一番窓際の、一番後ろ。
そこがわたしの席である。
全クラスメイトから羨ましがられる、特等席と言ってもいいだろう。

そんな私の前に座っているのは、立海の有名人であるテニス部の切原くんだ。
ちょっとこわい印象もあるけど、男友達がたくさんいて、彼の周りはいつも賑やかだった。
席は前後だけれど話したことは一度もなくて、そもそも彼がわたしの名前を知っているのかどうかも怪しいところである。

授業中、彼はいつも気怠げにしている。
プリントを回すときは一切振り返らず、手だけ後ろへ向けて渡してくるので、決して視線が交わることはない。
それなのに、わたしはこの席になって以来、気がつけば切原くんのことを観察してしまうようになっていた。


何と言っても、切原くんはわかりやすい。

ああ、今眠いんだなとか、お腹空いているんだなとか、だるいんだなとか、後ろ姿を見れば手に取るようにわかってしまう。それがとにかく面白かった。

それと、腕につけている重り入りの黒いリストバンド。
友人の話によれば、テニス部レギュラーだけがつけている特別なものらしい。すごく重いらしいのに、そんなものをつけながらよく生活できるなぁ。
あとは、他の男の子に比べて背中が広いんだなとか、髪の毛がフワフワでくるくるだなあとか、やっぱり彼は見ていて飽きない。

切原くんは、後ろから前にプリントを回すときも完全には後ろを見ない。やっぱり手だけを後ろに回していて、ひらひらと動かす。
テニス以外のことは基本最小限のようである。



そんなこんなで、今日も今日とてわたしは切原くんの背中を見つめている。

今日は月曜日。国語の時間に、漢字テストがおこなわれた。
毎週お決まりのこの小テストは、採点を前後の席の人同士で交換してやらねばならない。

切原くんの点数は50点中15点。だいたいいつもこんな感じ。わたしは基本45点くらい。
彼が書きなぐる45の文字は、汚すぎていつもあんまり読めない。
4はギリわかる。5はもう、6に見えるし0にも見える。

先生の、じゃあ答案を戻してーという声が聞こえた直後、何気なく彼の答案を見ていて気がついた。
切原くん、名前を書き忘れている。

切原くんは早くも採点し終えて、机にわたしの答案を置くなり、自分の答案を受け取るためにいつも通り後ろ手にひらひらさせていた。

ちょっと待って、と言うと切原くんが少しだけ振り向いて横目でわたしを見た。
わたしは名前の欄に「切原赤也」と書く。
人の名前を書くのは新鮮だ。ましてや、学校の有名人切原くんの名前を書くなど。

「はい」

自分の答案を彼から受け取って、代わりに彼のを渡すと、切原くんは窓を背に自分の答案をまじまじと見た。

「お前さ」
「ん?」
「俺より俺の字うまくね?」

そう言って、彼が切れ長な目をまん丸くしてこちらを見る。
初めて視線が交わった。

「そうかな?」
「おう。切って字こんなバランスで書けたことねーし」
「ありがとう?」

これが、切原くんとの初めての会話だったことを記憶している。

こんなちょっとした出来事だったけれど、以来彼はプリントを回すときに振り向いて渡してくれるようになった。わたしも、ありがとうとお礼を言ってから受け取るようになった。



「みょうじってさ、なんか部活入ってんの?」

その次の漢字テスト。採点のときに切原くんが振り向いた。
わたしの名前、知ってたのか。

「ううん、生徒会だけでいっぱいいっぱいで」
「え、お前生徒会なワケ?」
「うん、書記なの」
「じゃー生徒総会とかで前立ってたりすんの?見たことねーけど」
「切原くん、そういう集まりだいたい爆睡してるじゃない」

なるへそ、と切原くんは納得した様子だ。

「生徒会って、柳先輩いるよな?」
「うん、会計だよね。あそうか、あの人もテニス部なんだもんね」

なんか切原くんとは180度違うので、普段全く意識していなかった。

「テニス部なんだもんね、どころじゃねーから!いいか、パッと見わかんねーかもだがあの人は、」
「切原ー、前見ろー」

先生に注意されて、切原くんは軽くチッ、と舌打ちした。

「前後だと喋りづれえな」
「後ろ見て喋らなければいいんだよ」
「どーいうことだ?」
「ちょっと椅子ごと後ろに来られる?」
「おう。で?」
「で?って、このまま話すんだよ」
「まあ話せなくはねーけどよ…」
「あ、じゃあ、わたしもちょっと前にいけば話しやすいかな」

