メトロノーム
(小ネズミ、14歳あたり)
かつん、かつん。と。
床の上に置いた、古い、薇式のそれの。
左右に振れる長い針を眺めながら、ネズミはふありと欠伸をこぼす。
彼はいま、真昼の劇場の隅でだらしなく寝転んでいた。
規則正しく揺れるそれを、何とは無しに、じいっと見つめながら。
「イヴ、さぼるな。歌はお前の、重要な仕事なんだぞ。練習もその一環だ。」
「分かってるよ、支配人」
今夜の上演の準備をする(といっても、大した装飾も出来ないので基本的には清掃だ。)団員達に指示を出す最中、怠ける姿に気付いた支配人が、呆れ顔でネズミを叱る。
それに適当に返事をして、ネズミはやはり、目の前のメトロノームと見つめ合うのであった。
かつん、かつん。
実に利口に、寸分のずれもなく、一定の間隔で揺れるそれ。
細い身を懸命に揺らして、どうにか狂わんと。違わんと、必死に耐えているようにも、それは見えた。
実に単調で、つまらなくて。眺めていて何も面白くはないのだが、何か、見ていて引っ掛かるものがあるのだ。
ネズミは、はて、と首を傾げる。
何だったろう。前にこれとよく似たものを、見たような気がするの。
「‥‥」
しかし、いくら考えても解りそうにない。
その内段々、見ているのも飽きてきたので。
ネズミは諦めて、ふんと鼻で息を吐き。
そうして、憂さ晴らしに銀色の針を止めてやろうと、その指を伸ばした。
―その時だ。
『手当てしてやるよ』
ふっと。懐かしい声が、脳裏を掠めていったのだ。
何故、突然思い出したのか驚いたけれど。ああ、と。ネズミはすぐに理解する。
『ここが理想的な都市だなんて、思ってない』
似ていると思ったのは、そうだ。他でも無い、あの変わり者のことであった。
倣えと押し付けられた世界で、利口にそれに従いながらも。
いつ軌道が狂ってもおかしくないような、そんな危うさを秘めた、あの子供。
ふうん、と。
ネズミは、改めて目の前のそれをまじまじと見つめる。
まだ、狂わないその針。
(‥憎たらしいな、本当。)
良い子ぶっちゃって。なんて、そんな事を、ちらりと思う。
なあ、あんた、つまらなくはないの。
退屈しているんだろう?
だったら、そんな無理矢理お利口になんかしていないで、好きなようにしたらいいのに。
まあ、そんな事をしたら、あんたは間違いなく、碌な目に合わないだろうけど。
「‥‥」
左右対称に振れる銀色相手に、一人そんな事を思って。
一体自分は何をやっているのだか、と。ネズミは少し頭を抱えたくなった。何を言っているのだか。
第一、仮に彼が、やがて本当に軌道を逸れたとして。あの白い殻の中から、うっかり弾き出されてしまったとしたら。
それはきっと、決して喜ばしい事ではないと。自分が一番理解している。
―しかし。
しかし、と。
ネズミは、振れる針を見て思うのだ。
どうにも、素知らぬふりでそう、平然と揺られていると。
なんだか、小憎らしくなってくるではないか。
不満なくせに、平気な顔で身を委ねたりして。ああ、本当、見ている此方が、つまらない。
「‥‥」
二度目の空白。
ようやく我に返る。やれやれ、一体どうしたわけで、今日はあのおぼっちゃんの事ばかりなのだろう。
(‥堪ったもんじゃないな。)
くす、と。苦笑にも近い笑みを、小さく浮かべて。
ネズミは再度、白く細い指を揺れるメトロノームへと伸ばす。
そうして、わざと。
懸命に刻まれ続けるその一定のリズムを、阻むかのように。
―ぱちん、と。
爪の先で、銀色を弾いてみせるのだった。
「‥来てしまえばいいのに、あんたなんか。」
了.
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八割増しで会いたがって貰いました。やり過ぎた。
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