞄に入れてるんだけどな。今日はちょっと学校に持っていく物が多くて、玄関に置いてきたんだよ。まったく、しくじった。」


違う、誰もそんな事、訊いていない!あんた気は確かか、と脳の中身を疑ったんだ!

だめだ、こいつ、雨に濡れた寒さで頭がイカレちまったに違いない。
見切りをつけたおれは、もう何もつっこみを入れてやることも返事をしてやることもせず、ずかずかと大股で歩き出した。泥水?もう知ったこっちゃない。跳ねるだけ跳ねればいいさ。
いつでも走り出せるような速度で、背後の男から距離を取る。


「―あ、ちょっと‥!
待てったら、どうしてさっきから、すぐにぼくを置いて行こうとするんだ」


しかし、間もなく再び追い駆けて来る足音が聞こえて、ちっ、とおれは本日三度目の舌打ちをした。
ついに小走りになって、ばしゃばしゃと雨降りの帰路を辿る。後ろの足音が速度を上げれば、此方も更に。


「付いて来るなよ、紫苑」


「何故?どのみち同じ方向だろう。君の方こそ、なんで逃げるのさ」


そうしてそれを繰り返す内に、互いにむきになってしまって。気付けば本格的な追い駆けっこをする羽目になり、おれはもう腹立たしさから泥水を蹴り上げたくなった。

靴の中が水浸しで気持ちが悪い。嗚呼、どうしてこんな目に?そもそも何故こいつと、帰りが重なったりするのだろうか。


「なぁ、家に来いったら、君!そのままだと、絶対に風邪をひくって。全く、どうしてそんなに嫌がるんだ?」


ざあざあいう雨音が、しつこく喚くあの声を、きれいに掻き消してくれればいいのに。
そう、頭上の雲を睨み付けてみても、中途半端な量の雨粒を降らすだけで、余計に不愉快な気分になった。(‥くそっ)


―降るなんて聞いていない。
傘を忘れたくらいでこんな災難に遭うなんて、もっと聞いていない。

何だかんだできっと数分後にはこいつの家の中にいるだろうなんて事は、寒さの所為に違いないのだ。絶対に、そうだ。


「なぁったら!」



何にもしないから、なんて仕舞いには言い出したその頭を、そこの水溜まりに突っ込んでやろうかと思った。







了.
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小学生みたいな二人になりました。←
学校(というか制服)が違うのが好みです。季節は春〜夏の設定ということで‥



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