とうらぶ公開用 | ナノ
602.

蜂須賀虎徹の主――墨村真白は、蜂須賀が抱きかかえている清磨を見ると表情を変えた。ともえに断りを入れてから清磨の首と手首を触って様子を診る。出来る限り早い処置が必要だと判断した真白は、自身の車にともえと清磨を乗せて出発した。
広い道を走り続け、車はやがて海岸沿いから離れて住宅地へ続く坂道を登っていく。白い外壁の家屋が並んでおり、車はやがて一番高い場所にある大きな家の駐車場に停まった。眼下には、先ほどまでともえ達が居た海岸がよく見える。蜂須賀が清磨を抱え、真白が先導して家の中へ入る。どうしたら良いのか分からず、ともえが玄関先で立ったままになっていると、真白がともえの手を引いた。
天井が広い家の中はしんとしていた。大きな窓からはたっぷりの日差しが入り込み、網戸から入ってくる風がレースのカーテンを揺らしている。海岸よりも涼しく、ひんやりした空気がともえの汗ばんだ肌を撫でた。
蜂須賀は迷わず階段を昇り、とある一室へ清磨を連れて行く。ベッドに清磨を寝かせ、ともえに清磨の傍に居るようにと言い、椅子を持って来てともえを座らせた。固く目を瞑ったままの清磨は苦しそうにともえの目に映った。具合が悪いのか、熱でもあるのだろうか。ともえには見ただけでは分からない。
真白が注射器ケースを持って部屋に入って来る。ともえにその場で待つように真白が指示し、彼女は清磨の服の袖を捲った。真白は慣れた手つきで注射器の安全キャップを外し、「打つよ」と一声かけてから清磨の腕に注射器を挿した。ともえがぎょっと驚いている間に、真白は注射器のピンを押す。バチンッと鋭い音が鳴り、薬剤が投与された。蜂須賀が廃棄用の袋を真白の手元に近づけ、空になった注射器を回収する。大きな音がしたが清磨の腕には出血も見られず、わずかに赤くなっているだけだった。

「あのっ、清磨はもう大丈夫なんですか?」
「典型的な虚脱症状……刀剣男士の体内で霊力循環が正常に行われず、具合が悪くなってしまう症状のことね。その症状が見られたから、霊力循環が滞らないための薬を打ったよ。人間でいう栄養剤みたいなものだから安心して。これで源清磨は一旦大丈夫」

真白の説明を聞いたともえが清磨の顔を覗き込む。確かに、先ほどよりも呼吸が楽そうだ。規則正しく上下する胸元を見て、ともえは安心して力が抜けた。

「清磨、良かった……ありがとうございます」
「清磨には過食や過眠やその逆の症状が最近なかった?」

清磨のF県での食事や、バスで起きなかったことをともえは思い出す。何度も頷くと、真白は説明を加えてくれた。

「それが虚脱になる前の症状なの。上手く循環しないから、過剰に取り入れようとしたりその逆をしたり。結局身体が追いつかなくて倒れちゃうんだ。でも、虚脱は霊力循環を良くして身体をしっかり休めれば自然に良くなるから安心して。私もちゃんと説明しないまま連れてきちゃって、驚かせてごめんなさい」
「そんなことないです。私一人だったらどうして良いか分からなかったし、清磨も転んでもっと酷い怪我をしていたかもしれない。本当にありがとうございます」

声を震わせたともえが真白と蜂須賀に頭を下げる。真白は隣に控えていた蜂須賀を見上げ、視線で会話した。

「虚脱は本丸の手入れ部屋に一度入れた方が確実に良くなるよ。源清磨はあなたの刀剣男士だよね?」
「……違います」

真白が驚いた表情を見せる一方で、蜂須賀は納得したようだった。
ともえは膝の上で拳を握る。言いたくはなかった。だが、見ず知らずの自分達を助けてくれた親切な二人に嘘をつくことは、ともえには出来なかった。

「お父さんの本丸の刀剣男士です」
「そっか。ここには二人で旅行に来てたの?」

真白の問いかけにともえは答えられず俯いてしまった。

「家に連絡することは出来る?それか、本丸の屋号を教えてもらえれば私の方から連絡をするよ。ここには簡易的だけど転送ゲートもあるからお父様と近侍だけならすぐにここまでお迎えに来られるよ」
「帰りたく……ありません」

振り絞られた声と想像していなかった返事に、真白と蜂須賀は顔を見合わせる。真白はともえに視線を合わせるために屈んだ。

「刀剣男士に何かあったなら、審神者に連絡しなくちゃいけないんだ。あなたが帰りたくないのはどうしてかな?」
「だって帰っても……」

ともえはそれ以上言うことが出来なかった。ともえの様子を目の当たりにして、真白はすぐにともえの顔や肌の状態を確認する。暴力を受けたのではないかと想像した真白であったが、ともえの肌はどこも綺麗で想像が誤りであったことにひとまず安心した。
目の前に居る少女が帰りたくない理由は、きっとここでは教えてもらえないだろうと真白は思った。とはいえ、刀剣男士と恐らく未成年である少女をこのまま放っておく訳にもいかない。どうしたものかと近侍の蜂須賀と一緒に悩んでいると、部屋の扉が数回叩かれた。真白と蜂須賀の視線が部屋の入口へと向けられる。灰色がかった薄茶色の髪の毛の青年――椿友成が真白に向けて小さく手を振った。

