薔薇色と人生 1



※またトゥルー数年後






同棲していた彼女が出ていった、とギャリーが電話口で告げたとき、率直に言って、イヴは思わず膝の上のクッションを抱きしめた。が、それはまったくもって声には現れなかったので、彼は「相変わらず反応薄い子ねえ」とため息をついた。

だからこれから色々買い物にいかなきゃいけないの、彼女の私物も多いから。
そんな言葉が続いたので、イヴも一緒に見に行くことになった。元彼女の私物は、ギャリーには合わないものが多いと感じていた。一番似合わないのは元彼女自身だったとは、言わないし言うつもりもない。


大型家具やファブリックをまとめて販売しているストアを歩く二人は、きっと恋人どうしに見えるだろう。
同棲相手か、はたまた新居のいろいろを選ぶ婚約者たちか。兄妹と言うには似ていないし、男女で家具を選ぶなんてそれ以外の関係ではありえない。

背の高いギャリーと、やはり女性としては高めの身長に育ったイヴは、回りの目をひきつけながら新しいベッドカバーを選んでいる。
「…結婚するかもって言ってたのに、どうして?うまくいってたみたいじゃない」
「ええ。こんな言葉でこんな趣味のアタシのこと、受け入れてくれる超レアな女の子だったんだけど」
超レアではない。現に目の前にいる。
「結局… なんか、ほんとのアタシのことは、好きになれなかったみたい」
「ほんとのギャリー…」
ならば偽物もいるのかといえば、たぶんいないはずだが。イヴにはなんとなくわかった。

彼は非常に女性的な感性を持ってはいるが、性癖としてはストレートである。
そちらにもいくらかもてるらしいが、「いっそそっちもいければ楽だったのかもしれないけどねえ。男相手とか想像すら拒否しちゃう」という、わりと普通の男性である。
そしてとても人の目をひく容姿をしている。柔らかな言葉遣いや所作とは真逆に、非常に男らしくシャープな線で構成された顔と体で、一言で言うとイケメンである。それも、女性的な美貌を含まない、実に雄的な、雌の本能を刺激するイケメンだ。
出会った頃もたいしたものだったが、三十を過ぎたあたりからさらにそのフェロモンとしか呼びようがないなにかは若木のようなところをひそめ、さらに円熟味を増している。
だから彼の女性的なところは「差し引いてもおつりがくる」、つまり、見なかったことにしてもいい、要するに欠点として扱われることが多い。おかしなことに欠点がある方が近づかれやすいので、結果としてはもてまくるわけだが。

歴代の彼女は誰も彼も、あるときは遠まわしに、あるときは直接的に言葉遣いや仕草の矯正を要求してきたという。
「そこさえなければギャリーは完璧だから」と。
なんて馬鹿な人たちだろう、とイヴは思っている。

「今回は何がきっかけだったの? カップ持つときに小指を立てるくせを何度言っても直さないから?お菓子食べてるときに女子力高すぎる反応だから?」
「……厳重に隠蔽していたとあるものを発見されて」
「えっちな本?」
「…………イヴ、引かない?」
ちら、と上目遣いをしてくる彼に心臓を撃ち抜かれるのを感じながら(しかしやはり無表情)、イヴは頷いた。
ギャリーは展示品のベッドに腰掛け、一言。

「ベビードール」

低く小さくささやいた言葉。
単語が単語なら、どんな女性も一発で陥落していたであろう響きで発せられたそれを脳が処理するのに一瞬遅れた。
ひどく性的に感じてしまう声のせいだったかもしれないが、ベビードールについての検索に時間を要したこともある。

ランジェリーだ。
すけすけでひらひら、超ミニのキャミソールのような形であることが多い、お花のようなナイトウェア。イヴ自身は着たことはないが、かわいいなあとは思っている。男のための薄いカーテン、のような印象がある。めくらせてやるためのもの。

「…ギャリー、そういうの好きなの?」
彼はこくりと頷いた。が、イヴは納得できない。
恋人にベビードールを着てほしいと言われて悪い気がする女性はそうそういない気がする。まれにえらく下品な形のものもあったりはするが(イヴにだって猥談をする女友達くらいはいる)、それだって同棲を解消して出ていくほどのものは存在するのだろうか?
彼氏が自分で着たがるというなら話は別だが。

