いつか永遠に届くまで/前






おかしいわ。なんでこんなことになっているの。
白いタキシードの上下にタイを結びなおし、ギャリーは思った。
鏡の中には、同年代に比べれば若々しく、それでいて年相応の落ち着きも持った中年と青年の間の彼の顔。
なでつけたすみれ色の髪は、白いスーツによく映えた。
おとぎ話のようによくできた姿に、式場の係員たちも思わずほうとため息をついていたのだが、彼は、どうしてこうなってしまったんだと未だ納得しきれずにいる。


ギャリーはペドフィリアである。ロリータコンプレックスより根の深い病である。
少女的な要素を愛するロリコンと違い、ペドフィリアは、生物的に「女」にすらなっていないような幼女を性愛の対象とする、生まれながらの犯罪者である。
思春期を迎える頃には、彼は自分の性癖をすっかり自覚したうえで分析、対策までできるようになっていた。
いちばんどストライクなのは、8才。9才もまあギリギリいける。10才ともなるともうだめだ。
幸いにして、その手のメディアにはあふれてしまっている現代社会、実在の8才に手出しはせずとも自家発電の燃料には事欠かなかった。
当時のギャリーの年齢の男子は自家発電がメインであったし、ほんものの幼女をとらえてどうこうするつもりは彼には無かった。
というのも、犯罪に踏み出す勇気と周到さを持ち合わせていなかったからではない。
理想が高かったのだ。
幼女でなきゃむり。でも幼女って写真ではいいけど現物はなんかうるさいし、しつけられてない獣みたいだし、そういう行為とかむり。
……彼が中年男性だったなら、いくらでもそういったけものじみた幼女を言いくるめておとなしくさせることもできたかもしれない。だが、彼は若かった。そして繰り返すが、理想が高かった。
そんなこんなの思春期に続いて成長期がやってきた。成長期は彼をすっかり痩身美形の青年にしてしまった。彼自身はこの外見はあまり気に入らなかった。高い身長も目を引く容姿も、自分がいずれ出会う運命の幼女を警戒させてしまうに違いない。そのうえこの姿は、彼が嫌う10才以上の女性にそれはそれはよくもてた。
一計を案じた彼の策は「オネエ言葉の採用」である。
これにより彼は、10才以上の女性から「お友達」の大分類に振り分けられることに成功した。
通りすがりの幼女に怖がられることも減った。
友人になってしまえば10才以上の女性も悪くない人物が少なくなかったので、彼はオネエ言葉で女友達とつるみながら、運命の幼女を待った。純潔を守りながら。



「……あの……この、青い薔薇…… あなたの…?」
はたして天使は訪れた。
ちょっとしたびっくりハウスで出会った天使、彼女の名はイヴ。
諸事情で行きだおれていた彼に、天使は青い薔薇、奇跡の意味を持つそれをしゃがんで差し出してきた。
その気遣わしげな、幼くも憂いを帯びた表情、赤い瞳と青い薔薇のコントラスト、しゃがんでたので丸見えだったパンツ、すべて昨日のことのように思い出せる。
珈琲色の髪にガーネットの瞳、すべらかなはなびらのような肌、紅もさしていないのに赤く色づき輝く唇。なにより、鋭い知性と気品を彼女は持っていた。
天使光臨。全身を駆け抜けた衝撃はそれだった。
聞けば9才だという。ギャリーのストライクゾーンより一年おくれていたが、まだ大丈夫だ。あと1年…いや、彼女ほどの逸材ならば2年は保つ、保たせてみせる。
自分の純潔は、彼女に捧げよう。やたらペロペロと舌をせわしなくなめ回す、ゲルテナが何を思って描いたかまったくわからない(たぶん病んでた)絵画の前で彼は誓った。


