かもしれない
花散らしの雨が降り、濡れた地面には無数の花びらが落ちていて、これもまた綺麗だと思った。
来年も皆でお花見を、と考えていた矢先のことだった。
「そういえば、土方さんがお見合いするんだってね」
「え?」
朝食の準備中、女中のボスである芳江さんがふと思い出したかのように言った。
唐突すぎて思わず卵を焼いていた手が止まる。
「ちょっとちょっと、名前ちゃん!卵!」
「わわっ」
得意なはずの卵焼きは少しだけ失敗してしまった。
あとで自分で食べようと別の皿へ避けておく。詳しい話を聞こうとするも、芳江さんも詳細は知らないらしく、廊下で偶然会った山崎さんに聞いてみた。
長官であるパパの紹介だそうだ。
世間体を気にしてか時々縁談を持ちかけて来るらしく、前にも近藤さんがどっかの星のゴリラの王女と結婚直前まで行ったとか。バナナ入刀まで見せられそうになったと嘆いていた。
「このままだと副長が政略結婚させられてしまう……。名前さんならとっつぁんと仲が良いし、何とか言ってやってくれないかな」
「けど、土方さんが嫌なら自分で断るでしょう?」
「それが相手がお偉いさんの一人娘らしくて……とっつぁんの顔を立ててやらねえとって話を飲むつもりなんです」
廊下の隅で山崎さんとヒソヒソと話す。
お相手がかなりの面食いらしい。土方さん、二枚目だからなあ。
「オイ、山崎。なにこんな所で油売ってんだ」
神出鬼没。眉をひそめ険しい顔をした噂の彼が現れ、今日は一段と機嫌が悪そうに見えた。
「ふ、副長……」
山崎さんは血の気が引いたように顔を引き攣らせながら、さっきの事は内密に、と言わんばかりに人差し指を立てて小走りで行ってしまった。土方さんは気まずそうな顔をする。
「もしかして見合いのこと聞いたのか」
「あー……はい、パパの紹介なんですよね」
「ああ、近藤さんには惚れた女が居るし、総悟はまだ若いからとこっちに流れて来たみてェだ」
あまり言いふらすんじゃねえぞ、と彼は面倒臭そうに去っていった。
もし土方さんが結婚したら屯所から離れて暮らすのだろうか。
タバコの煙で咳き込むことも、大量のマヨネーズの買い出しも、縁側で酒を飲むことも、全部無くなってしまうのだろうか。
胸の辺りがざわざわしてきて、その日は一日中彼のことで頭がいっぱいで味噌汁を沸騰させるわ、砂糖と塩を間違えるわで散々だった。女中クビになりそう。
「名前さんもそろそろ素直になった方がいいんじゃない?」
「……どういう意味ですか、山崎さん」
「いい加減、鈍感なフリはやめましょうよ」
食べ終わって食器を返しに来た山崎さんに指摘された。
人生、鈍感なフリをした方が上手くいくこともあるのだ。しかし今回はそうもいかないようだった。
***
「よう、隣いいか」
夜の縁側、いつもの様に一人で酒を飲んでいた。
土方さんが少し距離を開けて隣に腰を下ろすと、風呂上がりなのか石鹸の匂いがふわっと鼻をかすめた。
珍しくグラスに注いだ酒を持参していて、彼はそれを一気に流し込むと夜空を見上げる。今日は雲がかかっていてほぼ何も見えない。
「……もう、こんな風に土方さんとお酒を飲むこともなくなるんですかね」
「…………」
聞いてはいるだろうけど彼は無言だった。
私も夜空を仰ぎ見て、独り言を続ける。
「私ね、タバコのにおい、最初は嫌だったんです。けど今では土方さんのにおいなんだって安心するんです」
「……」
「それに、初めは怖い顔の人だなと思ってたんです。他人にも自分にも厳しいし、無愛想で意地っ張りでV字前髪でマヨラーだけど根はすごく優しいですよね」
「……おい、V字前髪でマヨラーってのは余計だろ」
「本当の事じゃないですか」
「……」
「結婚したら相手の方にタバコもマヨも辞めろって言われてしまうかもしれないですよ」
そうだな、と彼は苦笑した。
私のグラスも空になってしまったけれど、もう少し話していたいなと思った。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、「少し冷えるな、部屋に戻るか」と立ち上がろうとする土方さんの裾を、思わず引っ張った。
「……私、土方さんにはお見合いして欲しくないです」
酒の勢いで言ってしまったが、彼は驚いたかのように少し目を見開いた。
「土方さん、私が入院した時にもっと自分を大事にしろって言いましたよね」
「ああ」
「私、自分の気持ちも大事にしたい。だからこの際言います……あなたのことが好き、かもしれないです」
土方さんが咥えていたタバコは、彼の唇からポロッと落ちてしまい、縁側を少し焦がした。
「……な、なんだよ、かもしれないって」
「お見合いの話を聞いてから土方さんが他の女の人と、って考えるとむしゃくしゃして。これって好きってことですよね?」
「俺に聞くんじゃねえ!…………しかし悪ィけどお前の気持ちには応えられない」
あっさりと振られてしまったけれど、応えられないと言いながらも耳まで真っ赤にしている。
そんな顔、反則ですよ。
もしかしたらまだ少しは可能性があるのではと自惚れてしまう。
「なら、せめてお見合いの日までは、私の気持ちを土方コノヤローにぶつけて発散してもいいですか?」
「お前、馬鹿にしてんのか」
「まさか」
好き"かも"しれない、まだ確信は持てないけれど芽生えたこの感情を大切にしたい。
「では、おやすみなさい。また明日」
くすんだ雲の隙間から微かに星が見えた。
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