…話は、別、だが。

「…………ギャリー」
「ほら引いてる」
「引いては、いない…けど、まさかと思ってる」
「わかってるのよ!似合わないのはわかってる!でも!いいじゃない家の中でくらい!
外にいるときはこうして男物着てるんだから!かわいいワンピースでお出かけしたい気持ちを抑えてるんだからそのくらいいいじゃない!いいじゃない!」
「うーん……ちょっと待ってね」
展示品のベッドに並んで座る二人をちらちらと見ていく客はいたが、イヴは、じいっとギャリーを見つめた。
「その、ベビードールって何色?」
「そうね、一番気に入ってるのはピンクよ。ガーターベルトもセットなの」
「一枚じゃないんだね…」
見つめて、長年彼を観察してきた能力を駆使して、組み上げてみる。うすい桃色のベビードールを着用したギャリーを。
容姿にもいくらか女性的なところがあれば話は違っただろうが、彼はとにかく顔も体も男っぽい。

「……うん」
「な、なに?イヴ…なに考えてたの?」
「大丈夫。いけるよギャリー」
「なにが」
「ベビードール。似合うかどうかといえば全力で似合わないけど、ぐっと来る。その徹底した似あわなさがぐっと来る。無理やりじゃなくて自主的に着てるところもポイント高い。全裸よりえろいかも」
「あんた脳内アイコラしてたの!?えっち!イヴのえっち!」
両腕で乙女のように胸を隠す仕草をしたギャリーは、「じゃあアタシだってイヴがベビードール着てるとこ想像しちゃ」と言いかけてなぜかベッドに倒れこんだ。
シーツに顔をうずめてぷるぷると震えている。
「…あー… なにこれやばい… やっぱあれって女の子のためのものなのね… そして男のためのものなのね… 知ってたけど知らなかった… しずまれ…しずまるのよアタシ…」
長いつきあいのなかでギャリーがこの状態になるのは頻繁ではないが珍しくはないので、イヴは触れない。なにを考えてどうなっているのか、いくら訊いても教えてくれないからスルーする、という習性がすっかり身に付いている。

「はやく彼女さんのこと忘れられるといいね」
うつ伏せたままの彼の頭を撫でてやる。口ではそんなことを言っているが、本当はもう忘れているのだろうと確信している。
受け入れてくれたから好きになっただけだ。だからこうして、すぐに家具なんて探しにきている。愛しているならもっと足掻くだろう。彼女が出ていったとたん、彼は彼女に興味を無くした。

悲しんでいるのだって、受け入れられたと感じていたものが幻想だったから彼自身を哀れんでいるだけ。ギャリーはいつもそうだった。だからイヴは、彼が恋人を作ったり別れたりするたびに泣くのをやめた。

「ギャリーのことぜんぶ受け止めてくれる人に出会えるといいね」
イヴの手のひらの下から、彼は見上げた。
「……別に、そんな人、探してないわよ」
拗ねたような口調がかわいいと思う。子供のころからかわいい人だと感じることは多かったが、当時のかわいいとはだいぶ意味合いが変わっている。

「アタシは… アタシが愛せる人がほしい」
またシーツに顔を突っ込んでしまったので、その言葉はイヴには聞き取れなかった。
だから彼女は、頭を撫でてやりながら、このシーツの、澄んでいるのに鮮やかすぎず穏やかな青は彼にとても似合うから、買って帰ってくれるといいなと考えていた。




初恋は9才だった。
ませがちな女の子としては、たぶん遅くにやってきたそれは、柔らかな茨となって彼女を絡めとった。時折流す血でさえも恋の実感というよろこびに変えるほど。

大きくなれば恋人になれると信じた。9才と真剣に付き合う大人は少ないし、犯罪者であることをイヴは幼いながらもきちんと認識していたし、母のように成長したならば彼はこの手をとってくれるはずだと無条件に信じていた。
だが少しずつ体が大人になっていくにつれ、心と視野も広くなるにつれ、問題はそこには無かったのだと気づき始めた。
たとえば9才の少女に成人男性が交際を申し込んだことが発覚したならそれは大問題である。だが、9才の少女に9才の少年が同じことをすれば、それは微笑ましい恋として周囲は捉えるだろう。
たとえば16才の娘に18才の青年が交際を申し込む。これも爽やかな恋として捉えられるだろうが、16才の娘に三十路過ぎの男が同じことをすれば、やはり回りは、問題としてとりあげはせずとも倫理に背いた行為をしていると見るだろう。

問題は、年齢差にあった。
10以上離れた相手との交際とは、結局は対等ではありえない。友人でならそうなれるのかもしれないが、交際ともなれば年長者の側に支配という要素を周囲は見出すであろうし、そしてギャリーはそんな関係をおそらく望まない人物だった。
つまり、何年経っても相手にされない。年が離れすぎていて釣り合いがとれないから。
出会ったころのギャリーの彼女の年齢に届いても、そのときには彼の性的な興味の対象となる女性は、イヴよりも5才10才年上なのだ。
イヴが恋した彼の誠実さこそが、彼女の恋の最大の障壁だった。




