はじめまして


残業を終え、コンビニに寄りサラダを買って、住み慣れたワンルームマンションに帰宅。
暗い家に帰り、冷たいサラダを食べ、冷たい布団に潜る。この流れを何回繰り返したことだろうか。

玄関前がいつもより明るいこと、気にも留めずにドアを開ける。


光が、道筋のように続いている。
鳥…いや、蝶だろうか? 羽ばたくそれらに導かれ、奥へと足を進める。

暗い部屋の電気を付けると、そこには、驚いたような顔をした男性が座っていた。
彼は特異な風貌をしており、中世の騎士のような槍を横に置いている。手の届く範囲の、獲物。
強張った身体を動かせないまま、ぼうっと彼の鎧や、端正な顔立ちを見つめていた。(彼もまた、私を推し量っているようだった)
やがて、彼は口を開いた。

「……この部屋の持ち主と伺えるが」

容姿に違わぬ静かな声は、随分と困惑しているようだった。

「は、はい。一応、私の部屋、です」

震える声で是を返すと、彼はきょろりと部屋を見た。
私が来る前に粗方見ていたのだろうか。特に止まることもなく、私の方へと視線が戻ってきた。

「ここは…どこだろうか」
「ここは、日本です」
「ニホン…?聞き覚えのない国だ。貴女はシンドリアという国をご存知だろうか」
「しん、どりあ…?」

聞いたこともない。
別に世界地図を暗記しているわけでも、192ヶ国全てを知っている訳でもないが、シンドリアという国に聞き覚えはなかった。

「…その様子では、知らないようだ」
「…ごめんなさい」
「いや、構わない。薄々ではあるが、分かったことがある。突飛な話ではあると思うが、聞いて欲しい。」
「……はい」
「私は、こことは異なる世界から来たようだ」
「異なる、世界?」
「ああ。無礼を承知で、貴女がここへ来る前に、部屋を少々調べさせてもらった。
窓から見た景色も、ここにある物も、殆ど…いや、全てと言って良い。私の見たことがない物だった。冷気の出る箱も、水の出る管も、何もかもが初めてだ。」

彼は、一呼吸置くようにかぶりを振った。
異なる世界? これは俗に言う、異世界トリップという物か。
だんだんと冷静さを取り戻す頭の隅で、この人を養える期間を算出する。

「教えて欲しい。この世界は、何だ?」
「この世界に、呼び名はありません。世界は世界ですし。不思議な魔法も怪獣もいない、平穏で無機質な世界。見知らぬ人間のために、どこかの見知らぬ人間が死ぬ世界。」

私は一人の家が寂しい、彼は衣食住のアテが無い。ここは、ギブアンドテイクと行こうじゃないか。

「お名前は?」
「スパルトス」
「…私はほしこ。ほしのほしこ。スパルトスさん、貴方が元の世界に帰れるまでを、お手伝いします。」

そう告げた途端、彼の顔が驚きに染まった。品定めをするように私を見る。周りの蝶が、輝きを増した気がした。

「…………すまない、世話になる」

そう言って彼は、祈るようなポーズを取った。謎だったが、彼の世界の挨拶なのだろう。




一日目



鎧やら何やらは、品に傷つかないようにベランダにバスタオルを敷き、そこに置かせてもらうことに落ち着いた。土足なのも頂けなかったしね。
私の一人暮らし故、ここに成人男性の着れるような洋服はない。スパルトスさんには申し訳ないが、何着か残っていた元彼の浴衣を着てもらった。
浴衣ならある程度の融通は利くし、夏本番のこの時期に浴衣を不審がる人もいないだろう。

関係のあった男性の物で申し訳ないと謝ったら、「それは仕方のないことだから、気にしないで欲しい」とやさしく言ってくれた。

「私が世話になるのだから、ほしこが謝ることは何も無い。」

零された笑みは、誠実そのもの。彼のことを少しでも疑っていた自分を殴りたくなった。
「官服のようだ」と笑い、その場で一回り。「とても良く、似合っていますよ」「ありがとう、ほしこ」