はじめてキスをした日のことは忘れられない。
あれは出会って数日目か、数時間か、あるいは数秒のことだ。
正確には計れないのだからしかたない。彼女と出会ったびっくりハウスは時間の流れがめちゃくちゃで、実際のところ過ごした時間が二時間だか二週間だったのかまったく知覚できないところだったのだ。
休憩中の「禁煙中って口寂しくて困るのよ」なんて雑談がきっかけだった。
「でも、たばこはからだによくないって、おとうさんもいってたよ。
わたし、ギャリーにげんきでいてほしいから、たばこやめてほしいな」
一生懸命な彼女の舌足らずなかんじは、おそらくあまり発言そのものをしないからだろう。
舌を使いなれていないのだろう。その舌はどんな感触だろう。
「……うーん。でもぉ、すんごいつらいのよ?なにか口にしてないとがまんできないわ」
「だからキャンディなの?キャンディあると、がまんできる?
だったらわたし、ここからでたらおとうさんにキャンディいっぱいかってもらう!ギャリーにとどけてあげる!」
「それも、いいんだけど。もっと効果あるものがあるのよねえ」
「な、なに?なになに?」
にこり、微笑んだ顔がどうなっていたのか自分ではわからない。善人のそれになっていればいいと願っているがおそらく違っただろう。
すい、と顔を寄せれば、イヴはおどろいて目をみはる。きっと家族以外の人間に、こんな、吐息が触れるような距離に近づかれたのは初めてだろう。実はギャリーも初めてなのだが。
じ、と見つめれば、赤い瞳は揺れているが、怖がる様子もいやがる気配もない。頬にそっと手を添えて、食むように唇を触れ合わせた。離れるときに唇で唇を軽く挟むと、ちゅう、とかわいらしい音がした。
「……ごちそうさま。これでもうさみしくないわ」
名残惜しいが、すべすべふにふにの頬からもそっと手を離す。
天国の果実のような感触だった。肌も、唇も。
幼女最高。やっぱり幼女。生涯幼女。
胸中は大暴風雨でおはなばたけでサンバで夏コミだったが、表面的には落ち着いた声と表情でいられれたはずだ。
イヴはこちらをじいっと見上げると、唇に指の背で触れた。
「……いまので、もう、だいじょうぶなの?」
「ええ、もちろん」
「ギャリー、もう、たばこ吸いたくならない?」
「しばらくはね」
「しばらくたったらまた口寂しくなっちゃうの?」
「ええまあ、…まあ、そうね。
そのときはまた、イヴがさみしくないようにしてくれる?」
彼女はこくりとうなずいた。どこかきまじめな表情なのは、きっと使命感だろう。
ちいさな子供をだまくらかしている、という自覚は、罪悪感どころか背筋を背徳の快感にふるわせるだけだった。
(やっぱアタシって変態なのねえ…でもイヴ、ごめんね?あなたが天使だからいけないの。
10才までには初めてをいただくわ。それからバイバイしましょう)
そのときはそういう予定だったのだ。



びっくりハウスから出てもギャリーとイヴの交友は続く。
危うく彼女のことを忘れるところだったが、怪我したときに遠慮しながらも受け取ったハンカチのおかげでそれがまぬがれたのだ。
イヴ愛用のだいじなレースのハンカチ、火あぶりにされようと絶対に口にできない用途で使って使って使い倒す、もう布としては使えないというところになったら分解して糸にしてさらに使ったうえで密閉瓶に入れて一生保存するつもりで受け取ったハンカチのおかげだ。
オネエ言葉習得が一日そこらのものではなかったこともあり、イヴの両親には警戒らしい警戒はされなかった。
「子供好きなんです」という言葉も常識的な意味で受け取られたようだ。
イヴとはよく遊びにいったし、家に泊まることすらあった。
ちいさなイヴは、ギャリーが喫煙をほのめかすそぶりをすると、「だめ!」とギャリーをかがませて唇を合わせてきた。
それはカフェの奥まった席であったり、人目のない公園であったり、ギャリーの家のソファやベッドの上だったりした。
イヴはギャリーによくなついていて、「口寂しいから」という理由にもならない理由に疑問をもっている様子はなかった。
合わせるだけだった唇が角度を変えて深く重ねるようになるのに時間はかからなかったし、彼女が10才の誕生日をむかえるころには舌を噛み合ったり頬の内側をなぞったりするようになっていた。