いつものように自宅の門扉まで送ってもらう。
たくさん買物をして、彼の家に持ち込んで、それからお茶をご馳走になって、まるでデートのような一日だった。
「今日はありがとね、イヴ」
「わたしも楽しかったよ。またね、ギャリー」
そうして、互いの頬に交代でキスをする。ずっと続いている「おともだち」のキスだ。
煙草とコロンの匂いが香るこのゼロ距離は、今は別れ際だけのもの。

振り返らずにずっと歩いていく彼を、曲がり角に消えるまで見送る。
(…しばらくは、わたしだけのギャリー)
けれどそう日もおかずに新しい恋人がむこうからやってくるのだろう。出会ってから何度こんな切れ目に遭遇したことか。いいかげん、次こそはわたしがという期待も消えた。踊り場のようなこの時期をただ味わうだけだ。




夕食の時間に、父親が「今日もギャリーくんとお出かけだったんだね」と魚のソテーを切り分けながら水をむけてきた。
「うん。恋人と別れたから家具とか買いなおさないといけないんだって」
「そうかい。彼も大変だね」

おさないころからギャリーとばかり出かけているイヴだが、父親は特に警戒も期待もしていない。完全にイヴの友人として認識している。なぜならば。

「ゲイというのはただでさえ恋人をみつけるのが難しそうなのにね。彼は情も深そうだし、傷ついているだろうね」
ギャリーをゲイだと思っているからである。
これもまた、イヴの恋とおなじくらいの歴史を持っている。

ギャリーと頻繁に遊んでいたちいさなイヴに、少し控えなさい、イヴは女の子なんだから。彼は、男の人だろう?と父親が諭したときのこと。
「でもギャリーって女の子みたいだから、だいじょうぶ」
と、幼い彼女は言葉どおりの意味で、言葉を投げた。しぐさや趣味のかわいらしさを当時のイヴも好ましく思っていたし、父親の心配は「男は乱暴だから」という意味合いだろうととらえたのだ。イヴは級友に少なからずいじめられており(好きな女の子をいじめる的なあれで)、でもギャリーは心配ないよ!というつもりで言ったのだ。

だが父親は他の意味でそれをとらえた。仕事で多くの人と触れ合う彼は、そういう性癖の人間との接点も多少なりともあったし、妻帯者だというのに狙われたことすらあった。
そして彼の言動を思い出し、一方的に納得した。

数年後に何かの会話をきっかけにして、イヴは父親がギャリーをゲイだと思っていたことを知るのだが、訂正するより利用したほうが面倒が減ってよさそうだと考えた。
なのでその勘違いを積極的に助長し、今に至る。
おかげでいっしょにでかけても帰りが遅くなっても泊まっても(これはギャリーが恋人と同棲をはじめるようになってからさすがに行けなくなったが)、たいして心配されずに済んでいる。

「しかしイヴももう年頃だ。お友達と遊ぶのが楽しいのはわかるけれど、そろそろ異性とのお付き合いを考えてもいいのじゃないのかな」

便利な嘘だと思っていた。

「それでだね、お父さんの取引先の息子さんに、イヴに是非会わせたい青年がいるんだ。一度お話してみないかい?」
この瞬間までは。




イヴは電話が好きだ。とはいえ、相手はギャリー限定だが。
今はもういっしょにいられなくなった月の出る頃に話ができるし、昼に顔を合わせるのとはまた違った親密さを感じることだってできた。
電話線越しの声はいつもより少しだけ低くて、それが耳元でほかのだれでもなくただ一人、イヴにだけむけられるのだ。

「ごめんギャリー、土曜日はお父さんの知り合いの関係の予定入っちゃって。日曜は? …そっか。じゃあ今週は会えないね。その喫茶店、行きたかったなあ」
あからさまな見合いではなかったが、婚約を期待されている青年と会うのだとは言わなかった。隠したわけではないが、言うべきことでもないと自然に思ったのだ。
この恋をあきらめている。だから、イヴが会う青年は、ギャリーには何の関係もないこと。
『水曜はどうかしら?アタシの仕事が一区切りついてるはずだから、夜はバーになってるけど行かない?』
珍しく食い下がるのは恋人が出ていった直後だからだろう。つい数日前まで二人で暮らしていた部屋にひとりきり。踏み込ませないくせに寂しがり屋。
「ううん…木曜に仕上げないといけないものがあって…うーーん、でも、行くよ」
『あら、それは… …それはだめよ。やっぱり来週ね』
「…うん」