元彼とは似ても似つかない彼は、その浴衣に宿る暗い過去を払拭してくれるようだった。

「…そうだ、お夕飯は食べました?」
「ああ、既に頂いている。」
「そうですか。」

ならば自分の食事だ、とコンビニの袋からサラダとプラスチックのフォークを取り出す。

「それだけ、なのか?」

目を見開くスパルトスさんを見て、彼の世界に少し興味を持った。

「そうです。あんまり食べると太っちゃうんで」

絶句しているようにも思えるが、デスクワークばかりの生活で肉なんて食べたらスーツが着られなくなってしまう。

サラダを食べ終わった後は、水回りやガスレンジ、電子レンジの軽い説明をした。
寝る場所については軽く押し問答になったが、結局私が折れた形で私がベッド、彼がソファに寝るということになった。

日本の事について話を聞かせてくれと言われて、漸く自分が交通ルールや法律などを教えていない事に気が付く。一番大切なことを…

「先ず、これを始めに了承してください。この世界で、人殺しはしないでください。」
「それは勿論だが…どういうことだ?」
「法律、というものがありまして。これに違反すれば、国がその人物を捕らえて罰を与えるのです。」
「ほう…興味深いな」
「まあ、詳しい事は追々説明しますが、武器の所持もご遠慮ください。この二つさえ守ってくれたら、外を出歩く分には問題ありません。」
「わかった。とすると、誰かに殺害される危険性は無いと見て良いのだな?」
「…一概に、そうとも言い切れないのが苦いところです。」
「賊は、どの世界にも現れるものなのだな」
「ぞ、ぞく?…ええと、まあ、先ほど私は平穏で無機質、と言いましたよね」

彼が小さく頷くのを見て、長くなりそうだから、飲み物を用意しようとその旨を伝え立ち上がる。

「世界は大きな過ちを幾つもしてきました。色々な国が色々な手段でその過ちを回避する中、この国、日本は戦争をしないということを誓いました。」
「戦争を、しない?」
「そうです。過ちの内の一つ、戦争を丸ごと回避しようと言う手段です。」
「しかし、それでは他国の格好の的になってしまう」
「それについての話ですが、昔、日本は次々と挑まれる戦争に勝ち続きでした。数ある偶然に慢心した日本は、世界に喧嘩を売って、大敗しました。
無論、戦争をすることにより、国内で貧困や多くの殺人が起きました。そのことにすら目を向けず、不利な戦争に挑み続けたのです。
無条件で構わないから降伏せよとの通達まで、無視して。国民を思えば降伏という手段もあったでしょうが、」

冷たい緑茶をコップに入れ、ローテーブルに置く。飲むように促して、三口ほど口をつける。

「国の上層部は、意固地になっていました。負けるのを嫌がったのです。」
「しかし、それでは国は…」

頷いて、丁度あった世界地図を広げる。
そのうちの日本を指差した途端、彼の顔色が変わった。

「小さい…この小さい国が、戦争に…」
「そうです。世界はこの小さい国に手惑いましたが、なんとか制圧を成功させました。
その後、このアメリカという国の支配下に置かれました。そのときになって、自分たちのしてきた戦争の愚かさにようやく気がついたのです。
そこで、先ほどの戦争放棄の結論に至りました。アメリカは当時世界最強で、その国の支配下にある日本に誰も手出ししようなどとは思いませんでした。
それからは目覚しい成長を遂げて、今の日本になったのです。」

一気に話し終えると、彼は興味深そうに世界地図を見ている。
しかしまだ、重要なことを話していない。

「この激動の時代は過ぎ去り、今はこの平穏が当たり前になってきています。そして、この平穏を退屈に思った愚か者が、快楽の為に殺人を犯すようになってきています。」

彼の鳶色の目が、鋭く光る。

「それは通り魔や暴漢、窃盗犯となり、日常生活の中に潜んでいます。だから、一概にも安全とは言い難いのです。法律では、傷害・窃盗・殺人・武器の所持全てが禁じられています。
まあ、警察…で通じるのかな?町の警護などをしている人々は、例外の場合もありますが。」
「私の世界では、警史という。まあ、大差はないだろうな」
「そのようです」
「…愚かな者が、いたものだ」
「人間ですから、その辺は当然かと思われますね。いつの世も、悪事に心を奪われてしまう人間はいるものです」
「…………。」

心当たりがあるのだろうか、彼は押し黙ってしまった。

「さ、そろそろ寝ましょう。」

明日は日曜日。いくらお休みを頂いているとはいえ、あまり遅くまで起きているのは得策ではないだろう。不慣れな彼を連れて、買い物にいかなければ。

「ほしこ」
「はい?」

「ありがとう」

電気を消した後の暗闇から、ぽつりと聞こえた言葉。

「まだ、何もしてませんよ」

優しい気持ちのまま、布団に入った。








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