「いつからそこに居たの?」
「ずっと居たよ。真白ちゃんが帰って来たと思ったら、知らない女の子と男士を連れてるから驚いちゃった」

入るよ、と断りを入れてから友成が入室する。髪の毛の色と同じ薄茶色の切れ長の瞳が、ともえと清磨を一瞥する。真白の隣に並んだ友成は、ともえの顔を覗きこめるようにしゃがんだ。

「君のお父さんの本丸は、薩摩国第一一一八号本丸で合っているかな?平ともえさん」

ともえが握っていた拳に力が入る。わずかな変化だったが、友成と真白は見逃さなかった。ともえの反応こそが肯定の証だった。

「友成にいさん、どうして本丸の屋号と名前が分かったの?」
「薩摩国の本丸で未成年の家出があったって聞いていたんだ。源清磨と二人で居なくなったって聞いたから、もしかしてと思ってね」

真白と友成は二人とも山城国に所属する本丸審神者だ。何故他国である薩摩国の事情を知っているのだろうかと真白は思ったが、次の瞬間にまだここに来ていない薩摩国の従兄を思い出した。真白はともえを見る。ともえが言葉を発さないことが、友成の予想が当たったことを示していた。
家出人を見つけたのであれば、尚のことこのままにしておけない。ともえ本人の意思を尊重したいが、大人として黙っていることも出来ない。真白がともえに声をかける前に、友成がともえに尋ねた。

「君は家に帰りたくないんだね。帰らないと休む場所にも困ると思うんだけど、僕達に教えられるような安全な滞在先を確保出来ているのかな?」

ずっと黙っていたともえが頷く。

「どこに滞在しているのかを教えてもらえるかな」
「直江壮という民宿です」
「あの海岸の近くだ。料理が美味しい宿だね」

ともえの返答と真白の言葉を聞いた友成はうんうんと頷くと、けろっとした様子で返した。

「じゃあ帰らなくても良いんじゃないかな」
「友成にいさん!?」
「宿はちゃんと確保しているんでしょ。二人はたまたまここへ旅をしていただけ。真白ちゃんと蜂須賀は困っている二人を助けただけ。薩摩国がどういう介入をするのかは分からないけれど、警備局員は警察ではないから彼女達を補導することは出来ない。薩摩国警備局に保護の連絡だけしておけば問題ないよ。もちろん、本人達に帰宅意思が無いこともね」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「審神者の家にはいろんな事情がある。うちだってそうでしょ。これでも十分すぎるくらいだ」

薩摩国警備局への連絡は友成がすることになった。早く良くなるといいねと友成がともえに言い、友成は立ち上がって部屋を出ていった。ともえは気づいていなかったが、部屋の外には友成の刀剣男士である陸奥守と今剣も待機していた。
ともえは不安そうな表情を浮かべたままだったが、安心して任せて良いと真白が伝える。ともえはおずおずと頷いたが、不安の色は消えない。真白と蜂須賀の耳に、友成以外の軽快な足音が届いてきた。開かれたままの扉の向こうから、ふわふわと桃色の髪の毛が見えた。

「主君〜!お客様のお飲み物をお持ちしました!」

現れたのは真白の初鍛刀――秋田藤四郎だった。秋田が持っている大きな盆の上には人数分のグラスと、飲み物がたっぷり入ったカラフェが三個、シロップとアイスペールが載っている。そっと部屋の中へ入る秋田を見て、蜂須賀が机まで運ぶのを手伝った。

「ええと……ともえちゃんって呼べばいいかな?私のことは真白で良いよ。ここにいる二振は私の本丸の刀剣男士で、さっきのは私の従兄の友成にいさんね。いろいろあったけど、冷たいものでも飲んで少し落ち着きましょ」
「お茶もサイダーもお水もありますよ。お客様はどれが良いですか?」

氷が入ったグラスを持った秋田がともえに尋ねる。秋田の柔らかい笑顔を見て、ようやくともえの肩から力が抜けた。
四人に飲み物が行き渡る。ともえが清磨から離れたくないのを察して、蜂須賀が隣の部屋から椅子を持って来た。ともえは真白と秋田が勧めてくれた梅シロップのサイダー割をちびちびと飲む。「美味しい」とともえが呟くと、真白達も嬉しそうに顔を見合わせた。