そう、10才の誕生日。計画がおかしくなったのはあの頃からかもしれない。
「…………」
「ぎゃり?どうしたの?」
きょとん、とイヴがこちらを見上げている。
ギャリーのベッドの上、風呂上がりで、花のシャンプーで洗ってかわかしたばかりの髪からも肌からも花の香りがして、彼が「うちにおとまりするとき専用ね」と買い与えてやった、赤い薔薇のポイント刺繍が入ったやわらかな夜着につつまって、仰向けになって、ギャリーの両腕に檻のように閉じこめられたイヴが、きょとんとこちらを見上げている。
「…………」
彼は葛藤していた。10才。10才だ。自分的許容範囲のタイムリミットが今日だった。
ペドフィリアのプライドとして10才以上の子供になんて手を出すわけにはいかない。今日、今、この瞬間しかない。
ご両親はすっかり信頼しきって彼女を誕生日の夜に彼に預けることに同意したし、「口寂しいのをとめる方法」だってイヴは誰にも言っていない。おそらくだましきれる。いけるはずだ。だが。
「ギャリー…? くるしいの?」
しかしこのちいさな生き物は、なんだ。ほそい首、自分の腕よりも頼りない脚。抱きしめたら折れてしまいそう、なんていうのは陳腐な恋愛小説によくある言い回しだが、彼と彼女の体格差では比喩表現には収まらない。性行為なんてしたらポルノというかスプラッターになりそうな気がする。
それに、生理も来ていない子供に行為で快楽があるものだろうか?どうせなら「ああん、だめえ、イヴへんになっちゃうよぉ」とか言ってほしい。すごく言ってほしい。
たぶん、痛いだけだ。奇跡的に痛みがないようにできたとしても、彼女に残るのは違和感だけだ。
「ギャリー……?」
気遣わしげに彼女はちいさな手を延ばし、頬に触れた。女性ならばいくらか危機感を覚えてもいいはずのこの状況で、ただ彼を思いやっている。
「…………よし」
ばふ、と彼は彼女におおいかぶさった。もちろん体重を全部はかけないように細心の注意を払って。
「???? ねえ、ほんとに大丈夫?ギャリー?」
背中に回した手が、ぺちぺちと彼の背中をたたく。
「んー。だいじょぶだいじょぶ。いい子ねえイヴは。アタシの天使だわ」
「…もー。ごまかした?」
「いえいえ、ほんとのことよ。ねえ。イヴ。口寂しくなっちゃった」
枕に埋めた顔を傾けて微笑むと、にっこりと笑ったイヴがその唇に口づけた。
その夜は、彼女を抱き込んでそのまま眠った。
(だってやっぱり、悦さそうにしてるとこが見たいし。生理が来るまで待ちましょう。
ペドフィリアのプライドにはヒビが入るけど、大丈夫。だってイヴは天使だもの。
そこらのこどもが100人集まったって比べものにならない価値があるんだもの。
ちょっと自分ルールにはずれたって問題ないわ、むしろしかたないわ)
まあ、そういうことになった。


ちなみに彼女に生理が来たのは13才のときである。だがそれを知ったのはイヴが14才になってしばらくしてからだった。
当然といえば当然で、生理が来たなんてこと、いくらオネエ口調であるとはいえ家族でもない男性に言うわけがない。
「え、イヴ、あんた生理きてたの!?」
なにかのきっかけで「わたしも体は女性なんだから」としたり顔をしたイヴに思わずそんなことを言うと、真っ赤になった彼女にクッションを投げられた。
「そう…そうかあ…イヴに生理… 生理が来てたのねえ… 生理、か…」
「なんどもしみじみかみしめないでよ!」
投げるクッションが尽きたイヴがついにタックルしてきた。ぐえ、と思わず喉からカエルのような声が出た。
そういえば、以前はもっと腰あたりにまとわりついていたのにもうすぐ胸にも届きそうだ。
というか彼女の胸の控えめだが確かな膨らみが腹に当たっている。昔のタックルはこんなに重くなかった。成長している。つまり。
(……そろそろ、かしら……?)
思いもかけずに長いつきあいになってしまった。
本当は4年前に終えているつもりだったのだ。
けれど一番近くで天使になつかれてしまうともとから高かった理想はさらにうなぎのぼりにのぼるばかりで、大好きだった8才前後のこどもをみても動物園の動物でも見てるような気分にしかなれなくなっていた。イヴを待つことしかできなくなっていた。
けれどそろそろ、いいかげんにイヴと一線を越えてさっさともとのペドフィリアに戻るころなのだ。
「…ねえ、イヴ」
体に回された腕にそっと手を触れると、彼女は背伸びして唇を合わせてきた。
背伸びするだけでこんなことができるようになっていたなんて、気づいていたけれど知らなかった。
ずっと、こちらがしゃがんでやらなければいけなかったのに。
ちゅ、ちゅ、と、かわいいくせにいやらしい音をギャリーの部屋に響かせて、イヴは赤い瞳でこちらを見上げる。
「……違った? 口寂しいのかな、って思ったんだけど」
「……うん、そうね。ありがとうイヴ」
「ふふ。いつでも言ってね?」
ふと、イヴはどの程度こういったことへの認識があるのか気になった。
今まで気にならなかったのが不思議なくらいだ。
もう14歳にもなったというのに、どうにも彼女の懐き方はちいさなこどものころそのままなのだ。

そういえば。おかしいと感じる予兆は、10才になる前にすでにあった。
イヴの屋敷の応接間で、両親を交えて談笑していたときだ。彼女の父親が言った。
「わたしも禁煙を始めたんですが、口寂しくていけません。今もそうですよ」
地雷ワードきた!!とギャリーは身を堅くした。
禁煙の口寂しさから、という理由でさんざん9才のイヴにキスをさせている自分である。
(どうする、どうするのギャリー、イヴがなにを言い出すか読めそうで読めない、どうやって切り抜ける…!?)
恐慌状態である。
が、イヴは。
「へー」
そうですか、というより遙かに薄い反応でただ紅茶のカップを傾けた。
(……? あれ…… 助かった、のかしら…?)
疑問でいっぱいにはなったが、藪をつついてメアリーを出すわけにもいかない。そのときギャリーは、まあ、運がよかった、と片づけることにした。