イヴが幼いころは、ギャリーが何かと都合をつけてくれたので頻繁に会うこともできた。けれどイヴが成長すれば彼女にも都合をつけなければならないことが増えて、互いの予定をつきあわせようとすれば長く会えない時期も多かった。彼に恋人がいる時期は遠慮もしたし、だから、今のうちにたくさん一緒に過ごしたかった。
(でもやっぱり会いたくない)
それもいくらかの本音だ。結局彼は、すぐに新しい女性に言い寄られて、上辺ばかりの恋にはしゃいでイヴにのろけるようになる。
星を追いかけて走り続けるのに少しだけ疲れた。足をゆるめたところにちょうどやってきた船にほんの少しだけ乗ってみるのもいいかもしれない、そう思ってしまったのだ。




青年は、父親がすすめてくるだけある逸材だった。
彼女の父親の取引先の社長子息であり、大学卒業後は家業を継ぐべく今も学業のかたわら事業を手伝っているという。
嫌みのない、持って生まれた気品と物静かな所作、正統派王子様とでも言うべき精悍で華のある顔立ち、高級テーラードのトルソーのように理想的なスタイル。
ギャリーよりもいくらか身長は低いが、イヴと並んだときのバランスはむしろちょうどよかった。

(確かに、この人とわたしは収まりがいいんだろうな)
イヴもクラシカルな美人と言われることが多い。「ベルベットのドレスとかばっちり着こなせそうなのにジーンズ死ぬほど似合わなさそう」とは、いつか友人にされた評価だ。
「両親は、僕らが婚約することを期待しているようですが… まずはそういうことをいったん忘れて、友人としてお互いを知っていきませんか?」
しっくりくる男性なのだろうと理屈で納得する。何十年も生活を共にするのならたぶんぴったりの人だろう。
超一級物件に対して、どこか妥協したような平坦な感想しか出てこないのは、成就をあきらめているとはいえ燃え尽きてはいない恋をしているからだ。

高級住宅地の中に作られたこの巨大な庭園は、彼の父親が所有しているものだという。いずれは彼のものになるということだ。
夏の名残の薔薇が揺れていた。

「ええ、そうしていただけるとわたしもうれしく思います」
若い二人らしからぬ、穏やかなやりとりだった。人と接する温度がひどく似通っているのだとイヴは気づいた。おそらく彼も、イヴが同じ種類のなにかであることには気づいているだろう。
「きっとわたしたちは、いいお友達になれるでしょう」
「ええ。…その先は、どうなるでしょうね」
「どうなるでしょうね」
その先も、たぶん、おそらく、いいおともだちだ。そしてそのまま結婚するだろう。




青年とのデートは数を重ねていった。
薔薇の咲く庭園をはじめに、博物館、国立図書館、ピクニック、互いの屋敷。
美術館だけはそっと拒否しながらも、青年と過ごすのが苦になっていない自分にイヴは気づいた。
とにかく穏やかなのだ。感覚がよく似ていて、心音を乱されることがない。安心と言っていいのかもわからないが、彼に恋をしていないのは確実だが、これほどに過ごしやすい異性を持つことができるとは考えもしなかった。ギャリーといるときにだって感じたことのない、完璧に近い安定。

「うまくいってるようだね、イヴ」
はしゃいだ様子の父親に、イヴはどう答えるか迷った。うまくいっているのだろうか。
「彼と出会ったときに、この青年ならばイヴとぴったりだと思ったんだ。いや、今はお友達なんだったね、少し気が急いてしまったかな。…でも、この前うちに来たときも思ったけれど、なんだかもう夫婦みたいだったじゃないか」
あなた、と母親が父親をいさめる。父親はうれしさを隠せないといったようすの照れ笑いをしているので、イヴも笑みを返すと静かにリビングを離れた。



「イヴ」
そっと追ってきた母親に振り返る。
「お父さん、悪気はないのよ。あなたに幸せになってほしくて、その相手を自分で見つけてこられたと思って、ちょっと浮かれてるのよ」
「うん。わかってる」
「彼、お母さんもこのまえ見たけど、確かに結婚相手としてすばらしいとおもう。見た目や家柄っていうだけじゃなくて、イヴとぴったりだって言うお父さんの言葉も、ちょっとわかる」
「そうだね」
「でもいいの?」
「なにが?」
「ギャリーさん」
ぎくり、と心臓が跳ねた。埋めたはずの罪を掘り起こされた目で、イヴは母を見た。母は断罪でなく、慈しむ目で娘を見返した。