「ここは真白さんとさっきのお兄さんの本丸なんですか?」
「ううん。ここはおばあ様の別荘なの。さっきの友成にいさんともう一人の一(はじめ)にいさんを含めた三人で、刀剣男士何振かと一緒に毎年ここへ遊びに来ているんだ。全員審神者で私と友成にいさんは山城国に、一にいさんは薩摩国に所属しているんだよ」

友成、一、真白はいとこ同士だ。年の順は一番上が友成、二番目が一、三番目が真白だった。友成と真白は十二歳差で一回り年齢差がある。ともえは友成の顔を頭の中に思い浮かべるが、三十代半ばには見えないほど若々しかった。思い返せば本丸に居る時の父親は背筋が伸びていて、平家の居住区で過ごしている時よりも若く見えたような気がした。多くの刀剣男士の前に立つと、自然と凛々しくなるものなのかもしれない。
真白のおばあ様の子ども達、彼女達の両親はここには来ないのだろうか。それも先ほど友成が言っていた“審神者の家の事情”なのかもしれない。気になったが、ともえは聞かないことにした。

「そうそう、おばあ様には友成にいさんからもう連絡してくれたみたい。清磨が起きるまでゆっくり休んでって」
「清磨はどれくらいで良くなるんですか?」
「虚脱からの回復のためにはよく眠ることが大事だから、早くて明日の昼かな。三日以内には目覚めると思う」
「そんなに……」

ともえが視線を落とす。それを見ていた蜂須賀が、真白の代わりに答えた。

「清磨には身体の強張りがあった。休んでいる時も気を張り続けていたのかもしれない。しっかり回復するまで待ってあげて欲しいな」
「あの……どうして清磨はそこまでしてくれたと思いますか?」
「さあ。僕には清磨の気持ちを語ることは出来ないけれど、君のことを守りたかったんじゃないのかな。もし同じ状況になったら、僕も清磨と同じことをすると思う」

蜂須賀が真白を見る。真白は少し照れくさそうにしていた。二人の間に流れる空気感だけで、真白と蜂須賀に厚い信頼関係があることがともえにもよく分かった。
話を聞いていた秋田が「僕も」と胸を張って続けた。

「僕も同じです。主君の守り刀として、ずっとおそばでお守りするつもりです。初めてお会いした十四年前から気持ちは変わりません」
「十四年前?真白さんは、子どもの時から審神者だったんですか?」
「主は七歳の時に俺達を顕現したんだ。本丸が出来たのはもう少し後だけれどね」
「蜂須賀虎徹と秋田藤四郎は、真白さんが私よりも小さな時からずっと一緒に居たんですね」
「うん。両親よりも一緒に居る時間が長いかも。ともえちゃんも小さい時から、身近に刀剣男士が居たんじゃない?」
「うちは家と本丸が繋がっているので、毎日お父さんの刀剣男士と顔を合わせていました。みんな“ひい様”って私のことを呼んで、すごく親切にしてくれて。でも……あそこは私の家なのに、私の居場所はどこにも無いんです」

ともえはグラスを強く握った。真白と蜂須賀は、先ほどともえが「帰りたくない」と言った理由を知る。
賑やかな本丸に居ても、ともえはいつもぽつんと一人ぼっちでいる気分だった。
清峰は本丸に居なくてはならない存在。静香も本丸の刀剣男士達から信頼を得ている。
それなら、ともえはどうだろうか。刀剣男士は皆親切だが、ともえの“家族”ではない。ともえの家族は清峰と静香だけだ。二人は本丸に居場所がある。ともえには無い。手を伸ばせば届くほど近くにあるのに、ともえの手が決して届くことは無い。それが堪らなく辛く、寂しかった。

「清磨さんはどうだったんですか?」

秋田がともえに尋ねる。ともえは顔を上げて、ベッドで眠っている清磨の横顔を見た。

「清磨は……不思議なんです。清磨には仲の良い男士が居ます。同じ部隊の蜂須賀や、同室の水心子や、よく話している朝尊先生とか。いつも誰かの輪の中に入ってるんです。それなのに、気付くと私のそばに居るんです。何をするわけでもなくて、ただ一緒に居てくれるんです」
「清磨さんとともえ様は、お互いが大切な者同士なんですね」
「え?」
「おそばに居て守りたいと思うのは大切な存在だからです。僕が主君をお守りしたいと思う時、主君もまた僕の心を受け取ってくれています。それがとても嬉しくて、もっと主君のおそばに居たいと思うんです」

心を受け取る――ともえは秋田の言葉を胸の中で反芻する。
清磨はいつも、いつの間にかともえのそばに居て、同じ場所で同じ時間を過ごしていた。ともえが物心ついた時からそうだったのだから、十七年間ずっとそうしてきてくれたのだろうとともえは思う。
清磨はともえの寂しい心を受け取り、大切に抱えてくれた。だがともえは、清磨が何故そうしてくれるのか考えようともしなかったことに気付いた。
清磨の心を知りたい。その心を受け取って、大事に大事に抱えたい。先ほどとは違う理由で、清磨に早く目覚めて欲しいとともえは思った。

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