だらだらと決行をしぶるうちに、イヴはすくすく成長していく。
態度こそ幼女そのものではあるものの、いくらなんでもそのままなんの知識もついていないわけがない。
それにも関わらず、相変わらず「口寂しくない方法」は繰り返されたし、お出かけだってしたし、泊まりにもきている。
彼女がいったいなにも知らないのか、知った上でなにか思うところがあるのか、それを尋ねることはとてもじゃないができなかった。
けれど今や完全に成功した禁煙は、彼女の唇への依存に変わってしまった。

そうして、ついに17才。
これではもはやペドフィリアでなくロリータコンプレックスである。そしてこのままではそれですらなくなってしまう。
が、このころには彼も彼なりに思うところがあった。
つまり、性癖の変化。これである。
異性愛者が同性愛者になることもあれば、ノーマルだったはずが老人専門子供専門になることだってある。
人間は変化する生き物なのだ。
要するに自分は8才好きから女子高生好きに変化したのだ、そうだ、そうに違いない。
だってイヴがこんなにまぶしい。
薔薇の天使だったこどもはその面影を残しながら、果実のようなみずみずしさで彼のそばにあった。
すべらかな肌と艶は薄れることなく、においたつような色と、口にして、歯で舌で確かめずにはいられないような熱を持つ果実だった。
それまで誰にも何にも感じなかった衝動に、戸惑っている。
今やただ、「なにかのはずみ」をただ待つばかりだ。そしてそれはやってきた。


「夏休みに初体験済ませた子が多くて」
そんなふうに、出会ったころから買い換えていないソファの上、いつだかギャリーの誕生日にイヴが贈ったウサギ型のクッションを抱きしめたイヴが語りだした。
ギャリーが用意した夕食を食べ終えて、そろそろ帰らねばならない時間だった。
「だからわたしもそろそろかなーって思うんだよね」
「……みんながしてるから、ってするようなもんじゃないでしょ。ちゃんと好きな人としないと」
「そんなこといってたらあっと言う間にハタチになっちゃう!考えすぎてるとタイミング逃がすんだから。ギャリーはどうだったの?」
「アタシは、好きな人としかしないって決めてるわ」
好き、というか、死ぬほど高い理想の頂点以外無理、なわけだが。
そしておおせのとおり、タイミングを逃してこのざまであるが。
「……好きなひととじゃなくたって、できるよ」
「ええ、そういう人もいるわね」
「わたしもそうする。好きじゃない人とする。
だって子供扱いされるんだもの、やっぱり我慢できない、そういうの。
自分でそうされるようにしてるところがあるとしたって」
女友達のつきあいってややこしーわねー、とギャリーは思う。まあ、高校生なら男子でもそんなものだ。初体験の有無は確実になんらかの序列のひとつにはなる。
ちなみにギャリーは今なお純潔を保っているわけだが、どういうわけだか周囲には百戦錬磨、女どころか男もオッケー、どんとこい、と思われがちで、それは高校生だったころから今までずっとそうだった。
迷惑だと思わないでもないしやっかいを呼び込むこともままあったが、童貞くささがでていないならそれはそれでよしとしている。
彼はその空気(むろん童貞の空気でなく百戦錬磨の空気である)をできるだけ出せるように意識しながら、さりげなく言った。
「……でもねえ、イヴ。男子高校生なんてやりたい盛りよ?ちゃんとあなたを気遣った行為ができるとは思えないわ、悪いけど。避妊だってできるか怪しいわね」
「でも、」
「だから、どうしてもっていうんならアタシがしましょうか?優しくするわよ」
にっこりと作った笑顔が、大人の余裕に見えていればいいと思う。
ここが勝負どころだと知っていた。
大人のふりをしていたが、内心は時計塔のてっぺんから古い縄を命綱にジャンプするような気持ちだ。
はじめてキスをしたときのことを思い出す。あのときも確かこんな心情だった。
あれはキスだった。イヴがたとえ、横断歩道で老人の手を引くような気持ちのそれだったとしても。
そしてイヴもあのときのような表情になっていた。赤くなんてなっていないが、いやがっても、怖がってもいない、ただこちらをじっと見る顔だ。
「……ギャリーは好きな人としかしないんじゃないの」
「アタシ、イヴを好きよ」
嘘ではない。好きでなければこんなに長くつきあわない。ただ、たぶん、彼女が言う好き、健全な男女が言う好きとは違う。
そして幼い頃から変わらずに強い洞察力を持っていた彼女は、おそらくそれを見抜いた。ギャリーもまた、気づかれたことに気づいた。
「わたし…… わたし、ギャリーが好きだよ」





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2012/05/14
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