「ちゃんと、言ったの?」
「…言うってなに、おかあさん」
「消してしまいたいと思うようなことだって、きちんと終わらせてあげればいずれ笑い話になるのよ。ずっと終わらせたくないなら、それでもいいけれど」「やだ、なんの話してるの、おかあさん」
血が流れていることにも気づいていないような顔の娘に微笑んだ母は、「あなたの留守中にギャリーさんから電話があったわ」と続けた。
「土曜日に、お出かけしたいんですって」
「どようび…どようびは」
「そうね、あちらのお父様もまじえた食事会だわ。おかあさん知ってた。だから「もちろんイヴは行きます」ってギャリーさんに伝えたわ」
血の気が引く、という形容詞をイヴは自身の体で実感した。心臓が冷たくなったような気さえする。流す血がなくなったのかもしれない。
「どちらかにきちんとお断りしてね。理由もちゃんと話すのよ」



イヴがギャリーと出会ったばかりの頃だ。
いつも笑いあって幸せなデートを楽しんでいた。微笑みあう二人は、幸福を知るものが見れば互いを優しくいとおしく思いあっていることを一目で知れた。
それでも彼と彼女はあまりに不釣り合いで、心ない人が憂さ晴らしで作った正義のナイフを彼に向けることもままあった。彼だけでなく、大人にたやすく騙される馬鹿なこどもとして、その刃がイヴにむかうことすらあった。

「ごめんねギャリー…わたし、でもいっしょにいたいよ」
少女は涙に濡れた。自分はどうだっていい、けれど彼が少女のせいで傷つけられるのは嫌で、だからといって離れてあげるのも絶対に嫌だった。
遠くへ行ってしまうくらいならわたしの為に刺され続けてほしいという傲慢な願い。
「うん… かわいいイヴのためだもの。アタシがんばる」
青年はイヴの頭を撫でた。離れないわ、という意思表示。

そうして彼はお気に入りのコートをはじめとしたくたびれた風合いのファッションを全部クローゼットの奥に押し込んだ。
アイロンがきちんとかけられたシャツ、折り目のはっきりした仕立てのよいスラックス、ぴかぴかに磨かれた革靴、既製品ではちょっと見あたらない体格にあつらえて作られたオーダーメイドのジャケット、そんなような服でイヴの前に現れるようになった。

もともとが野生味のある容貌ではあったが、そういったインテリめいたファッションも異常に似合った。初めて見たときにイヴは大興奮したし異性として彼を強く意識させられたきっかけでもあった。
彼が身なりを整えただけで、向けられる悪意はそのほとんどが消滅した。これで青年とちいさな少女はそれからもずっと、たくさんお出かけできるようになりました。めでたしめでたし。

(それってほんとにハッピーエンド?)
美しい女性へと羽化した少女は問いかける。

あのときギャリーは、新しい服の効果を思い知ったその日のうちに手持ちの服を全部ゴミに出してしまおうとした。イヴはそれを止めた。
「だってこのコートも、このシャツも!ぜんぶ大事で大好きだったんでしょ?」
「まあねえ、でも」
「『アタシお金ないしクローゼットも狭いから手持ちの服は全部いちばんのお気に入りなのよ、そういうものしか持たないの』って言ってたのに!」
「お金のくだりは言わなくてもよかったわね、でもねイヴ」
「それにとっても似合ってるのに!」
とうとう泣き出してしまったちいさな親友を、ギャリーはやわらかく抱きしめた。いつかのコートのように。
「ありがとう、イヴ。優しいのね。でも、ほんとにいいの」
「…だけど、ギャリー……」
「あなたと一緒にいられないなら、こんな服、ほんとうにどうだっていいの。この部屋のものを集めたぜんぶより、ずっとずっとあなたが好きよ」
その言葉はうれしかった。そして同じくらいに悲しかった。

恋を自覚する前に、ベビードールごときで騒いだ女たちと同じことをしていた。ゴミ袋のなかからこっそり持ち出したコートにくるまって、その夜は泣いた。
ごめんなさい、ありがとう、だいすき。ごめんね、だけど、でも、遠くへいかないで。

(二度とあんなことさせない。ギャリーの好きなものを、わたしのために捨てさせたりはしない)
だから恋人を作った彼を笑顔で祝福した。泣きわめけばきっと彼は捨ててくれると思ったが、もちろん、そんなことは一度もしなかった。恋の茨がどれだけ血を流そうと。






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似合うと似合わないの話


2012/06/20
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