椅子を引くと、切原くんの後ろ姿がちょっと近づく。

「退屈だからな、たまにこーして話そうぜ」

…なるほど、見た感じはこわいのに、彼の周りにいつも人がいる理由がわかった。人との距離の詰め方が上手なのだ。

おそらく朝練のときの制汗剤の匂いなのだろう。切原くんからほのかに柑橘系の香りがした。

「切原くんて、シーブリーズ使ってる?」
「あ?なんて?」
「制汗剤」
「あーなんかわからんけど姉ちゃんからかっぱらったやつ使ってる」
「あーなるほど。お姉さんのやつなのね。いー匂い」
「は?」

大人しく前を向いていた切原くんが、ばっと振り向く。

「お前…うわびっくりした、近!」
「いや、さっき近づいたじゃんわたし」
「や、そーだけど…」

切原くんがやりづらそうに視線を宙に浮かせる。

「お前さ、い、いい匂いとかそういうこと言うなよな」
「だってほんとにいい匂いだったから」
「……やっぱ、お前もうちょい下がってくんね?」
「なんで?喋りづらいじゃん。…あ、もしかして照れてる?」
「はあ?!別に照れてねーよ!」

せっかくそのままの体勢でコソコソた喋っていたのに、切原くんが思いきり振り返った。しかも、声のボリュームも大きい。

あ、これは…。

「切原ーーーー、前向けー!みょうじとお喋りしたいのはわかるけどーー」
「あ!?違いますよそーゆーんじゃねーし!」
「お前先生に向かって、あ!?は無いだろ、あ!?はーー」

ああ、言わんこっちゃない。
周りに囃し立てられて、切原くんはやりづらそうに頭をガシガシとかいた。

「切原は昼休みに先生のとこ来るように」
「え!?何で!!」
「塵も積もれば何とやら、だ」

切原くんが苦虫を噛み潰したような顔をする。
先生が黒板に向き直ると、切原くんは振り返ってわたしの机に右肘を置き、小声で呟いた。

「…みょうじも来いよな」
「え!なんで」
「なんかムカつくから」
「えー!」





職員室へとつづく廊下を、切原くんと二人で騒ぎながら歩いている。

「ねーほんとにわたしも行かなきゃだめ?」

わたしは別に先生に呼ばれてないんだけど。

「当たり前じゃん」
「納得いかなーい」
「だって元凶お前だし」
「わたし!?」
「そーだろどう考えても!」

そうだったか?
理解できずに視線を宙に浮かせていると、苛立った様子の切原くんが立ち止まる。

「じゃー鈍感なみょうじにもわかるようにしてやろーか?」
「え、うん。じゃあお願いします」

よくわからないままに答えると、切原くんは自分で言ったくせに一瞬たじろいだ。
どうしたの?と顔を覗くと、意を決した様子の切原くんがわたしの手を引く。

バランスを崩したわたしに、切原くんが近づいた。気がつけば、切原くんの顔がすぐそばにある。

くん、と切原くんが鼻を鳴らす。
耳元で声がした。

「……みょうじも、いい匂いすんじゃん」

ばっ、と咄嗟に距離を取ると、真っ赤な顔の切原くんがわたしの手首を掴んだまま睨んでいた。

「……わかったか、バーーーーカ!」

ぱっと手を離した切原くんは、そのままずんずんと職員室へ歩いて行った。

いや。
いやいや!

「えー!?え、切原くんごめんー!匂い嗅がれるってこんなに恥ずかしいんだ!?ごめん!しかもあんな、」
「うるせーーー!!それ以上言うな!!!」

振り返った切原くんの叫び声が廊下に響き渡る。

次の瞬間、職員室から出てきた国語の先生に首根っこを掴まれた切原くんは、大量の課題を抱えながら教室に帰ってきましたとさ。


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